Season企画小説
ストーカーの嘘・後編
それからの阿部君は、素っ気ないくらいだった。
「じゃ、行くぞ」
そう言ってオレに背を向け、自転車にさっさとまたがってる。
一応、オレが自転車を出して来るまで、待ってはくれたみたいだけど――オレが自転車に乗るとすぐ、阿部君が先に行っちゃったんだ。
いつもはオレの斜め後ろにピタッとついて、じーっと舐めるように見つめて来るくせに。オレの前を走ってる阿部君を見るの、何カ月ぶりだろう?
前を走るっていっても、そんなスピード出してた訳じゃなくて、オレの普段の速さと同じくらいだった、けど。
でも、すごく違和感あった。
グラウンドに着いて、ベンチで着替えしてる間も変だった。
阿部君の着替えが早いのは、いつものことなんだけど――いつもなら、オレが着替え終わるまでずっと側にべったりで、しょっちゅう「手伝ってやるよ」って手が伸びてきたりするのに。
スパイクだってひざまずいて、履かせてくれたりしてたのに。
「早く着替えろよ」
阿部君はキャップを被りながらそう言って、さっさとグランド整備に行っちゃったんだ。
「え?」
びっくりして振り向いても、阿部君はこっちを見ない。
代わりに、阿部君とすれ違った花井君が、驚いたみたいにオレを見た。一瞬目が合って、気まずくてパッと目を逸らす。
そっから……栄口君が「ちわっ」って言って入ってくるまで、オレは顔も上げられなかった。
そう言えば、今朝何を食べたかも訊かれてない。昨日の夜の献立も。
夜、眠れたかどうかも。
変なの。阿部君の過干渉みたいなの、ちょっと困ってたハズなのに。ストーカーっぽいとか感じて、やめて欲しいなぁって思ってたくせに。
なんだか、気になって仕方なかった。
今日から朝練に加わった新1年生は、5人もいた。
「入学式すんだら、もっと増えるかもな」
田島君が嬉しそうに言って、ニカッと笑う。
オレは「う、うん」と曖昧にうなずいて、ちらっと阿部君の方を見た。
阿部君は副キャプテンとして、花井君や栄口君一緒に1年生の指導をしてる。
「これで阿部も、お前にべったりじゃなくなるな」
田島君の言葉に、ドキンとした。
泉君も。
「さすがに異常だろってとこあったし。ちょっとはマシになるといーけどな」
って。
そうだよね、異常だってとこあったよね。べたべた触られたり、じろじろ見られたり、トイレの回数や交友関係まで管理されてたり……家の周辺とか徘徊されてたり。異常だった、よね。
なのに――。
「よかったな?」
そんな田島君の明るい笑顔に、オレは即答できなかった。
投球練習の時は、いつも通り阿部君と組んだ。
「三橋ィ、防具……」
阿部君はいつものようにそう言い掛けて、だけど、「まあいーや」って呟いて口を閉じた。
オレが近付こうとしたら、手を振って遠慮された。
「いーよ。約束したもんな」
そう言われて、またドキンとした。
「約束ってなんだ?」
田島君に訊かれたけど、なんだか誰にも言いたくなくて首を振る。
その間に、投手希望の新1年生が「オレ、手伝います」って阿部君に言った。
「おー、ワリーな」
阿部君はそう言って、あっさりとその手伝いを受けている。
はあ、はあ、という阿部君の荒い息遣いが聞こえるような気がして、オレはぶんぶんと首を振った。
そして、準備してる阿部君の方を、見ないように背を向けた。
お昼を食べる時も、阿部君はオレの側に来なかった。
いつもなら、メニューを管理ノートに書き込んだりするのに。「よく噛め」とか「水分取り過ぎんな」とか、口うるさく言って来るのに――。
『つきまとうのやめるから』
今朝のその約束を、阿部君は守るつもりでいるのかな?
でも、ずーっと困ってたんだし、別にバッテリー解消とかそういうんじゃないし。スゴイ後輩が入って来たって、精一杯頑張るだけなんだから、阿部君がどうとかは関係ない。
だからこれでいいんだ、と、もそもそお弁当を食べながら思った。
食休み中に、「カレー食いてー!」と田島君が叫んだ。
「てめー、今メシ食ったばかりだろ」
泉君がベシッと田島にツッコミを入れ、田島君がゲラゲラと笑う。
オレもそれにつられて笑ってると、なんか元気出た。
「きょ、今日、うちカレーだ、よっ」
笑顔でそう言うと、田島君も泉君も、「いいなー」って笑ってくれた。
「オバサン遅くなんの?」
田島君が訊いた。お母さんが仕事で夕飯作れない時は、大体シチューとかカレーとか、よく作り置きしてくれるの、知ってるんだ。
「うん、今日は泊まりだ、って」
オレがそう言うと、田島君が「よーし、晩メシ食いに行ってやるよ」って。
「カレー食いてーだけじゃねーの?」
泉君のツッコミに、田島君はまたゲラゲラ笑った。
オレも、笑った。
練習が終わったのは、夕方の5時だった。
ベンチで着替えてる最中も、泉君と田島君と喋ってたから、もう阿部君のことは気にならなかった。
今日はアンダーもなくならなかったし、変なとこ触られなかったし、トイレにもついて来られなかったし、平和に過ごせたと思う。
これが普通なんだよね。
結局、田島君と泉君、2人ともうちに来てくれて。3人でカレーを食べて、野球のビデオ見たりゲームやったりして、9時まで過ごした。
「じゃーな、三橋」
「また明日な」
そう言って帰ってく2人を見送って、ふう、とため息をつく。
留守番するのは初めてじゃない。後は、戸締りを確認して、お風呂を入れて――。
オレは、やらなきゃいけないことを色々考えながら、玄関に入ろうとした。
と、その時。
ガサッ。
投球練習所の方で、ヤブをかき分けるような音がした。
一瞬思い浮かんだのは阿部君の顔だ、けど。でも、今朝約束したんだし、違う、よね?
「誰かいます、かー?」
オレは恐る恐る声をかけながら、庭の奥にじりじりと進んだ。
リビングから漏れる明かりを頼りに、池を越えて的のあるネットの方までビビりながら歩く。
バット持って来ればよかったかな、今から取りに戻ろうかな? 一瞬迷ってキョドったけど、なんとかネットのライトをパチンと点けて……。
「ひっ!」
オレは思わず、息を呑んだ。
だってそこには、誰かの足跡がいっぱいだったんだ。
阿部君の? でも、阿部君、もうしないって約束したし、関係ない、よね?
阿部君じゃなかったら誰だろう?
もしかして、今まで阿部君の仕業だと思ってたアレコレも――もしかして、他の誰かのせいだった?
ストーカーは2人いた、の?
「う、そ……」
オレは情けなくもガタガタ震えて、逃げるように玄関に飛び込んで鍵をかけた。
ネットのライトを消し忘れたのに気が付いたけど、もう戻る気にもなれない。
お風呂を覗かれたこともあったから、お風呂入れるのも怖い。
もう、今日は無しでいい、かな? 明日の朝入ればいい? そう思いながらリビングに戻ると――。
「う、え?」
かすかに、どっどっど、って水音が聞こえる。お風呂入れてる音? 何で? いつの間に? 誰が?
ギョッとして声も出せないで立ち尽くしていたら、リビングのドアがカチャッと開いた。
振り向くと、そこにいたのは阿部君で。
「風呂、もうすぐできるぞ」
阿部君はドアを閉めながらそう言って、ねっとりと笑った。
意味が分からなかった。
だって、阿部君、今朝約束した、よね?
もうつきまとわないって。言いだしたの、阿部君だったよね?
「な、な、な、な、なん、で? や、や、約、束……」
盛大にドモリながら尋ねると、阿部君は「ははっ」と笑ってこう言った。
「今日はエイプリルフールだぞ」
そして、1歩ずつオレに近付いた。
4月1日、月曜日――。2人だけの夜が始まった。
(終)
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