Season企画小説
Hの襲来・4
ブロードウエイと7番街、2つの道路が交差する42丁目から47丁目辺りを、「タイムズスクエア」と呼ぶ。
普段でも観光客でにぎわい、色とりどりのネオン看板がたくさん連なっているので有名だ。
昔は治安が良くなかったらしいが、今ではマンハッタンの中心とも呼ばれている。
そのタイムズスクエアの中心にある超高層ビル、ワン・タイムズスクエア・ビルの屋上に設置されたニューイヤーボールが、カウントダウンを示すシンボルだ。
イベントが始まるのは午後6時。以後、1時間おきにカウントダウンがされ、花火が上がる。そしてタイムズスクエアに設置されたステージでは、ゲストに選ばれたアーティストたちの、華麗なショーが行われる。
榛名が見たいのは、そのショーなのだろうか? それとも、新年のカウントダウン? 宙を舞う1トンもの紙吹雪?
どちらにしろ、もう入場規制はとうに始まってる時間だから、垣間見ることしかできないだろうけれど。
バスにも乗らず、セントラルパークに沿って南へと歩きながら、三橋はちらりと榛名を見た。
榛名は楽しそうに前を向き、大股で歩いている。
1時間おきのカウントダウン花火らしきものが、空の一角を染めるのが見えた。
さすがにステージの音は聞こえないが、祭りの気分は少しずつ高まっていく。
午後6時にポールの頂点まで引き上げられたボールは、11時59分からゆっくりと下降を始め、23メートルを降りて、0時丁度にビルに接する。
その瞬間、大量の紙吹雪が舞い、花火が上がり、人々は近くにいる人皆と、次々にお祝いのキスを交わすそうだ。
キス――。
阿部と行きたくて前に調べた情報を、ぼんやりと思い出しながら、三橋は少しうつむいて歩いた。
ずっと想像していた。紙吹雪の舞う中、人ごみの中で、阿部と自分がキスをする姿。だれとでもキスをし合う瞬間だから、きっと変な目でも見られない。
それは素敵な年明けになるだろうと、想像して憧れていた。
けれど今、三橋の脳裏に浮かぶのは、自分達のキスの姿だけではない。
疑いたくない、想像したくないのに、阿部が榛名にキスしてしまうのでは、と……考えてしまって、それが苦しくて、イヤだった。
榛名の顔も阿部の顔も見られないまま、うつむいて歩いていると、榛名が突然大声を上げた。
「うわー、スゲー人!」
ハッと顔を上げると、もう随分な距離を歩いていた。セントラルパークの南端に近付き、7番街とブロードウェイに人が密集しているのが見える。
ワン・タイムズスクエア・ビルははるか向こう、まだ影すらもない。
ただ、ブロードウェイの入り口に設置された、巨大な特設スクリーンが、タイムズスクエアの様子を中継で映していた。
「もう、ここでよくねー?」
阿部が低い声で言った。不機嫌さを隠そうともしていない声だ。
ドキッとした。
いつもいつも自分を甘やかせてくれる阿部だから、たまに不機嫌になられると、泣きそうなくらい不安になる。
「間近で紙吹雪浴びて祝いてーんなら、昼過ぎから並んでねーとダメらしーっスよ。このくそ寒い中、トイレにも行けねーで、バカバカしい。他人の頭ばっか眺めて過ごすより、スクリーン越しのカウントダウン、こっから見てる方が賢いんじゃねーっスか?」
辛辣な意見だが、的を得ているように思う。ここなら、現場の熱気は半減されるが、カウントダウンの様子はスクリーン越しによく見える。
事実、そういうつもりでスクリーン前に陣取っている人は多そうだ。
ここでスクリーンを見るか。それとも、スクリーン・ビューを捨て、人の頭しか見えないのを覚悟で、少しでも現場の空気を味わう為に前に進むか。
阿部は榛名に「どうするっスか?」と二択を迫り、さらにこう付け足した。
「オレの1番のおススメは、このままUターンしてアパルトマンに帰り、ワイン飲みながらTV中継を見るって事っスけど」
しかし、榛名はあっさりと阿部の意見を却下した。
「はーあ? いーじゃん。先行こうぜ」
そして三橋の顔を覗き込み、同意を求めるように「な?」と笑った。ポンと頭を撫でられる。
「ちょ……!」
阿部がまた、怒ったように割り込んで来たが、榛名は怯みもしない。
「なあなあ、ロックなんとかのツリーも近ぇーんだろ? そこ寄って行こうぜ」
などと言っている。
榛名が言うツリーとは、おそらくロックフェラーセンターのクリスマスツリーのことだろう。世界で最も有名なツリーの1つ、と言われている。
5番街と6番街の間にあり、確かにタイムズスクエアからも近い。
しかし、逆に高層ビル群を間に挟んでしまい、おそらくその場所からはニューイヤーズボールも何も見えないのではないか。
下手すると、花火すら危うい。
音は聞こえるだろうから、臨場感は少しは増すかも知れないが……。
「はあ? 行き当たりバッタリで無茶言うな!」
阿部が大声で怒鳴るのも、無理はないと三橋は思った。
ここからならば、かなり歩く。
しかし榛名は自信たっぷりに、「ちゃんと調べたっつの」とコートのポケットから紙を出した。
4つ折りになっているのを広げると、NYの地図のようだ。あちこちに赤丸がついている。
覗かせて貰ってよく見ると、丸の1つは三橋達の住むアパルトマンのようだ。後はワン・タイムズスクエア・ビルと、ロックフェラーセンター……ブロードウェイ沿いにも、1つ丸がついている。
調べて来た、というのは間違いなさそうだ。アパルトマンの丸の横には「4−B」と部屋番号が書き込まれ、ロックフェラーセンターの丸の横には、「12/31 〜21:00」と、おそらくライトアップの終了時間が書き込まれている。
もう1つの丸は何なのか……。ちょっとだけ気になったが、三橋は何も訊かないことにした。
阿部も同じなのだろうか、はあ、と大きなため息をついて、榛名に言った。
「……9時までに行けるとは限んねーっスよ?」
そう言うからには、どうやら行くことにしたようだ。
文句を言ったり、反対したりしつつ、結局榛名の意思を尊重する阿部。
榛名はイイ人だし、スゴイ人だし、渡米したばかりなのだから、なるべくもてなしたいと思うけれど――。自分以外の人に甘い彼の姿は、やっぱりあまり見たくなかった。
(続く)
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