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小説 1−15
キミに投げる球は・4
 酔っ払いは声が大きいんだなって、ぼうっと思った。カレーだカレーのニオイだって散々騒いだ後、あっさり去って行かれて呆然とする。
 阿部君は何も言わず、オレを押しのけるように中に入って、ふらつきながらベッドに向かった。
 すれ違い様にまた、お酒とタバコのニオイがツンと鼻をかすめる。
 さっきはちゃんと立ってた気がしたけど、明らかにフラフラだ。ベッドまでたどり着けず、べしゃっと床に倒れるの見て、ギョッとした。
「あっ、べ、君?」
 呼びかけたけど、返事はない。「うー……」って唸ってるのが返事かも知れない。
「ごっ、ごっ……」
 ご飯は、って訊こうとしたけど、お酒飲んでるなら食べてるかも知れないって、思い直して口ごもる。
 オレが来ること、ちゃんと覚えてたんだよね?
 カノジョがどうとか、さっきの騒動には困惑したけど、約束覚えててくれたのは嬉しい。けど、こんな形なのは悲しい。普通に、もっと普通に、2人の時間を過ごしたい。

 オレが来たら、「よお」って笑顔で出迎えて欲しい。バイトがあるなら仕方ないけど、バイト終わったらそのまま真っ直ぐ帰って欲しい。
 たまには一緒にご飯食べたい。
 ご飯、一緒に作りたいし、いっぱい話したい。
 オレの話なんて、野球を取ったら何も面白いもの無いかも知れないけど、阿部君の話を聞くだけでも楽しいし。バイトの話とかでも、して欲しい。
 じわっと潤みそうになる目をぱちぱちさせて、涙をこらえつつ阿部君の肩を軽く叩く。
「かっ、風邪ひく、よ」
 返事はない。呼吸の感じからして寝てるっぽくはないけど、起き上がる気力もないみたい。
 酔っぱらってっていうのとは違うけど、オレも体力限界まで使ったときは倒れたまま起き上がれないから、その気持ちは分かるつもり、だ。起きなきゃいけないの、分かってるけど無理なんだ、よね。
 そういえば昔、阿部君の前で同じように地面に転がったことあったなぁって、思い出す。べしゃって倒れこんで起き上がれないオレの横で、阿部君は呆れたように笑ってたっけ。
 笑って、見守ってくれてたっけ。

 きらきらの思い出が頭の中によみがえり、今の現実と見比べさせられて、何とも言えない気持ちになる。
 悲しい? 寂しい? もどかしい? 自分の気持ちをどう表現していいか、バカなオレにはよく分かんない。ただ、このままじゃダメなんじゃないかって思った。
「阿部君……」
 ぽつりと呼びかけ、肩を貸してベッドまで引きずる。
 ベッドにどさっと倒れ込む阿部君。足を抱えてベッドに乗せてあげると、そのままゴロっと寝返りを打って、仰向けに転がった。
 眩しいのか片腕で目元を覆って、どんな顔してるか分かんない。
「今日、ば、バイトだった、の?」
 オレの問いかけにも返事はない。
「さ、さっきの、バイトの人?」
 しんとした部屋に響くのは、オレの情けない声と阿部君の酔った呼吸音。

「しゃ、写真撮ってた、ね」
 さっきの騒動を思い出しながら、返事もないけどぽつぽつと呟く。拡散しないと、って言ってたけど、SNSにでも上げるんだろうか?
 別に困る訳じゃないし、オレはいいけど、見栄張った訳じゃないんだよって言えないのは、複雑かも。
 男同士で付き合うの、普通じゃないし、堂々と「恋人だ」って言えないのなんて今更だけど、あの人たちに誤解されたままなのは、ちょっとイヤだなぁと思った。
 阿部君に女子たちがベタベタもたれかかってたのもイヤだ。
 カノジョがいるって思っててアレなら、今後はどうなるんだろう? 阿部君にその気はないって、信じてるけどモヤモヤが募る。
 野球を辞めてやりたいのは、あんな風に騒ぐこと?
 捕手として試合に出れなくても、阿部君を必要としてる人、いっぱいいるのに。それを振り払って出て、お酒飲んで騒いでるの? あれが楽しい、の?
 オレには野球しかないから、その楽しさは分かんない。
 阿部君の楽しさを否定したくないけど、話もしてくれないから、きっとずっと分かんないまま、だ。

「あ、さって、榛名さんと試合、だよ」
 オレの呟きに、返事はない。阿部君は片腕で目元を覆ったまま、仰向けにベッドに転がってゆっくり呼吸してて。寝てるか起きてるか、意識があるのかどうかすら、オレには何も分かんなかった。

 阿部君に抱き着くようにして、ベッドに強引に割り込んで寝た。えいえいと押しやっても怒られなかったし、床で寝たくもなかったし、恋人なんだから遠慮はしなかった。
 寮に戻れば、ってちらっと思ったけど、外泊届出してたし、阿部君をこのまま放置もしたくなかったから、それは気が進まなかった。
 カレーのニオイのせいで、酔っ払い独特のニオイはあんま気にならない。
 二日酔いの朝にカレーってどうかとちょっと思ったけど、他に材料買ってなかったし、それは我慢して欲しい。
 恋人の家に泊まりに来てるのに、何もしないまま夜が明けて、1人でカレーをもそもそ食べる。
「帰るね」
 肩を揺すって声を掛けても、阿部君は「んー」って唸るだけで、返事なのか何なのか判断はできなかった。
 無防備に緩んだ顔を覗き込み、ちゅっとキスして身を起こす。
「また……」
 また2週間後、って言いかけたけど、なんだか無駄なような気がして、それ以上口にできなかった。

 一緒に寝ても寂しいって、恋人としてどうなんだろう?
 オレと一緒じゃ、阿部君も寂しいのかな? だからあんな風に、みんなで酔って騒ぐのかな?
 阿部君のアパートを出ると、朝日がひどく目に染みた。
 ううん、と唸りながら伸びをして、背中と肩をほぐす。足も足首もほぐす。ぴょんぴょんと軽くジャンプして、それから1つ息を吐き、朝の街にゆっくりと走り出す。
 夜の気配がどんどん遠ざかり、頭の中に新鮮な空気がいっぱい入って、寮に着く頃にはサッパリした。
「よっ、朝帰り」
 寮で出くわしたチームメイトに声を掛けられて、「うへっ」と笑う。阿部くんちに泊まりに行ってるの知られてるだろうし、冗談なのは分かってる。
「阿部、どうだった?」
 って訊かれると困るけど、今から野球できるのは嬉しい。みんな野球のことしか考えてなくて、オレもそうだからホッとする。
 オレの世界は、お酒やタバコやスパイシーなニオイとは無縁だ。甘ったるいニオイや、軽い掛け声や歓声とも無縁だ。

 阿部君もこんな世界に生きてたハズなのに。そう思うと、ちょっと寂しい。昼と夜とでくっきり分かれてる気がして、いつか阿部君のこと見失ってしまいそう。
 でも、野球部に戻ってってハッキリ言えないオレは、きっとヘタレで卑怯なんだろう。
 阿部君を傷つけたくない。傷を抉ってしまうのが怖い。もし嫌われたらって思うと怖くて、1歩踏み出す勇気がない。
 でも、やっぱこのままでいいとは思えなくて。どうすればいいのか分かんなかった。

(続く)

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