Season企画小説
母の日のありがとう (2013母の日・社会人)
総合職として就職したからには、どこの地方のどの部署に配置転換を命じられても、仕方がねぇと分かってた。
恋人と同棲してっから、そりゃ北海道とか九州なんかに飛ばされりゃ、さすがにダメージでかかったけど……同じ関東だし。
埼玉なんて、自宅から通える距離なんだから、ワガママは言えねぇ。
「不服か?」
人事部からの辞令をオレに突きつけながら、上司がいぶかしそうに眉をひそめた。
「い、いえ」
慌てて押し頂き、辞令書をじっと見る。
『浦和支店 営業』と、そこには書かれてあった。
「営業に力を入れてくらしいな〜」
上司が他人事のように社の方針を語るのに、「そうっスか」と返す。
別に、内勤から営業への配置転換がイヤだって訳じゃねぇ。
問題は、浦和支店で営業業務に就くってことだ。
銀行の営業は、そりゃひと昔前みてーに足で稼ぐって感じじゃなくなってっかも知んねーけど。
それでも……顧客訪問は、免れねぇ。
同性同士で愛し合ってると、双方の親にカミングアウトして5年。
勘当されたオレの家にも、泣かれた恋人の家にも、その周囲にもこの5年、近寄ったことはなかったのに。
「……参ったな」
浦和支店の受け持ちエリアには、どっちの家も入ってた。
ゴールデンウィーク明けに、さっそく担当を引き継いだ顧客の元を訪問することになった。
顧客つってもあんま大口のじゃなくて、住宅ローンとかの個人融資が中心だ。
訪問リストを見て、ホッとする。
幸いにも、オレらの実家は含まれてなかった。
名刺と粗品とチラシを持って、1件1件の家を回った。
「新しく担当になりました、阿部と申します。今後ともよろしくお願いします」
各顧客の対応もそれぞれで、中に招いてお茶を出してくれる所もあったし、玄関先で「はいはい、どうも」って適当に言われる所もあった。
それでも会ってくれるだけマシで、「郵便受けに入れといて」つって、顔すら見せて貰えねー所もある。
そういう対応の違いも、全部手帳に書き込んでいった。
データの積み重ねが命だぞ、って大先輩から聞いたような気がする。
社用車に乗り込み、住宅地図を見ながらそんな風に過ごして1週間。ようやく顧客回りにも慣れて来た。
「では、今後ともよろしくお願いします」
通された応接間で顧客の婦人にそう言って、オレは手早く資料をファイルの中に収めた。
「そろそろ暑くなって来たわねぇ」
婦人の世間話に「ええ」と愛想笑いを浮かべながら、玄関先で靴を履こうとして――ふと、靴箱の上の鉢植えに目が行った。
ピンク色の百合だった。
鉢を包むラッピングには、同じくピンクの太いリボンが巻かれてる。
「ああ、可愛いですね」
オレがそう言うと、婦人はにこやかに笑って、嬉しそうに教えてくれた。
「嫁いだ娘がね、送って来たんですよ。まあ華やかで、ちょっと恥ずかしいわ」
ほほほ、と笑う婦人に「いえいえ」と返しながら、そうか、と思う。
昨日は――母の日だったか。
母の日にプレゼントなんか、そういや小学校以来してねーかも。
図工の時間に造花の赤いカーネーション作って、それを渡したのが最後かな。
シュンはどうだっただろう?
今も実家で、両親と共に暮らす弟のことを思い出す。
こんな風に親不孝すんのが分かってたら、もっと感謝を素直に伝えておくんだった。
もう今更、後悔しても遅いけど。
玄関先まで見送ってくれた婦人に、笑顔で頭を下げて社用車の側に戻る。
外回りにはちょうどいい天気だ。
暑いくらいの気温にため息をつき、社用車のロックを外しながら青空に目をやると――。
「阿部君?」
後ろから名前を呼ばれた。
ハッと振り向くと、そこには見覚えのある古いボルボ。
ああ、ここは――三橋の家に近かったか。そう思い及んでも、もう遅くて。
「阿部君でしょ、久し振りねぇ」
そう言って笑う三橋の母親に、オレは咄嗟に、頭を下げるしかできなかった。
5年ぶりに訪れた三橋の実家は、何も変わっていなかった。
ただ、アイツがずっと投球練習を続けてた、庭先の的だけが無くなってた。
「元気だった?」
何も変わってねぇリビング。
見覚えのあるローテーブルにコトンと麦茶のグラスを置いて、三橋の母親――尚江さんはオレに優しく笑いかけた。
「廉が元気なのは、TV見りゃ分かるんだけどさ」
そう彼女の言う通り、三橋は今、プロの1軍で投げている。
ああ、見てくれてるんだな。そう思うと、自分のコトみて―に嬉しい。
「仲良くやってんの?」
普通に訊かれて「はい」と即答で返すと、尚江さんは「そっか、ならいいんだー」とまた陽気に笑った。
オレも泣きそうだったから、気付いた。
尚江さんも、ちょっとだけ涙目になってる。
でも……気付かねぇフリをした方がいいんだろう。今は。
思い出話を交えつつ、互いの近況を語り合って、オレ達はしばらく穏やかな会話を楽しんだ。
彼女にとってオレは、大事な一人息子を奪った憎い存在だ。
詰られても殴られても、当然の関係。
なのに――。
「また会いに来て頂戴。今度は2人で。ね?
尚江さんはオレに、微笑んでそう言った。
帰り際、「そうそう」と思い出したように彼女が言った。
「昨日、お花ありがとね」
「え……?」
一瞬キョトンとしたのが分かったんだろう。尚江さんが、「あら」と困ったように笑った。
昨日、つったら、母の日だ。
お花――?
ふと見れば階段の脇に、さっき見たのと同じ、ピンクの百合の鉢植えがある。
いや、同じじゃねーか。こっちのがデカい。
けど、多分同じの。母の日ギフト。
「廉。あの子ねぇ、毎年バカの一つ覚えみたいに、鉢植え送ってくるのよ〜。勿論嬉しいんだけどさ、温室がその内、いっぱいになっちゃうわ」
尚江さんが、そう言って幸せそうに笑う。
憎まれ口半分だけど、多分嬉しくて仕方ねーんだろうと分かる。
胸がじわっと熱くなる。
「そうっスか」
オレが相槌を打つと、尚江さんは更に言った。
「阿部君ちにもねぇ、同じ鉢植え送ってるらしくて。お父さんの会社のオフィスに飾ってるけど、もうお花だらけで……」
それは初耳だった。
もっかい「えっ」と声を上げ、尚江さんを見る。
三橋は。この人の息子は。オレの母親にも――母の日ギフト、送ってくれてたってのか?
忙しいくせに。いつの間に?
いや、それより。
「……その内、水道設備の会社なのか花屋なのか、分からなくなりそうだって。あなたのお母さん、笑ってたわよ」
そんな風にオレの実家のこと、聞かされるとは思わなかった。
笑顔で。
屈託なく。
オレ達の仲を、カミングアウトした5年前には、想像できなかった穏やかな空気が、今ここには漂ってて。
大事な息子を同性愛に引き込んだ、と、憎み合っててもおかしくねぇ間柄だと思ってたのに、そうじゃなさそうで。
胸が熱い。
三橋が毎年花を贈ってくれたのも、ずっと知らねぇままだったけど。
それを捨てずに受け取ってくれてた、互いの母親のこともオレ、ずっと知らねぇままだった。
「……そうっスか」
オレは掠れた声で返事して、深々と頭を下げた。
「たまには、あちらの家にも顔を見せてあげたら?」
尚江さんのその提案には、まだちょっと応えられそうになかったけど。
「また、来ます」
オレは恋人の母親の顔を、まっすぐに見つめて約束をした。
来年の母の日には――三橋と2人で。直接ここに、花を持って来ますから。
「お母さん、ありがとう」
これからも、よろしく。
(終)
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