小説 1−15
キミに投げる球は・3
榛名さんとの対戦を控えた週末、オレは再び阿部君の部屋を訪れた。
――明日行くよ――
昨日の夜に送ったメッセージに返事はない。
――今日、約束の日だよ――
昼間に送ったメールにも、やっぱり彼からの返事はなかった。約束って言っても、一方的に「2週間後」ってオレが言っただけだけど。それでも、阿部君から「無理」とか「来るな」とか言われてないんだし、約束は約束だと思う。
今日は阿部君、いてくれる? 夜までバイトあるんだっけ?
榛名さんへの対策案とか、聞けるかな?
前回と同じく外泊届を寮に出し、「また阿部んとこか」って言葉を受け止める。
不安でどよんとしてるの、気付かれたみたい。
「なんか行くのしんどそうだな」
同期の1人にそう言われ、一瞬ドキッと心臓が跳ねた。
ここでうっかり「うん」とか言っちゃうと、阿部君の悪口聞いちゃうことになりかねない。恋人としても、元相棒としてもそんなの聞くのはイヤだから、「ううんっ」って思いっきり否定する。
「オレ、楽しい、よっ」
にへっと笑みを浮かべてキッパリ言うと、同期は「そうか?」って首を傾げたけど、それ以上引き留めたりはしなかった。
それにそもそも、みんな誤解してると思う。オレがモヤモヤしてるのは、阿部君に会うことじゃない。阿部君に会えない可能性のことだ。
またオレひとりだけで、朝まで過ごすことになったらどうしよう?
約束覚えてるよね、って確認したいけど連絡は取れないし、メールの返事もないし、不安でどうしようもない。
けど、阿部君がもしオレが行くこと期待してくれてたらって考えると、行かないなんてこともできない。
期待を裏切りたくないって思うのは、オレが裏切られたくないからなのかも?
オレが行くの阿部君に楽しみにして欲しい。喜んで欲しいし、オレの顔見て笑って欲しい。以前はそうだったのに、今はどうなんだろうって、不安な気持ちになりたくない。
ホントはもう、迷惑なのかな? ぽつりとそんな考えが浮かび、ぶんぶんと首を振って追い払う。
疑問に思っても直接訊くことができないオレは、ヘタレで卑怯なのかも知れなかった。
晩御飯は、カレーを作ることにした。
買ってきたお米をめいっぱい炊いて、でっかい鍋でカレーを煮込む。
阿部君からの返事はない。バイトがいつまでなのか、それも知らない。ちゃんと帰って来てくれるのか、そんな確信もないまま、預かったままの合鍵を利用するのは、最低なのかも。
けど――阿部君を、諦めることも簡単にはできそうになかった。
会いたい。顔を見たい。好きって言いたいし、言われたい。ぎゅっと抱き着きたいし、抱き締めて欲しい。キスしたい。
あんな、一方的に押し付けるだけみたいなキスじゃなくて、ちゃんと求め合うようなキス、したい。
ニンジンを刻む手を止めて、ふっと指先で唇に触れる。
ぷくっとした自分の唇はちょっと乾いてて、ニンジンのニオイが鼻についた。
カレーが出来上がる頃、外がわあわあと騒がしくなった。
うぇーいうぇーいと上がる歓声、でも野球部とかで練習中に上がるものとはビミョーに違ってて、騒がしくて軽い。女の子の声も混じってる。
お酒飲んだ学生が騒いでるのかな?
ケンカとかしてる訳じゃないっぽいけど、聞き慣れない騒ぎ声にドキッとした。
野球部でだってお酒は飲むけど、みんな不祥事とか警戒するから、そこまで深酒する人もいないし、外で騒ぐなんてこともない。女の子と一緒に飲むこともないから、甲高い声には一層不慣れだ。
やがてその騒ぎ声はどんどん近くなって来て、バラバラと複数の足音も聞こえてハラハラした。
このアパートに用なのかな? そりゃ、ここ学生用だから不思議じゃないけど。違う部屋の人? こっち来ないよね?
カレーの鍋の火を止めて、玄関の前をおろおろうろつく。
怖い。不安。阿部君に、こんな時こそいて欲しい。けど、ケータイに阿部君からの着信はなくて――代わりにピンポンピンポンと、呼び鈴を鳴らす音がした。
正直言うと、飛び上がるくらいビビった。
まさかまさかとは思ったけど、ホントにこの部屋に用だなんて思ってなかった。阿部君の知り合い? みんな酔っ払い? 阿部君、いないけどどうしよう?
ドキドキしたけど、ピンポンピンポンと呼び鈴攻撃は終わんなくて、おっかなびっくり玄関の鉄扉を開ける。
「は、い……?」
小声で返事すると、「うぇーい」とも「おおー」とも聞こえるような歓声が上がった。
「あれ、男じゃーん!」
オレの顔を見てみんながゲラゲラ笑う。なんで笑われてるのか分かんなくて、どうしようって途方に暮れる。
阿部君は留守ですって言いたい。けど、そんなことはどうでもいいみたい。
オレが困惑してるのすら、みんなは面白いみたいで、ケータイをオレの方にかざしてる。
えっ、って思って戸惑ってたら、誰かがはしゃいだ声を上げた。
「カノジョ来てるから、って。お前見栄張んなよ、阿部ぇ!」
阿部、って名前を口に出され、ハッとして視線をみんなに向ける。そしたら数人に囲まれるように阿部君がいて、飛び上がるくらいビックリした。
「カノジョが来るって言うから見に来たらぁ、部屋にいたのは男だった! この衝撃の事実を拡散しねーと!」
ぎゃはは、と笑いながら、誰かがケータイを操作する。
こっからでもぷんぷん漂うお酒のニオイとタバコのニオイ。直視できないくらい短いスカートをはいた女子たちが、きゃあきゃあ笑いながら男子たちにもたれかかる。
阿部君にももたれかかってるの見て、ずきっと胸の奥が痛んだ。
阿部君はちらっとも見てないし、抱き留めてもないし、単に気安いだけって見れば分かるけど、恋人に勝手に触れられて寛容でいられる程大人じゃない。
けど、今ここで「触らないで」なんて言い出すこともできなくて、ドアの前に立ち竦むことしかできなかった。
(続く)
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