小説 1−16
タイムカプセルのチョコ (大学生・バレンタイン)
「レン!?」
発熱の名残でぼうっとしてたオレの耳に、恋人の絶叫が響いて来た。
大学進学を機に始めた1人暮らし、1LDKのアパートの中にはオレと阿部君との2人だけ。ベッドに座ってるオレから、阿部君が冷蔵庫の前にいるのも丸見え、だ。
いつもなら飛び上がって驚いてたんだろうけど、いつもより頭の回転が遅くなってて、何だろうって首をかしげる。
思考回路が、うまく繋がってない感じ? ぽわぽわして、何が何だかよく分かんない。
「オレという者がありながら、このチョコは何だ!?」
ぐいっと目の前に差し出された、ミントグリーンの箱をぼんやり眺める。なんだか見た覚えのあるような、ないような箱だと思った。
えっと、何だっけ? なんで見覚えあるんだっけ?
っていうか、それってチョコ、なの、か?
理解できないまま、こてんと首をかしげると、阿部君もようやくちょっと落ち着いたみたい? 「レン?」って呼びかけながら、オレの目の前で手を振った。
「ちゃんと起きてっか?」
「ん? ……うん」
いくら何でも起きてるか寝てるかは自分でもわかるつもり、だ。多分、起きてるハズ。夢じゃない。
「熱は?」
そう言いながら、額に当てられた彼の手は、冷え冷えですごく冷たい。きっと、冷蔵庫の中の何か冷たい物触ったんだろう。
「うひっ、冷たい」
笑いながら避けると、そのままばったりと仰向けにベッドの中に倒れ込む。倒れるつもりはなかったんだけど、なんかフラついて、そういう感じになってしまった。
風邪はだいぶ治ったと思うんだけど、まだちょっとぼうっとしてるんだろうか?
それとも薬のせい?
ぽやっと阿部君を見上げると、じとっとした目で睨まれる。
「こら、このチョコは何だ、って」
不機嫌そうな声と共に、ぺたっと額に何かが押し付けられたけど、何のことかは分かんなかった。ただ、すごく冷たくて、「うひゃっ」ってなった。
「これ、バレンタインのチョコだろ? 誰から貰ったんだ? いつ貰ったんだ? おい。誰かが持って来たんじゃねーの? お前以外に冷凍庫に誰が入れるっつーんだよ? まさか誰か部屋に上げたんじゃねーだろーな?」
ぐいぐいと詰問されたけど、頭の中がふわふわしてて、何のことか分かんない。バレンタイン? あれ、いつだっけ? もう過ぎたっけ?
寝込んでる間にお祭りが過ぎてしまった気がして、ちょっと残念。
別に、女子からチョコが欲しいとか、そういうんじゃないんだけど、この季節限定で美味しいチョコが売ってたりするから、売り場を見るだけでも楽しめた。
「チョコ、食べる」
阿部君に向かって手を伸ばすと、「こら」って短く叱られた。ぺしっと額を叩かれて、痛くないけど悲鳴を上げる。
「くそ怪しいチョコなんか食うな! 食うんなら、オレの持って来たチョコ食いな」
「チョコ……」
阿部君が、買ってくれたのか。チョコ。そう思うと、地味に嬉しい。
どんなチョコだろう? ビター? ホワイト? 可愛いの? 渋いの? お酒入りとかもいいし、ドライフルーツのとかも好き、だ。
にへっと笑いながらよいしょと体を起こし、再びぼうっとベッドに座る。
やっぱり、喉も頭も痛くないし、咳も出ないし、大分治った感じ。内科で貰った薬がなくなったのとちょうど一緒で、偶然かもだけど、すごいなぁって思った。
寝込んでる間、お母さんも1回か2回様子を見に来てくれた気がするけど、熱でうんうん唸ってたから、正直あんまり覚えてない。
内科に連れてってくれたのは阿部君で、オレの代わりに薬局で薬を受け取ってくれたのも阿部君だった、のは覚えてる。
「そんなんじゃ、誰かがホントに上がり込んでたって気付かねーんじゃねーの?」
そんなことをガミガミ言われたけど、合鍵持ってるのはお母さんと阿部君だけ、だし、それ以外は多分ない、ハズ、だ。
おかゆを持って来てくれたのは、阿部君だっけ? お母さんだっけ? 栄養ゼリーと、経口補水液を、いっぱい用意してくれたのは、どっちだっけ?
あれはすごく助かった。
阿部君がお世話してくれたのも助かった。
着替えついでに、体を拭いてくれたりしたのは恥ずかしかったけど、こんなこと阿部君以外に頼めないし。阿部君がいてくれてよかったなってしみじみ思う。
こんな優しい人が恋人で、幸せ、だ。
思ったままのことを口にすると、阿部君はちょっと照れ顔で「感謝しろよ」なんて言って来た。
その優しい恋人が差し出してくれたチョコは、アイスだった。棒つきので、バニラの上にチョコがたっぷりかかってるやつ。大箱入りだとお買い得なのに、リッチな味でオレ、好きだ。
「残りは冷凍庫に入れとくからな。味わって食えよ」
阿部君の言葉に、「うん」とうなずく。大箱のって、何個入りだっけ? すぐに食べちゃいそうだけど、それだと勿体ない気もする。
でもアイスなら、賞味期限とか気にしないで食べれるから、ゆっくり食べても大丈夫。
冷凍庫に入れとけば、大体の物は大丈夫、だし。それがアイスなら最強、だ。
うむうむとうなずきながら、ぼうっと透明の内袋を開けて、冷え冷えのアイスを取り出す。
はむっと噛みつくと、濃厚なチョコに混じってリッチなバニラの味がする。冷たい。美味い。1口2口食べてる内にちょっと体温下がったのか、ぼんやり度が薄くなった、かも。
「美味い?」
阿部君の問いかけに、「う、まい」って正直に答える。
「じゃあ、こっちの不審物はいらねーよな?」
そう言ってちらりと見せられたのは、さっきも見たミントグリーンのチョコらしき箱だ。ラッピングがミントグリーンで、リボンがこげ茶だから、チョコミントっぽくてそれ自体が美味そう。
「ふ、不審物、って」
箱に向けて左手を伸ばしたけど、阿部君によってひょいと遠ざけられて、よく見せても貰えない。
「だってオレ以外の誰かから貰ったんだろ? しかも、お前がウソ言ってんじゃねーんなら、貰った記憶もねーんだろ? 不審物じゃねーか!」
「そ……」
そう言われればそうかも知れないけど、何か見覚えある気もするし、チョコに罪はないと思う。
阿部君が言うには、その箱は冷凍庫の隅っこに隠されてたんだって。冷食のラーメンとかに埋もれて、パッと見だと分かんないトコにあったって。
「オレの目から隠そうとしたんじゃねーのか?」
ぐぬぬ、と歯噛みしながら凄まれて、その迫力にちょっとビビる。格好いい顔が台無し、だ。
「オレがアイスの大箱買って来なきゃ、ずっと分かんねぇままだったぞ。オレ以外のチョコがお前んちの冷凍庫にずっと居座るとか、想像しただけでキモいっつの。それが狙いか!?」
「う、ええ……」
迫る恋人から目を背け、取り敢えず右手に持ったままのアイスを口の中に片付ける。甘くて美味しいけど、なんだかじっくり味わってもいられない。
でもまあ、アイスは逃げないし、阿部君が帰ってからまたゆっくり味わってもいいなと思った。アイスは腐らないし、冷凍庫は頼りになる。食パンだって、冷凍庫に入れとけば、カビも生やさずにすむんだよ?
チョコだって、溶けずにずっと美味しいまま、だ。
と、そう思ったところで――ミントグリーンの箱に、見覚えがあった訳を思い出した。
「うおっ、それ、オレが買ったやつ、だ。去年」
オレの言葉に、「は?」と目を見開く阿部君。オレから遠ざけてた箱をじろじろ眺め、「うわ……」って眉をしかめてる。
「20××バレンタインって、去年のシール貼ってあんじゃん。マジか」
「そ、そ、オレ、の」
こくこくとうなずき、ベッドからそろそろと立ち上がる。
オレ、バレンタインコーナーとか、自分で色々見て回るの、好きだ。女子から貰いたいとか、そういうんじゃなくて、自分で自分のためにチョコ買ったりしたい。
バレンタイン限定のとか、美味しくて特別なのあったりする、し。売り場を1人でキョロキョロするのも、イベントって感じで楽しめた。
勿論、去年は阿部君にも買った。今年は風邪で寝込んでる間に過ぎちゃったけど、それがなければ行ったと思う。
限定品で、特別で、なんだか食べるのも惜しくなってしまいこんじゃうこともあるけど、冷凍庫は万能だし、チョコにカビなんて生えないし、溶けないんだから大丈夫。
「まるで、た、タイムカプセル、みたい、だ」
うへっと笑って、すっかり忘れてたチョコを1年越しに味わうべく手を伸ばす。けど、その手にチョコが触れることはなかった。
「何言ってんだ、賞味期限切れてんだろ!」
そんなツッコミと共に額をトンとはじかれて、よろめくままベッドに戻される。あっ、と思ったときには名残惜しく握り締めてたアイスの棒が抜き去られ、代わりに阿部君の指を右手にぎゅっと絡められた。
「オレのチョコってモノがありながら、他のチョコも欲しがるってのはどういうつもりだ?」
「ど……」
どういうつもり、って。と口にしかけた反論が、キスの中に溶かされる。
他のチョコって言ったって、あれはオレのだし、他から貰った訳じゃないし、チョコに罪はない、よね?
ない、はず、だ。
「……ん」
久しぶりのキスに応じてる間に、ぐるぐる渦巻いてた考えが、マーブル模様に溶けていく。
こんなので誤魔化されないぞ、って思った。チョコ、オレ、忘れない。オレのチョコ。
けど、発熱の名残と薬のせいとでぼうっとしてたオレには、ハードル高く、て。
あれ、何だっけ? と思ったのは、阿部君にオレもチョコも美味しく頂かれてしまった後だった。
(終)
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