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Season企画小説
キッスオブファイア・後編
 阿部にデリカシーとか思いやりとか、そういうのが欠けてんのはとうに知ってた。求めてもいなかった。
 けど、これは有り得ねー。
 なんでオレらの行きつけの場所に、女連れて来る訳? 今日オレらがここで飲んでるって、三橋に聞いてなかったんか?
 いや、仮に聞いてなくても……こういう鉢合わせを避けるために、もうちょっと違う店を選ぶべきだろう?
 なんだ、その女!? 恋人いるくせに、堂々とデートなんかしてんじゃねーっつの!

 阿部は女に席を勧め、コートも脱がねーでその向かいにドサッと座った。そして、体ごとこっちを振り向いた。
 ケンカ売ってんのか!? 一瞬そう思ったけど。
「……あっ」
 オレ達と同じく固まってた浜田が、ハッとして阿部の方に向かった。バーテンを呼びたかっただけだったみてーだ。
 つーか、だったら手ぇ上げるとか呼ぶとか、リアクションしろっつー話だよな。相変わらずエラそうなヤツ。

「ドライマティーニ。オリーブ抜き」
 阿部はメニューも見ねーでそう言った後、連れの女に「お嬢さんは?」と声をかけた。
 「お嬢さん」ってことは、誰かの娘? やっぱこの間の見合い相手か?
 女は高そうな白いコートをゆっくりと脱ぎ、上目遣いでメニューを見てる。
「私、お酒はよく知らなくて。阿部さんのお勧めは何ですか?」
 媚びたように上目遣いで笑う女。阿部のコト気に入ってんのモロ分かりな態度だ。

 一方の阿部はっつーと、またメニューもろくに見ねーで「日替わり、何だっけ?」とか浜田に訊いてる。
 日替わりって何だ。定食かっつの。
「本日のお酒は、『キッスオブファイア』です」
 律儀に答える浜田に「じゃあ、それで」つって、阿部は女に向き直った。

 一瞬、ちらっと目が合った。いや……オレじゃなくて、三橋を見たんかな? 図々しい。
 三橋はと思って横を見ると、まだ固まったままだった。信じらんねーって顔で目を見開いて、阿部を呆然と見つめてる。
 オレはたまらず肩を抱いて、三橋を無理矢理カウンターに向き直させた。戻って来た浜田もカウンター越しに手を伸ばし、三橋の頭をぐいぐいと撫でる。
「他の店行くか?」
 そう言いながら腰を浮かせると、三橋は黙って首を振った。
 ……まあな、気になるよな。オレだって気になる。
 阿部は、オレらの顔見ても動揺してねーし。ってことは、罪悪感ゼロってことなんだろうし。それで女とどんな会話すんのか、一言も漏らさず聴いてやりてぇ。

「泉の誕生日だし。今日はオレの奢り〜」
 浜田が陽気に言いながら、ワイングラスを2つ出した。それに赤ワインを注ぎ入れ、オレらの前に置いた。
「これミートスパに合うと思うんだよね。冷めないうちに食べちゃって、三橋」
 三橋は「う、ん」とうなずいて、でもフォークには手を触れなかった。代わりにワイングラスに手を伸ばすのを、すきっ腹はヤベェよなぁと思いつつ、止めらんねぇ。

 せめて気を逸らそうと、オレは三橋の脇腹をヒジで軽く突いて、浜田の方にアゴを指した。
「ほら、バーテンさんが格好よくシェーカー振るぞ」
 オレの軽口に、浜田は「見ててよ〜?」って陽気に言ってくれたけど、三橋はぼんやりと視線を向けるだけだった。
 長い付き合いだから、いい加減分かる。三橋がこういう顔してる時は、大体ぐるぐると考え過ぎてる時だ。
 「考えんな」っつっても考えちまうよな。どうしようもねぇ。はー、とため息がでる。

 じゃあ一方で阿部はっつーと、相変わらず女に上目遣いで見つめられてる。
「キッスオブファイアって、ロマンティックな名前ですのね」
 女が、阿部に媚びるように言った。
 そのキッスオブファイアを作り終えたみてーで、浜田がトレーにグラスを乗せて、カウンターを出た。
 トレーの上には、ショートのカクテルグラスが2つ載ってる。透明な酒と、赤い酒。
 その透明な方を手に取って、でもグラスを掲げたりはしねーで、阿部が言った。
「お嬢さん、今日は先日の返事を……」

 はあ!? と思った。返事? 見合いの? まさかこの場で、恋人の前で、OKしたりはしねーよな?

 ハッとして三橋に視線を戻すと、三橋はカウンターに体を向けたまま、ワイングラスをあおってる。
 さっき浜田に出して貰った赤ワイン。
 あっ、しかもそれ、オレのじゃねーか! 三橋の横にはすでに、空になったグラスが置いてある!
「おい、てめっ」
 強引にグラスを取り上げようとしたら、「やっ」と甘えた声で拒否された。……酔ってる。
 パスタにゃ手ぇつけてねーし。すきっ腹に3杯目じゃ、まあ酔いが回んのも早ぇよな。

 あっという間にワインを飲み干し、三橋はゆらりとイスを降りた。
 トイレか? それとも店を出んのか? 意外にも真っ直ぐ立ってる事に感心しつつ、後を追うように席を立つと――三橋は。1歩2歩、店の奥、阿部の方に歩いて止まった。
「阿部、君」
 三橋が阿部に声をかけた。連れの女が、驚いたように三橋を見る。けど、阿部はちらっとも振り向かねぇ。
「大事な話してっから、黙ってろ」
 阿部が低い声で言った。

 カチンと来て、ムカッとした。けど、三橋は怯まねぇ。酒の力借りてんのか、尚も言った。
「オレ、お見合いのこと、聞いてない、よっ」

 うわっと思った。だってタイミング悪ぃ。やっぱ酔ってんな。
 ちっ、と阿部の舌打ちが響く。面倒臭そうなため息に、オレの胸の方が痛む。
 もういい、もうやめろ。そんな男、お前から捨てろ!
 オレはそう思って三橋の腕を掴んだ。けど、その手はあっさりと、三橋に振り払われる。

「三橋っ」
 オレが呼ぶのと、ほぼ同時だった。三橋が――阿部に抱き付き、強引にキスしたのは。

 ギョッとして固まった。オレも、浜田も。そして、阿部の連れの女も。
 店内の視線を浴びまくりながら、三橋は恋人に長い長いキスをして……そして、言った。
「阿部君はオレの、だ!」

 信じらんねぇ。これホントに三橋か? 三橋らしくねぇ……いや、昔マウンドに執着してた事考えると、やっぱ三橋らしいって言えんのか?
 三橋の顔はもう真っ赤で、酔いのせいなんか興奮のせいなんか、もうよく分からなかった。
 フォローしようにも動けねぇ。
 永遠にも感じられた緊迫の数秒後……痛いくらいの沈黙を破ったのは、阿部のくっくっとおかしそうな笑い声だった。

「下んねー見合いのコトなんか、いちいち言う必要ねーだろ? すぐ断るに決まってんのに」

 阿部はそう言って、またくつくつ笑いながら、今度は自分から三橋を抱き寄せ、キスしてる。
 そんで、唇を離した後、阿部は女の方をちらっと見た。女は、まあ当然だけど、ぽかんと口を開けて固まったままだ。
「さっきのお話の続きですけど、お嬢さん」
 阿部の声に、女は聞いてんのか聞いてねーのか、反応もねぇ。けど、阿部は構わずこう言った。
「ご覧の通り、情熱的な恋人がいますので。あなたとは交際できません、すみません」

 三橋をしっかり腕に抱いたまま、阿部は形ばかりに頭を下げて、ドライマティーニを一気にあおった。
 タン、と音を立ててグラスを置き、「では」と言い捨てて立ち上がる。
 三橋は阿部に肩を借りて、ぐったりと寄り添ってる。つーか、これ、もう半分寝てねーか?
 呆然と立ち尽くしてるオレの横を通り抜け、すれ違いざまに、胸ポケットに万札を1枚差し込んで。阿部が言った。
「誕生日おめでと。ワリー、また今度な」

 そして……イスに置いてあった三橋のコートを回収し、三橋を連れてさっさと店を出て行った。

 カランカラン、と静かなドアベルの音が鳴って、ようやく頭が動き出した。
 つーか、えーと、どうなったんだ? オレが見たのは現実か? 説明を求めて浜田を見ると、浜田はトレー片手に、三橋みてーにキョドってる。
 振られた女は、固まったままだ。
 そりゃまあ、ショックだよな。阿部のコト好きだったんだろうし。それを目の前で、恋人に、しかも男にあっさり奪われちまったんだから。

 オレは、はあ、と今夜何度目かのため息をついた。そして、胸ポケットから阿部の万札を取り出し、浜田のトレーの上に置いた。
「あ、の……」
 女が、おずおずと口を開いた。
「今のは……」
 今のは? 現実ですかって? 残念ながらそうだ。もう笑うしかねーっつの。オレも、あんたもな。

「ヤケ酒なら付き合いますよ」

 オレは、ははっと笑って、阿部にフラれた女を見た。
 その手元には、皮肉な名前のオレの誕生酒があって――バカップルの被害者同士、ヤケ酒を一緒に飲むのも、まあいーんじゃねーの、とちょっと思った。

  (終)

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