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Season企画小説
ヘルメスの下で・後編
 休憩した後、シャワーを浴びたのだろうか。
 夕方に再び合流した阿部と三橋は、かすかにボディーソープの匂いをさせて、小ざっぱりした服に着替えていた。
「ちょっとは休めた?」
 オレが訊くと、阿部が「はい」とうなずいた。服装だけじゃなく、なんだか表情もさっぱりとしてる。

 会場はしゃれたレストランなんかじゃなく、ただの榛名のマンションだから、2人もラフな格好だ。それでも周囲に比べたら、かなり小ぎれいな方だろう。
 何しろこっちの人間は……ジャンクフードにまみれてる。体型がそれなりになってしまえば、それなりの服しか着れず、そして美からは遠ざかって行く。
 スリムでスマートでオシャレな男性を見かけると、それは大抵ゲイだって話だ。

 もっとも、阿部も三橋もゲイじゃない。
 男同士で恋人だけど、それぞれは決してゲイじゃない。ただ、運命の相手がたまたま同性だっただけなのだ。
 だからこそドラマチックだと思うし、だからこそ、味方は少ないだろう。
 ――女性がダメな訳じゃないのなら。

 地下鉄で移動しながら、オレは2人をそっと見た。
 3時間ほど休憩して、それなりにリラックスできたのだろうか? 肩の力が少し抜けて、距離がまた少し近付いた気がする。
 手が触れ合ってもおかしくない距離。そのまま自然に繋げる距離。
 誰も見てないんだから、手を繋いじゃえばいいのに。オレは何度も、そう言いかけた。

 榛名がレストランを予約せず、簡単なホームパーティーにしようとしたのは、2人に気を遣わせないためなんだろうか。
 ピザ。サンドイッチ。マッシュポテト。フライドチキンに、エビサラダ……それから、毒々しい水色のケーキ。
 近所のフードマーケットで、昼間オレが買って来たものばかり並べて、乾杯した。

 もっと早くに言ってくれてれば、ケータリングとか予約できたのに。
 けどまあ、榛名の誕生日だし。
 本人が、そんな料理でいいって言うならいいんだろう。というか料理は二の次で、単にトモダチと、周りを気にせず騒ぎたいだけだったのかも知れない。
 自分で望んだことだけど、榛名もまた、他人の目を気にして暮らす立場だ。
 世間の目は、日本ほど厳しくはないけれど……やっぱり、根っからの日本人だから、これでも姿勢を正して生きてるんだろう。

「すごいケーキです、ねぇっ」
 三橋がはずんだ声で言った。
 昼間、ふらっと立ち寄ったキャンディショップでも、そう言えば彼は随分喜んでいた。毒々しい原色のキャンディや、意味不明な形のグミにウケていた。
「まーな、でもこりゃースーパーで買った、市販のケーキだからフツーだぞ。来年は特注で、スッゲーの用意してやっかんな」
 榛名は陽気にそんなことを言って、豪快にケーキを切り分けた。

 もう来年の約束か。
 来年も2人は来るだろうか。2人で揃って来てくれるだろうか?

 オレは、バカな話に適当に相槌を打ちながら、静かに写真を撮っていた。
「1人4分の1、ノルマだぞ」
 榛名に大味なケーキを押し付けられ、フォーク片手にげんなりしてる阿部の顔も撮った。
 大口開けてサンドイッチを頬張ってる三橋も撮った。
 「榛名の恥ずかしい写真も、後で送ってあげるよ」
 そう言うと、阿部も三橋も、楽しそうに笑ってた。

 榛名も、珍しく上機嫌だった。
 ゲラゲラと大声で笑うのを久々に見た気がする。外で呑む機会はあるんだろうに、やっぱり酔えないでいたんだろうか。
 酔った榛名に頭を撫でられたり、からかわれたりしてる2人も、とても嬉しそうで幸せそうだった。

 明日は、榛名が投げる。先発の予定だ。
「格好イイとこ見せてやる」
 榛名は酔った赤い顔で、でも自信満々にそう言った。
 酔った榛名を放置して、オレは予定通り、2人をホテルの最寄駅まで送って行くことにした。

 ニューヨークの地下鉄は、今では落書きもなくなって随分マシなイメージになった。
 これは、車両を日本製のに替えたら、落書きが落としやすくなったから――なんだそうだ。
 塗料が違うのか、コーティングが違うのか? 描いても描いてもすぐに消されるんで、やがてアーティストたちも音を上げたらしい。
 とにかく車両がキレイだと、多少臭くて清潔じゃなくても、それなりに安全に見えるから不思議だ。
 けど……やっぱり、酔ったビジターを二人きりで帰らせるのには抵抗があった。乗り換えも心配だったし、それに、もう少し彼らの側にいたかった。

 車内では、榛名のことをさり気に訊かれた。最近の調子がどうとか、色々多忙なのかとか。
「昨日も多分、帰ったのは日付変わってからだったよ」
 そう言うと、驚いていた。確かにそんな話は、なかなか知らされないと思う。
 あいつの、妙にはしゃいだ様子が気になったんだろうか? 空元気に見えた?

「キミたちに会えて、嬉しかったんだよ。また来て、応援してやって」
 1人で立ってるように見えて、実は意外に寂しがり屋なヤツだから。
 傲慢で強引でわがまま放題に見えるけど、一応相手は選んで言ってるようだから。
 オレの言葉に、2人は戸惑いながらもうなずいていた。

 地下鉄を降りて改札を抜ける直前、「ここで大丈夫です」と阿部に言われた。
 まあ確かに、ヒルトンガーデンは駅からそんなに遠くない。背が高いから分かりやすいし。
「分かった、じゃあ気を付けて。また明日」
「はい、ありがとうございました」
 律儀に頭を下げつつ、改札を抜けて行く2人を、オレは手を振って見送った。
 そして回れ右しようとして、ハッとした。

 明日の集合時間を決めてない。
 試合開始時間は夜の7時過ぎだけど、それまでどうすんのかな? 2人水入らずで観光したいんだろうか?
 オレは慌ててメトロカードを取り出し、自動改札を抜けて後を追った。
 地上に上がる階段を駆け上がり、通りに出て左右を見て、2人のシルエットを探す。
「あ……」

 2人はすぐに見つかった。街灯りの中、寄り添って歩いていた。
 阿部が三橋の肩を抱き、三橋は阿部の腰に手を回していた。
 恋人の距離で。
 自然に。
 声を掛けられずに見送っていると、2人がふと立ち止まった。
 オレに気付いた訳じゃない。信号が赤だった。

 恋人たちは、横断歩道のすぐ手前で立ち止まり――そして、軽いキスをした。


 誰も彼らを見咎めない。
 誰も彼らを差別しない。
 誰も……彼らを、特別視しない。ここは自由の街だから。

 なんだ、オレが余計な気を回さなくても、ちゃんとそうやって歩けるんじゃないか。
 オレは一旦メガネを外し、涙をぬぐって苦笑した。
 そして、ちょっとだけ後悔した。
 さっきのシーン、写真に撮っておけばよかった。そしたら――きっと榛名への、いいプレゼントになったのに。

  (終)

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