小説 1−11
カラス天狗とオレの卵・1 (神主阿部×カラス天狗三橋)
いつも通りの、すがすがしい早朝だった。
夏休みが終わり、少し肌寒くなってきた境内を竹ぼうきで掃き清めてると、上空でバサッと鳥の羽ばたく音がした。
同時に、ひらっと真っ黒な羽根が目の前に落ちて来て、何だろうと拾い上げる。
「カラス……にしちゃ大きいな」
全長20cmくらい。こんな羽根を持つってことは、翼自体が相当デカい。
どんなデカい鳥なんだ?
ぐぐっと興味が湧き、頭上を見上げる。
緑の濃い高い木々、まっすぐに伸びる幹の先、大きく広がって空を隠す梢。目を凝らしてじっと見てると、また再びバサッと羽ばたきの音が聞こえた。
黒い影が頭上に落ち、本能的に息を呑んで飛びすさる。
竹ぼうきを両手に持ち、身構えた途端、ぶわっと突風にあおられた。
「うわっ」
両手でとっさに顔を庇うオレの前に、巨大な鳥が舞い降りる。
真っ黒なデカい翼、真っ黒な体。本能的な恐怖を抑え、ぐっと竹ぼうきを握り締めると、ソイツがストンと目の前に着地した。
一瞬、呆然としたのは、ソレが鳥じゃなかったことだ。
真っ黒だと思ったのは真っ黒な服で――服の上から伸びた頭部には、人間と同じ顔がある。
薄茶色の柔らかそうな髪に、白い顔。
頭に、修験者みてーな黒の冠を被ってて、よく見ると服装も、色が白けりゃ似たような感じだ。
ただ、人間じゃねぇ。有り得ねぇ。
ソイツの背中からは、さっき見た通り、巨大な黒い翼が生えていた。
――カラス天狗?
そんな架空のイキモノの名前が、ふっと頭に浮かんでくる。
天狗も修験者も、それからカラス天狗の元祖かって言われる迦楼羅天も、どっちかっつーと仏教のモノだ。
なのに、なんで神社? いや、そういう問題じゃなくて……。
柄にもなく混乱しながら、竹ぼうきをぎゅっと握り、息を詰めて相手を見つめる。
一方のソイツは、オレの緊張なんか何も気にしてねぇようで、へらっと笑ってオレに両手を差し出した。
「こ、これっ、どうぞ」
その両手には、うっすら金色に光ってる、不気味なデカい卵がある。
「何だ、これ?」
思わず訊くと、「卵、ですっ」って。そんなのは見りゃ分かるっつの。
「何の?」
「お、オレと、キミ、の」
そう言って、きゃあっと恥らう黒衣の少年。
オレとキミの、って。意味がワカンネー。
「はあ!?」
目を剥いて叫ぶオレに、強引に卵が渡される。「はいっ」って。はい、じゃねーっつの!
「ちょっ!」
無理矢理片手に渡された卵を、落としそうになってとっさに抱える。
カラン、と足元に転がる竹ぼうき。
その隙に黒衣の翼少年は、真っ黒なデカい翼をバサッと拡げ、ふわっと空に舞い上がった。
「だ、大事に温めて、孵して、ねっ」
「はあっ!? ちょっ、待て!」
慌てて手を伸ばしたけど、届くハズもなかった。
ぶわっと強風にあおられて、片手を上げて目を覆う。頭上にデカい影が差し、バサッ、バサッ、と羽音が響く。
強風がようやくやんだ時には、もう鳥も少年も姿はなくて。後には不気味な金の卵と、巨大な黒い鳥の羽、そして、さっき掃き清めてたとは思えねぇ、ゴミだらけの境内が残された。
卵を小脇に抱えたまま、呆然と立ち竦む。
「……何?」
ぼそっと呟いても、応えはなかった。見上げた空には一点の曇りもなく、あのデカい影もねぇ。風もねぇ。
何なんだ。
ドッと疲れた気分で、竹ぼうきを拾い上げる。
いやいや、考えんな。
オレがやるべきことは、まず掃除だ。
ぶるぶる頭を振り、無理矢理切り替えようとしたけど、小脇に抱えた卵がそれを許さねぇ。
このままじゃ掃除もできねーし、どうするか。社務所に置いて来るか、その辺に転がしとくか、と、迷ったのは一瞬。
「まあ、いーや」
オレはぼそっと呟いて、神官白衣のあわせを緩め、懐にデカい卵を押し込んだ。
土の上で割れちまったら掃除が面倒だし、かといって、いちいち戻んのも面倒だ。
上下白の夏服だし、懐で割れたらまた面倒臭そうだけど、意外と殻は固そうだし、掃除の間くらい平気だろう。
そんなことを思いながら、服の上から懐の卵をポンと叩く。
そしたら、卵がパァッと光って――たちまち黄金の粒子になり、しゅうっとオレの体ん中に入ってった。
「……はあっ!?」
大声で叫んで胸元を見たけど、卵は影も形もねぇ。キョロキョロ周りを見回しても、足元を見ても、懐に触れても、もうどこにも卵はなかった。
意味がワカンネー。
これは現実か? 夢か? もしかして幻覚? 早朝から熱中症か?
あまりの事態に目眩がしてきて、竹ぼうきに縋りながらしゃがみ込む。脱力してる場合じゃねぇと思い直したのは、ゴミだらけになった石畳が目に入ったからだ。
ヤベェ。
さっさと掃き清めねーと、すぐに朝のお勤めが始まる。
間もなく、じわじわとセミの鳴き声が聞こえ始めて、いつも通りの朝だと思った。
デカい黒羽を見なかったことにして、落ち葉と一緒に掃き集め、さっさとゴミを捨てに行く。
あれは夢だ。あれは夢だ。カラス天狗なんか、現実にいるハズねーし。オレとアイツの卵だって、現実的には有り得ねぇ。
夢だ。忘れろ。つーか、もう忘れた。
自分にそう言い聞かせながら、いつも通りのお勤めを終え、神職に励んで1日を追える。
明日もまた、朝早ぇ。
住み込んでる社務所の奥の一室に、布団を敷いて明かりを消したのは、日付の変わる少し前だ。
ここんとこ寝苦しかったけど、夏も終わりに近付いて、窓からの夜風が心地イイ。そう思った時――。
バサッ。
大きな羽音が窓の外に響き、月明かりの差し込む部屋に、不気味な黒い影が差した。
(続く)
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