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小説 1−11
カラス天狗とオレの卵・4 (終)
 頭上にデカい影が差した瞬間、神社を囲む杜の木々が、一斉にざざぁっと音を立てて揺れた。
 ゾクッとするより早く、突風にあおられて「うわっ」と目を閉じる。
 腕で顔を庇いながら目を開けると、目に入ったのは、長くてデカい鳥の羽と、石畳の上に散らばる落ち葉。
 大きく羽根を広げた黒い鳥が、神域を冒して入って来る。
 逃げねぇと、って、一瞬思った。
 その一方で、逃げたら悲しむだろうとも思った。
 黒い翼、黒い服の大きなカラスがストンと目の前に舞い降りる。柔らかな薄茶色の髪の上には、昨日と同じ、黒の冠を被ってる。
 コイツを知ってるって、胸が震えた。
 愛おしさが湧きあがる。
 けど同時に、なかったことにしねぇとって、心の片隅で焦るような声も聞こえた。

 手水で手を洗い、口を漱ぎ、柏手を打って魔を祓え。
 榊を振り、祝詞を唱え、大神の守護を……。
 全部忘れて、なかったことに……。

 いつもの習慣だったハズなのに、手水に触れることも、柏手を打つことも、何もやってねぇって思い出す。
 なんで忘れてたんだろう?
 頭ん中にガンガンと警鐘が鳴り響き、本能的な恐怖に鳥肌が立った。ヤベェと思った。ヤベェ。ヤベェ。
 けどそれも、少年がにこっとオレに笑いかけるまでのことだ。
「阿部君」
 カラス天狗が、まっすぐオレを見つめ、オレの名前を口にした。その手には真っ黒なデカい卵が抱かれてて、ドキッと心臓が跳ね上がる。
「それ……」
 それは何だ、と、問いかける言葉がのどに引っかかる。

 けど、そんなオレの葛藤なんて、目の前の魔物にはどうでもいいらしい。
「はい、どうぞ」
 昨日と同じ、無邪気な笑顔でデカい卵を差し出され、ごくりと生唾を呑み込んだ。
「オレ、とキミ、の、愛の結晶、だよっ」
 嬉しそうにはにかまれ、一瞬で、恐れが喜びに塗り替えられる。
 昨日さんざん求め合った、夜のニオイを思い出す。
 少年の背中の黒い翼が、落ち着きなくふぁさふぁさ動いてる。
『好きだ』
 繋がったまま告げた、自分の言葉が頭ん中によみがえる。

 目の前にあんのは、漆黒に輝くデカい卵。
 黒い卵なんて、普通有り得ねぇ。禍々しくさえ見えるのに、なんで可愛いって思うんだろう?
「はいっ」
 1歩近付いて、更にぐいっと差し出され、誘われるまま卵を受け取る。
 もう既に1個受け取っちまったし。1個も2個も変わんねぇ。多分、変わんねぇ。
「大事に温めて、育てて、ねっ」
「ああ……」
 素直に返事して、黒い卵を神官白衣の懐に入れると、それはパァッと黒い粒子に一瞬で変わって、オレの体ん中に吸い込まれた。

 ざざーっ、と、風もねぇのに鎮守の杜の木々がざわめく。
 少し遅れてぶわっと強い風が吹き、さっきと同様、煽られる。境内の細かいチリが舞い上げられ、とっさに目を閉じると――耳元で、くふ、と小さな笑い声が聞こえた。
 バサッ。
 デカい羽音が響き、鳥の翼がオレを覆う。
 夜のニオイに包まれて、頭の中にビカッと金の光がまたたく。
「レン……!」
 再び思い出した名前を呼ぶと、うひっと嬉しそうに笑う気配がした。
 バサバサと強風に取り巻かれ、両腕で顔を覆い、風から本能的に目を守る。
 次に目を開けたのは、その風がやんだ時で。後にはゴミだらけになった境内と、デカい鳥の羽が数本残されてただけだった。

 じわっと熱をもったように、鳩尾の辺りがズクンと疼く。
 ぼんやりと、意識にモヤがかかってるような気分。水中をかくように視線をめぐらせ、石畳に転がる竹ぼうきを目に止める。
 いつの間に落としたのか、覚えてなかった。のろのろと歩み寄り、身をかがめて手を伸ばす。
 まずは、掃除だ。
 それから朝のお勤めを行い、メシを食い、社務所の表で今日の祭事の準備を始めて、祭壇の供物を整えて……。やることはいっぱいで、今日も1日忙しい。
 忙しいのに、なんで、卵を温めねーとって思うんだろう?
 金の卵と、黒の卵。
 ふらふらと足の向くまま社務所に戻ると、いつの間にかオレが寝泊まりする、奥の座敷の中にいた。

「あれ……?」
 竹ぼうき、どうしたっけ? そんなことを考えたのは一瞬。急激に眠くなり、目眩がして、たまらず布団にうずくまる。
 バサッ、と窓の向こうで鳥の羽音が聞こえたけど、もう顔を上げる気力もねぇ。
 体が熱い。胸が熱い。鳩尾が熱い。愛おしい。
「レン……」
 布団にうずくまったまま、あのカラス天狗の名前を呼ぶと、上からバサッと柔らかな翼に覆われた。
「生まれる、よ、阿部君っ」
 耳元で、さっき飛び去ったハズの少年が、弾んだ声を上げた。
 パキパキと懐ん中で、何かが割れる気配。ギョッとして身を起こすと、さっきまで何も無かった神官服のあわせの中で、2つの卵がうごめいた。

 金と黒の殻の破片が、パラパラと布団の上に散らばる。
 それと一緒に落ちて来たのは、真っ黒な羽根の2羽のカラスだ。いや、カラスじゃねぇ。カラスの翼を持った、手のひらに乗るくらいの小さな幼児だ。
 1人はレンと同じ薄茶の髪、もう1人はオレと同じ黒の髪。よく見ると顔も似てて、ヤベェと思った。
 頭ん中にかかってたモヤが、ウソみてーに晴れていく。
 麻痺してた恐れと焦りがよみがえり、羽化の感動が薄れてく。
 3対の漆黒の翼が、大小揃って落ち着きなく、ふぁさふぁさと羽ばたいた。可愛いけど、可愛くねぇ。
 掃除しねーとって思うのに、境内に戻る気力もねぇ。

「生まれた、ねーっ!」
 白い腕にぎゅうっと抱き着かれ、黒い翼に囲われて、今更ながらにゾッとした。
 けど、もう孵っちまった雛は、卵に戻ってくれるハズもなくて。オレは神職でありながら神域で、3羽の魔物を飼うことになった。

   (終)

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