小説 1−13
雨の日に1人・後編
三橋の家が近付くにつれ、憂鬱な気分になった。
三橋は女と一緒かも知んねぇ。或いは田島らが言うように、ファミレスかどっかで勉強してて、まだ帰ってねーかも知んねぇ。
どっちにしろオレには関係ねーことで、口を出すこともできねぇ。このまま三橋んちに行ったって、意味があるとは思えなかった。
――帰ろう。
ザアザア降りの雨ん中、けぶる道路の白線沿いに自転車を走らせながら、自分の心に言い聞かせる。
――帰って勉強しねーと。
そう思いつつ、自転車を漕ぐ足が止まらねぇ。
三橋は傘持ってんのか?
傘じゃなくてカッパか?
三橋の黒い傘とメガネ女の赤い傘が、想像の中でコツンと当たってオレをますます1人にさせる。
オレは一体、何を見りゃ納得できるんだろう?
何を見りゃ納得して、アイツのこと諦められるんだろう?
三橋にとってオレは、同じ学年の野球部のチームメイトで、バッテリーを組んでる頼れる捕手。それ以上でもそれ以下でもねぇ。
っつーか、そもそも男同士だし。
完全な片思いだってのは、今日の事がなくても明らかだった。
足を止めることができず、Uターンすることもできねーまま、のろのろと自転車を走らせてると、雨にけぶる風景の先に三橋の家の屋根が見えて来た。
同時に、黒くてデカい傘を差した誰かが歩いてるのが見えて、キキッと自転車のブレーキをかける。
そのブレーキ音に、傘を持つ誰かが振り向いた。
「……三橋?」
「うえっ、阿部、君?」
デカい傘の下、三橋がオレを見てビックリしたように目を見開く。けど、ビックリしたのはオレの方だ。
「1人か?」
思わず訊くと、「う、ん?」ってうなずきながら首をかしげられた。
「阿部、君、は?」
「1人に決まってんだろ」
ふっ、と笑いながら答えると、「そう、か」って曖昧な相槌が返る。
気のせいか、鬱々とした雨が少し弱まり、抑え込むみてーな低気圧がちょっとマシになったように感じた。
「メガネの女は?」
オレの問いに、「ふえ?」とまた首をかしげる三橋。
「一緒に帰ったんじゃねーの? 告白されたんだろ?」
ズバッと訊いてやると、白い顔がぶわーっと真っ赤になったけど、胸の痛みは一瞬で消えた。
「こ、断っ、た」
って、三橋がつっかえながら言ったからだ。
「なんで?」
「な、なんで、って……」
野球大事だし、みてーなことをごにょごにょと呟く三橋に、冷え切ってた胸が温まる。
何だそうか、と笑い出してぇような気分を抱え、うつむいてた顔が自然と上を向いた。猫背になってたのに気付き、背中をぐっと真っ直ぐに伸ばす。
「あ、阿部君、は、何でここ、に?」
つっかえながらの問いに、「さーな」とオレは正直に答えた。自分でも、何でここにいんのかよく分かんねぇ。
中間試験1週間前だし、勉強しなきゃいけねーし、実際勉強会やってたのに。中座して、大雨の中こんなとこで立ち話してる意味が分かんねぇ。
ただ、来てよかったと思ってんのは確かだ。
あの分かれ道で、ふらっとこっちに来ちまったのは、運命か何かに導かれてのことだったのかも。
「お前のこと、心配だったからだよ。数学とか」
後付けの理由を話すと、三橋が分かりやすく青ざめた。
「す、数学……」
ぶるぶる震えてんのは、きっと雨の寒さのせいじゃねーんだろう。
不似合いにデカい傘まで震えてんのがおかしい。エースとして情けねぇっつーのに、おかしくて可愛い。
……独り占めしてぇ。
「なあ、一緒に勉強しねぇ?」
家の方をアゴで指し、勉強に誘うと、三橋は傘ごと「うん」とうなずいて、オレを家に招いてくれた。
三橋んちにはやっぱ誰もいなかったけど、玄関を開けるとふわっとカレーのニオイがして暖かい。
ぐうう、きゅるる、と派手な音が三橋の腹から聞こえて来て、ふふっと笑える。
「カ、レー」
って。既によだれ垂らしながら呟いてて、色気より食い気みてーだ。きっとこいつは、オレが今まで散々ヤキモキしてたことにだって、気付いてもねーんだろう。
玄関の手前でカッパを脱ぎ、雨の当たらねーとこに置かせて貰う。
たたたっと奥に駆けてった三橋は、たたたっとバスタオルを抱えて戻って来て、「使って」ってオレに差し出してくれた。
「さんきゅー。お邪魔します」
ふかふかのタオルを有難く借り、濡れた手と顔を軽く拭く。
三橋はっつーと、「上がって」って言い残して、さっさと奥に行っちまったみてーだ。
どこ行った? っつっても、行き場所なんか決まってるか。
「三橋?」
名前を呼びながらリビングに入り、気配を追ってダイニングに向かう。何してんのかと思ったら、三橋は皿に山盛りのカレーを盛り付けてて、その素早さにちょっと呆れた。
「阿部君も、食べる?」
「おー、頼む」
苦笑しながらうなずいて、ガランとしたダイニングを見回す。
「勉強……」
オレの呟きに、「ひぃっ」と肩を竦める三橋が可愛い。
どんだけ勉強サボってたんだろう? けど、例のメガネの女に勉強教わるトコなんか見たくねーから、それよりはマシかも知んねぇ。
「食い終わったら、数学やるぞ」
オレの言葉に、オレのカレーを盛り付けながら、三橋が黙ってこくこくうなずく。
「その前に、着替えて来いよ。濡れただろ」
その言葉にも、黙ってこくこくうなずく三橋。
「オバサン、仕事か?」
こくこく。
「今日も遅ぇの?」
こくこく。
黙ったまま、よだれ垂れそうな目でカレーをじっと見てた三橋だったけど――。
「なあ、好きだ」
そんなオレの告白には、「えっ」とこっちに顔を向けて、それからカーッと真っ赤になった。
(終)
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