小説 1−15
キミに投げる球は・8
オレは立ち竦んだまま、声を掛けることができなかった。
バイトじゃないのか、なんでここに? そんな疑問がぐるぐる浮かんで、心臓がドキドキ激しくなった。
バイト終わったのかな、とか、考えようとしたけど無理で、ウソをつかれたかもって予想が胸の中でどんどん強まる。
榛名さんとの会食に、誘ったのは無神経かも知れなかったけど、行きたくないならそれで、「行かねぇ」って言ってくれればよかった。
バイトだからって、ウソをつかれたのがショックだった。
呼吸の仕方も忘れて、団子の中の阿部君を見つめる。いつも、こんな感じで遊んでるのかなって、ひどく遠い人みたいに思えた。
「阿部君……」
ぽつりと名前を呼び掛けて、ぎゅっと服の胸元を握る。
けど、オレが1歩踏み出すより、隣にいた人が前に出る方が先だった。
「おい! 随分たのしそーじゃん」
尖った声が、夜の街灯りの下に響く。
きゃあきゃあ笑い合ってた人々が一瞬で黙り、ぎゅうぎゅう固まってた団子がほどける。
「なに、あれ?」
「こわーい」
聞こえよがしに女の子が言ったけど、榛名さんはそんな非難にビクともしない。
「タカヤ、顔貸せよ」
有無を言わせない口調で言い放ち、阿部君をじろっと睨んでる。
強気な命令口調で言えるのは、年上だからかも知れない。拒絶されないって自信があるからかも知れない。それが、榛名さんって人なのかも。
オレは恋人なのに、そんな自信すらなくてぎゅっと胸が痛くなった。
「阿部君、バイト、終わった?」
上ずった声で問いかけて、阿部君の腕に手を伸ばす。
誰かが「バイトぉ?」っておかしそうに言ったから、バイトなんてやっぱ最初からなかったのかも知れないけど、それには気付かないフリをして、ひたすら阿部君の顔を見た。
「あ、この間のカレーの人」
「ああ、カノジョといいつつカレーの王子」
周りの人たちがドッと笑ってるから、きっとこの前、一緒にいた人たちなんだろう。
「王子様のお迎えなら仕方ないかー」
って、阿部君の離脱をあっさり認めてくれたから、気のいい集まりなのかも知れない。
阿部君の肩を叩いたり、背中に体当たりしたり、「じゃーな」って手を挙げたりしながら、阿部君を残して去ってくみんな。
去る者を追わないのは野球部も一緒だけど、なんかこっちのこれはすごく薄くて軽くて、違う世界だなぁと思った。
お酒のニオイとタバコのニオイ、何かスパイシーなニオイと甘ったるい香水のニオイ……嗅ぎ覚えのある空気の塊が、彼らと一緒にぶわりと動く。
「王子様だってよ」
からかうように榛名さんがオレに笑いかけたけど、さっきの食堂での笑みとはまったく雰囲気違ってて、作り笑いなのが分かった。
怒りっていうか、憤りっていうか。不機嫌なんて言葉じゃ言い現わせられないような、強い覇気が溢れてる。
気圧されながらも「ふへ」って笑うと、榛名さんは「行くぞ」ってキッパリ背を向けて、大股で歩道を歩き出した。
向かうのは、さっき行こうとしてた例のバッセンだ。
カラオケ、ボーリングって看板の横にバッティングセンターって書かれた看板も並んでて、結構大きな建物みたい。
看板さえなければ普通の大きなビルっぽいけど、入り口に近付くとカキンカキンと金属バットの音が聞こえて、ああ、バッセンだなぁと思った。
フロントから階段を下りて地下に向かうと、バットの音は更に大きくなった。
フロアは少し薄暗くて、バッティングブースはパッと明るい。ずらっと並んでるブースは10かそこらで、そんな大規模なとこじゃないけど、駅近ならこんなものかも知れない。
バッティングブースの端っこには、ぽつんと的当てが置かれてるブースもあって、それが榛名さんの言う、投球練習ができるっていうスペースだろうと予想がついた。
「1時間……もいらねーか。まあいいや」
榛名さんがぼそりと呟きながら、フロアの受付に颯爽と向かう。慌てて背中を追おうとしたけど、阿部君が立ち止まったままになっちゃって、放置もできなくてオレも止まった。
ケガで野球部を辞めた今、バッセンはやっぱイヤだっただろうか。
もう、野球もイヤになった? 野球を続けてるオレもイヤ? だから最近、素っ気ないの? もう手を放すべき?
「阿部君、行こう……?」
恋人の腕を引き、遠い目でバッティングブースを眺める横顔を見上げる。
「タカヤ、防具借りたから着けてこい」
榛名さんの、そんな声がしたのはその時だった。
一瞬、どういう意味か分かんなかった。防具って、キャッチャーの? それって、バッセンで借りれるの?
榛名さんと受付と阿部君とをキョドキョド見回すと、受付の人がカウンターから出て、「こちらでーす」って合図してる。
「今行きます」
声を上げて返事して、「ほら」って阿部君を促す榛名さん。
阿部君も、意味が分かんないって顔して呆然としてたけど、「ほら」って背中をドンと押されて、2、3歩前に踏み出した。
「ケガの話は聞いてるよ。ドジやったな。けど、的くらいできんだろ?」
冷ややかな口調で、突き放すように言う榛名さんは、強い目で阿部君を見つめてる。
的、って言われて阿部君の肩がぴくっと震えた。けど、オレは何も言わなかった。
こういう時に、庇うのは阿部君のためにならない気がする。
一試合続けてしゃがむことはできなくても、ブルペンで受けることくらいはできてたハズで――だから、止める理由なんてなかった。
(続く)
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