小説 1−15 キミに投げる球は・10 (終) 榛名さんはボールをオレに突き出して、「交代だ」って静かに告げた。 さっきの力強い投球とはうって変わった静けさ。でも覇気はそのまままとってて、有無を言わせない力がある。 「こっ、えっ?」 意味も分からず戸惑ってるオレに、ニヤリと笑いかける榛名さん。 「だから交代だって。次お前の番」 再び告げられた言葉に、ええっ、ってなったのは仕方ないことだろう。 えっ、オレの番? えっ、ボール? 戸惑いつつも右手を差し出し、阿部君と榛名さんと、差し出されたボールに視線を移す。 今、激しくキョドってるって自分でも分かった。だって、何でそうなるのか理解できない。阿部君に「座れ」って言ったのに、えっ、今から投げるんじゃなかったの? 「う、えっ、と……?」 何も分かってないまま差し出した手に、榛名さんからしっかりとボールが渡される。さっき阿部君と剣呑なキャッチボールをしてた球、阿部君から投げ返されたばかりの球は、気のせいかちょっと熱い。 「タカヤに投げるべきなのは、オレじゃなくてお前だろ」 そう言って肩を叩かれて、ますますボールが熱くなった。 「オ、オレ!?」 動揺しつつ阿部君を見て、それから再び榛名さんを見る。榛名さんは、ホントにもう投げるつもりないみたい。備品のグローブを元に戻して、大股で緑のネットの外に出てく。 こっちをちらっとも振り返らず、向こうのバッティングブースに向かう彼の背中は、相変わらずピンと伸びてて格好いい。 ぼうっと見とれて見送ってると、「レン……」って阿部君の声がした。 振り向くと、捕球の体勢でしゃがんだままの阿部君が、オレの方を見つめてる。こうして向かい合ってても、マスクのせいでその顔は見えない。けど、見えなくても何となく通じてる気がした。 困ったように、ほろ苦く、笑ってるだろう阿部君を見つめる。 左手に着けてただけの借り物のミットが、ゆっくりオレに向けられてドキッとした。右手に託されたボールを、無意識にまっすぐの型に握る。 投げるべきなのはオレだって、榛名さんに言われたことが胸に浮かぶ。それを意外に思うと同時に、そうだよねって納得もした。 阿部君にちゃんと投げるのは、オレでありたい。 阿部君と向き合うのも、オレでありたい。恋人としても、投手としても。 こんな簡単なことに気付かなかったの、自分でもバカだなぁと思う。さっき感じたモヤモヤはきっとこのせいだって、ようやく気付くの遅いかも。 それをあっさり教えてくれた、榛名さんはやっぱりスゴイ。 体格も違うし、投手としてのタイプも違うから、あんな球は投げられないけど、あんなスゴイ人にはなりたい。 逃げなければ、なれるのかな? きゅっとボールを握り直し、グローブを構えて捕手を見る。阿部君の構えたミットはしっかりオレに向けられてて、「あそこに」ってオレを導いてくれる。 思えば、阿部君には最初から導かれてばっかだった。オレをちゃんとした投手に導いてくれたのも、エースとしての自覚へと導いてくれたのも、全部阿部君だった。 今はもう、阿部君がいないと投げられないとか勝てないとか思ってないけど、でもやっぱこれからもずっと、側にいて欲しいとは思ってる。 一緒に野球はできないかもだけど、それで人生が終わる訳じゃない。 『1球!』 過去に掛けられた張りのある声を耳の奥に思い出し、ぐっと振りかぶって足を上げる。 阿部君は長時間しゃがめない。今でこそいつも通りどっしり構えて見えるけど、座るの自体久々なハズだし、あんま強い球は投げちゃダメだ。左右にぶれ過ぎるのもダメだ。 そう考えて、前にもこんなことあったなって思った。 重心を移動させながら、肩の筋肉を意識する。左足で踏み込み、ぐっと腕をしならすと、投げたボールは思い通りの軌跡を描いて阿部君のミットに収まった。 パシィン、と響くいい音に、心臓が跳ねる。 オレの球はどうだった? 変なとこに負担かかってない? ドキドキしながら見つめてると、マスク越しに阿部君がふっと笑ったのが分かった。座ったままボールを投げ返され、再びミットを構えられる。 『2球!』 そんな掛け声は、阿部君の口からは聞こえない。けどオレの頭の中にはしっかり響いて来たから問題ない。 もっと阿部君に投げたい。オレの球、受けて欲しい。 オレだけを見てて欲しい。 「調子いいな」とか、言って欲しい。 野球をすること、怖がらないで欲しい。捕手として2度とレギュラーになれないのは辛いかも知れないけど、投手の球を受けるだけが、野球じゃないし捕手でもない。 再び投げた球は、同じくスパァンといい音立てて、阿部君のミットに収まった。 「レン」 声を張り上げて、阿部君がスッと立ち上がる。 もう終わりか、って残念な気持ちで駆け寄ると、そうじゃなかったみたい。駆け寄ったオレにポンとボールが渡されて、ミットでポスンと頭を軽く叩かれる。 以前、よくされた仕草でドキッとした。 ミットの手入れに使うワックスのニオイ。野球のニオイの方が、お酒や煙草よりやっぱ彼には似合ってる。 「今度はめいっぱい投げろ」 阿部君がそう言って、マスク越しに笑った。そんな風に笑った顔見るの久々で、オレも無意識に頬が緩む。 好きだなぁと思った。 「え、めいっぱい? でも……」 阿部君、そんなの大丈夫かな? そう思って心配の目を向けると、バレバレだったみたいで、「こら」って軽く怒られる。 「お前、今失礼なこと考えただろ? 大丈夫だって。長時間はしゃがめねーけど、ケガ自体は治ってんだ」 「そ……」 そうか、って言葉が、出かけて止まる。阿部君が大丈夫って言うなら、大丈夫なんだろう。そして、こんな機会はきっと2度とないだろう。 「うん……」 こくりとうなずいて、ダッと元の位置に駆け出す。オレの後ろで、阿部君が再び座って構えるのが分かった。 キン、と金属バットの音が聞こえる。 時折響くその中には、榛名さんのも入ってるかも知れない。けど、今はその姿もオレの視界に入らない。 緑のネットで囲まれた、半地下のバッセンの投球ブース。高校時代のブルペンよりも狭いかも知れない場所だけど、阿部君と向かい合えるだけで特別に思えた。 「よし、来い!」 張りのある声を上げ、阿部君がパシンとミットに拳を入れる。 どっしりとして堂々として頼もしいそれは、もう2度と見られないと思ってた彼の姿で――野球部のみんなにも、見て貰いたいなぁと思った。 (終) [*前へ][次へ#] [戻る] |