小説 1−16 どういう関係か分かんない男と、夏・後編 「梅雨って、明けたんだっけ?」 水に体を預けてぼんやり空を眺めながら呟くと、「だいぶ前にな」ってぼそっと言われた。 「お前、朝からずうっと何考えてんのかと思ってたけど、そんなこと考えてたのかよ」 くくっと楽し気に笑われて、再び唇が不満に尖る。 「ち、がうよっ」 「じゃあ何?」 何って訊かれても、とっさには答えられない。強いて言えば、ずうっと考えてたのって阿部君のことなんだけど。でも何か、こうして一緒に行動してると、どうでもよくなって来たのが不思議だ。 「オレたち、付き合ってんのかなー、とか」 「何だそれ」 オレの呟きに、阿部君がぶはっと吹き出す。完全に冗談だと思われてるっぽい。深刻な顔されても嫌だけど、それはそれでどうなのって感じだ。 「もう、いつまで笑う……」 くっくっと声を抑えて笑い続けてる阿部君を、じとっと睨む。 太陽の熱にじりじりと焦がされて、すごく暑い。顔も熱い。その熱を冷ますべくドプンと潜ると、水の中まで青空を映して青かった。 一緒に潜ってはくれなかったけど、すぐ側に阿部君がいるのは分かる。オレよりも厚みのある胴体と、黒無地の海パンと長い脚。その毛だらけの足だって久々に見た気がして、ほらやっぱ、久々じゃんって思った。 仮にも付き合ってるっていうなら、生足見るの久々だとか、問題じゃない? 前に見たのっていつだったっけ? 1年くらい見てないような気がする。気持ち的にってことだけど。 それにしても、そのすね毛、それ、水流でそよいでない? 気にしないにしても、あんまりだ。 ぶふっと笑うと息が続かなくなって、短い潜水はあっけなく終わった。 「あ、阿部君、すね毛」 「はあ?」 訊き返されたけど、すね毛がそよいでた、なんてバカバカしくて笑えちゃって、口に出せない。 笑いが止まらないのは、さっきの阿部君と同じで、おかしい。くだらないことで笑うのも、バカバカしいなぁと思った。 あと、久々に笑ったような気もした。 「こん、なに笑ったの、久しぶり、かも」 しかもすね毛にウケたなんて。ぐひひ、と笑ってると「いつまで笑ってんだ」って、頭を片手で握られた。ちっとも痛くないのは、手加減してくれてるからなんだろうか? 形のいい目をちょっと眇めて、オレの顔を覗き込む阿部君。顔が近い。距離も近い。腕の中にさり気に抱き込まれるようにされて、「もおー」と逃げる。 阿部君が呆れたように何か言った気がしたけど、周りの歓声がきゃあきゃあ耳について、聞き取れなかった。 プールって、声の聞こえ方が普段と違う気がするのは、音の反射とかそういうのが関係あるんだっけ? ないんだっけ? 気温が高い時と低い時で何かが違うって習ったような気もするけど、考えてもそれ以上は何も思い出せなかった。 「またぼうっとして。何考えてんだ? 寝不足か?」 くしゃっと頭を撫でられて、「それ、は、そう」って恨みがましく訴える。予定ではまだ寝てたハズ、なのに。なんでオレ、こんなとこでこんな人と水に浸かってるんだろう? 意味が分かんない。 「オレ、たち、って、どういう関係?」 思ったままのことを口にすると、「またそれか」って笑われた。 「じゃあ、今からでも付き合おうぜ」 するっと腰に伸ばされる腕が、すごく不埒で「もおー」と逃げる。掻き分ける水。べたんとぶつかった裸の胸が冷たくて、色気ないなぁと思った。 「ちなみにオレら、5年前から付き合ってっから」 「そうだっけ」 そんなに長いとは思ってなかったから、ちょっと意外だ。その割に、寝た回数は少ない気がするけど、そんなものなの、かも。よく分かんない。 「それとも、一緒に住む?」 「それは、ちょっと」 迷わず断ると、「ほらな」ってまた頭を撫でられた。まあ確かに、この会話は何度か繰り返してるかも知れない。 「なんでイヤなんだよ?」 「だって、怒る……」 「お前が怒られるようなことするからだろ、洗い物ため込んでるとか、部屋片付けねぇとか、いつまでも寝てるとか、メシ抜かすとか」 「う、わあ」 ガミガミと言われ、オレは耳を押さえて水中にドプンと逃げた。 阿部君のことは多分好きだけど、ガミガミはイヤだ。ゲンコツでぐりぐりウメボシされるのもイヤだ。 流れるプールの中は青く澄んでて、隣に立つ男のすね毛のそよぐのが見える。 一緒に住んだら――このすね毛も、いつか見慣れるのかも知れない。会う回数が少ないとか、顔見るの久しぶりとか、どういう関係なんだろうとか、そんなこと思わなくなるのかも。 水から顔を上げると、恋人かも知れない男の腕に捕まった。肩に腕を回して来るのが、すごく馴れ馴れしい。顔が近い。こういう、公共の場で顔を寄せられるとすごく気まずいんだけど、彼にそういう恥じらいはないんだろうか。 「ここ、夜7時から花火あるんだけどさ」 水流に押されるまま、その他大勢と流されるプール。きゃあきゃあと反響する周りの音を背景に、聞き慣れた阿部君の低い声が耳をくすぐる。 「このまま健全デートして、花火を楽しんで帰る? それともさっさと帰って、オレらがどういう関係なのか、分かるまで致す?」 「いっ!?」 ぼそぼそと告げられた内容に、何てこと言うんだって思った。周りにいっぱい人がいるのに。そりゃ、周りの会話なんか聞こえないし、周りにも同じく聞こえてないと思うけど、そういう問題じゃないだろう。 「どっち?」 ニヤッと笑いながら訊かれ、その腕から逃れるべくじたじたと暴れる。 ひどい二択だ。ここで選ぶなら花火だと思うけど、それまでこの男と、あと何時間一緒なのかと考えると、とても耐えられそうにない。 顔が、熱くて。 今すぐ水の中に潜りたいと思った。 (終) [*前へ][次へ#] [戻る] |