Season企画小説
キッスオブファイア・前編 (2012泉誕・社会人)
20代も後半になると、誕生日にゃケーキより酒だろう。
三橋もそれは分かってたみてーで、「奢る、から飲みに行こう」って誘われた。つっても、いつもの行きつけのバーだけど。
そこではオレらと古い付き合いになる浜田が、バーテンとして働いてる。
たまには目新しいシャレた店にも行ってみてーような気もするけど、結局ここに来ちまうのは、やっぱ居心地がいいからだろう。
道路から階段を数段下った先の、深緑色の扉の前には、小さな黒板が置かれてる。
『本日のお酒:キッスオブファイア』
黒板にはそう書かれてた。
「へぇ」
珍しく知ってる名前のカクテルだ。
オーナーの趣味なんかどうか知んねーけど、この黒板には年がら年中日替わりで、いろんな名前のカクテルが書かれる。
定番のカクテルもあれば、一見で読めねぇ名前のカクテルまで。
つーか驚くべきなのは、あのバカの浜田が、相当数のレシピをちゃんと理解してるってコトだよな。
まあ、今日のカクテルはメジャーっぽいから、「カンペ無しで作れ」つっても、作れそうだけど。
キッスオブファイア。
「これ、名前は知ってっけど、飲んだことねーなぁ。な?」
同意を求めたら、三橋は「うえっ?」と素っ頓狂な声を上げて、キョドキョドと視線を巡らせた。
聞いてなかったみてーだ。まあ、いーけどさ。 ついでに言うと、三橋が上の空になってる理由も分かってる。
恋人が見合いしたって話を聞いたからだ。しかも、過去形で。
オレの誕生日に「飲もう」とか言い出したのも、もしかしたら三橋自身、飲みてー気分だったんかもな。
酒でも飲まなきゃやってらんねーっつーか……酔ってねぇと1人じゃいらんねーっつーか……。まあ、理由が何でも、奢ってくれんなら文句はねーけど。
つか、三橋とも三橋の恋人とも長い付き合いだし。特に三橋はオレの弟分だし、兄貴としちゃ放置もできねーよな。
「何でもねぇ。行こうぜ」
オレはそう言って、三橋の肩に腕を回した。
ドアベルを鳴らして店内に入ると、カウンターの中にいた浜田と目が合った。
「泉、三橋も。いらっしゃい」
薄暗い店内に似合わねぇ、明るい声、明るい笑顔。
まだちょっと早めの時間のせいか、客はまばらだ。つっても、満席とかになってんの見た事ねーけど。
「相変わらず暇そうだな」
そんな嫌味を言いながら、三橋を連れてカウンターに座る。
「で、でも、オレ、この店、好きだ」
三橋がそう言うと、浜田は「サンキュー、三橋」つって、カウンター越しに頭を撫でた。
三橋が笑顔になると、オレも嬉しい。それは多分、浜田もだろう。
「まずはメシ食おうぜ、浜田の奢りで」
オレは三橋と一緒にメニューを覗き、パスタがいいかチャーハンがいいか、ぐだぐだとだべりながら笑い合った。
けど、その三橋はっつーと……やっぱどこか上の空だった。
恋人の見合いの話を聞いた後――どうなったんかは知らねぇ。
ケンカしたのか、仲直りしたのか、それとも許したのか。まさか、別れたりはしてねーと思うけど。
ただ……うまくいってるようには見えなかった。
ぼうっとしてる三橋を眺めながらぼうっとしてたら、目の前にコトンとカクテルグラスが置かれた。
塩、じゃなくて砂糖? で縁取られたグラスには、真っ赤な液体が入ってる。
「誕生日、おめでと」
三橋の前にも同じ物を置きながら、浜田が器用にウィンクした。
キザな仕草が恐ろしく似合わねぇ。はっ、と笑える。
「覚えてたんか、まあ当然だけど」
言いながら、オレはグラスを手に取った。浅い三角のグラスの中に、濃い赤の酒が揺らめいてる。
「当たり前じゃーん! ……って言いたいとこだけど、ゴメン、それ作ってて思い出した」
「はっ、何だそれ」
笑いながら、グラスに口を付ける。
甘くて濃くて、いい匂いの酒。飲み下した喉から、カッと熱くなった。
もしかしてこれ、スゲーアルコール度数高ぇんじゃねー? 三橋は大丈夫か?
ハッと横を見ると、三橋のグラスはもう空になっていた。
「これねー、泉の誕生酒だよー」
浜田は三橋の様子に気付いてねーのか、能天気に解説してる。
どうもこの店の「本日のお酒」っつーのは、誕生酒を意識して選ばれてたらしい。うるう年も含めて366日、それぞれに誕生酒があるんだと初めて聞いた。
つーか、そんなにカクテルに種類があったってのも驚きだ。
「泉君、のお酒だ、ねっ」
三橋は赤くなった顔でそう言って、ニカッと笑った。……酔ってる。
すきっ腹に、こんな強い酒飲むからだろ。つーか、バーテンならもうちょっと客のペース考えろ、浜田。
じろっと睨むと、浜田はいかにも「しまった」っつー顔をして、ワザとらしくパスタ鍋を見に行った。
三橋はっつーとカウンターに肘をついて、「阿部君お酒、もあるのかな?」とか、誰にともなく呟いてる。
阿部っつーのは、三橋の恋人で、男だ。
こんな可愛い、しかもオレの弟分を恋人に持ちながら、上司の娘と見合いしたヤツ。
まあな、そりゃ会社員っつーのは、上司に睨まれちゃお終いだし。会いもしねー内に見合いを断れねーっつーのも、まあ分かる。
「まず会ってくれ」って言われるだろうってのも分かる。
けど、だからって泣かしていいって訳にはならねぇ。もうちょっと、うまいやり方があったハズだろ。
つーか、何で……阿部は。「義理で見合いすることになった」って、先に三橋に言わなかったんだ?
それがオレには、どうにも理解できなかった。
やがていい匂いをさせながら、浜田がミートスパを持って来た。缶詰使ってんのモロ見えだったけど、敢えてそこには目をつむる。
「お待たせ〜」
陽気な声とともに、オレらの前に皿が置かれる。
「バーテンさ〜ん、これに合う酒も出してよ」
オレの軽口に、浜田が「じゃ〜、ワインかな〜」と笑い、三橋も赤い顔でニコニコ笑って……と、そんな時だった。
カランカラン。シンプルなベルの音と共に、深緑色のドアが開いた。外の冷たい空気と一緒に、女連れの客が入って来る。
「いらっしゃい……ま、せ」
さすがの浜田も、声が途中で強張った。
カチャン、と耳障りな音を立てて、三橋が皿にフォークを落とした。
オレらの方をちらっと見て、そのまま女をエスコートしながら奥のテーブルに座ったのは――三橋の恋人の、阿部だった。
(続く)
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