Season企画小説
バースデーカクテル・5
店に入ると、「いらっしゃいませー」と言う声と共に、畠君と目が合った。
何やってんだ、みたいな顔されて、居心地が悪い。
「2名」
阿部君がそう言って、珍しくカウンターじゃなくてテーブルに座った。
2人掛けの黒い丸テーブルの上には、3つ折りのメニュー表が置かれてる。開けて1ページ目がフード表で、後はほとんどがお酒の表だ。
メニュー表を開いて阿部君の目の前に出してあげると、「おススメは?」って訊かれた。
「え、と、ズワイガニのトマトクリームパスタ、かな。それかマルガリータ」
と言っても、フードメニューそのものが少ないから、ファミレスみたいには選べない、よね。
「ご注文は?」
ハンディターミナルを持った畠君が、注文を取りに来た。
阿部君はオレのおススメ2品と生ハムサラダを注文して、それから珍しくビールを頼んだ。
「エビス、中」
「え?」
驚いた。
そりゃ、阿部君のコト、そんな詳しいって訳じゃないけど――でもオレが知る限り、彼がテーブルに座るのもビールを頼むのも、初めてだ。
「び、ビール珍しい、です、ね。テーブル、も」
オレがそう言うと、阿部君は楽しそうにニッと笑った。
「そりゃ、今カウンターにお目当てのバーテンダーがいねーかんな」
お目当ての……って。
え、それってオレのコト、って思っていいのかな?
オレがいないから、カウンターに座らなかったの?
ドギマギしてると、阿部君はさらに言った。
「カクテルもさ。そのバーテンダーに作って貰いてーんだよ。だから、今はビール」
今はビール。
その意味を悟って、じわっと頬が熱くなる。
カクテルは、オレにって。修ちゃんでもチーフでもなく、オレだけに。
「オレ……」
オレでいいのかな? オレ、下手くそなのに。
下手くそって、言われたのに。オレのカクテル、喜んでくれる? 飲みたいって言ってくれるのかな?
じゃあ、フレアは……?
「お待たせ致しました」
聞き慣れた声に、ハッと横を見る。
畠君が、テーブルの脇に膝をついて、ビールとお水を持って来てた。
勿論、ビールは阿部君ので、オレには水だ。
でもただのお水じゃない。この店のお水には、レモンがほんのちょっと絞ってある。
「ごゆっくりどうぞ」
畠君は頭を下げて立ち上がり、今度はオレをじっと見下ろした。
一瞬、文句を言われるのかと思ってビクッとしたけど、違った。
「お前は水飲んで待ってろ。叶がバースデーカクテル作るってよ」
バースデーカクテル。確かに修ちゃんと、約束してた、けど。
「う、お」
カウンターを見ると、修ちゃんと目が合った。忙しいのに、ちらっと笑顔で手を振ってくれる。
と、阿部君が少し大きな声を出した。
「誕生日なのか?」
びっくりしてうなずくと、阿部君は焦ったように頭を抱えた。
「うわ、何も用意してねぇ! マジ? じゃあ後でケーキ買ってやるよ。それか花束? それともシャンパン? ピンドン?」
「ピ……っ」
ドンペリニヨンはともかくピンドン、つまりドンペリのロゼは、さすがに予約制だ。
というか、白のドンペリだって1万は超える。
「い、い、い、いい、です」
慌てて首を振ると、目の前に右手が差し出された。
え? 握手? 戸惑いながら、オレも右手を差し出すと――阿部君は、オレの手をぐっと握って。そして、指先に軽くキスをした。
「魔法みてーな指先に、おめでとう」
って。
「オレ、お前のファンだからさ。またスゲー演技、楽しみにしてんぜ」
ドキッとした。
スゲー演技って、まだ言って貰える?
『あんたしか目に入らなかった』
『相当練習したんだろ?』
前に貰った言葉は、やっぱり彼の本音みたい、で。オレはやっぱり修ちゃんと比べると、未熟らしいけど。
でも――阿部君が認めて応援してくれるなら、これからも練習、頑張れる気がした。
阿部君の頼んだ軽食がようやく丸テーブルに並ぶ頃、2回目のフレアの時間になった。
ふいに音楽のボリュームが上がり、身に沁み込んだ雰囲気に緊張が高まる。
「叶のフレアをよく見ろよ、下手くそ」
畠君がわざわざオレの横に来て、ぼそっとそう囁いて行った。
小声だったけど、阿部君にも伝わったみたい。
「はあ!? 何言ってんだ、技術はコイツの方が断然上だろ!?」
カッとしたように立ち上がる阿部君と、それからオレの顔とを見比べて。畠君はふん、と鼻を鳴らした。
「フレアは技術だけじゃねーんだよ」
そう――フレアは手先の技術だけじゃない。分かってる。
技の難易度、バラエティ、ルーティンバランス、計画性、冷静さ。中でも一番大事なのは、ショーマンシップだ、と、専門学校でも習った。
カウンターに修ちゃんが1人で立つ。
すぐ目の前なのに、ひどく遠い。
『Three,Two,One,Go!』
畠君がマイクで言った。
音楽が変わる。でも、いつものタンデム用の曲じゃない。これは多分、修ちゃん1人用の曲なんだ。
1人で練習してたんだ。
当たり前なのに、息が苦しい。自分だって、1人で曲かけて練習してるくせに。
笑顔の修ちゃんと目が合って、ドキッとする。
修ちゃんは笑顔だ。
ティンを投げ、ボトルを受け。決まった動作の合間合間に、お客さんたちを上手にあおる。
おお、とお客さんたちが拍手する。
オレも……そりゃ、全くできないって訳じゃないけど。こうして遠くから見てると、やっぱり修ちゃんはスゴイなぁって思わずにはいられない。
左手でボトル2本を操りながら、修ちゃんは右手でティンを2つ持った。
ティンを1つ持ったまま、重ねた片方を宙に投げる。受ける。投げる。2つとも投げて、1つずつキャッチする。
右手と左手で、似てるけど違う動きをする。難しい技だ。
やっぱり、1人でやるなら、これくらいの華やかさはいるのかも? 成功した後、上手に拍手をあおってる。
あ、次に宙に放られたのは、鮮やかな緑色のボトル。MIDORIだ。
銀のティンでそれを受け、瞬時に放り、受け、また大きく放って……でもその途中、ボトルから緑色のしぶきが飛び散った。
スピルミスだ。制服の白いシャツに、緑色のシミができる。
遠心力が足りないと起こるもので、国際コンテストでもよく見かける凡ミスだけど――。
「あー」
前にいた数人がどよめいた。
それで、ちょっと動揺しちゃったんだろうか。
ゴトン。
鈍い音と共に、緑のボトルが床に落ちた。
(続く)
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