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小説 1−11
仮面の王子 (虜囚王子阿部×騎士三橋)
 コツコツと響く足音を聞き、王子は小さく身じろぎをした。地下牢には窓がないため、今が昼か夜かも分からない。
 始めは1日に2度与えられる食事で時間を測っていたが、それもその内間遠になり、抜かれることも度々で、時間を知る助けにはならなかった。
 足音の主は牢番か大臣か、それとも処刑人だろうか?
 王子が地下に囚われていると知る者は少なく、ここに来る者自体、限られている。王位を簒奪した大臣が、前に「処刑は3日後だ」と言っていたから、やはり処刑人かも知れない。
 てっきり城門前で民衆に晒され、ギロチンにかけられると思っていたのだが、もしかすると人知れず殺すつもりなのだろうか。
 今がその3日後なのか、それすら王子には分からなかったが、望みがないのは確かだ。
 血と糞尿と腐敗物の悪臭にもとうに慣れた。
 風呂にも入れず着替えもなく、床はいつもじめじめしていて、王子自身も汚れるばかり。常に空腹では思考も回らず、希望を持ち続けるのは難しかった。

「誰も助けは来ませんぞ」
 どれ程前かは定かではないが、大臣にそう言われたことがある。
 国中の全ての貴族は、大臣に従ったとか。後はもう戴冠式を待つだけで、王子の婚約者も、もう大臣のものになったらしい。
 生まれた時から決められていた婚約者などどうでもいいが、全ての貴族が従ったとは信じ難い。
 弟はどうなった? イトコは? 友人は? 専属の騎士たちは?
「お前の言葉なんか信じねぇ!」
 当初、大声で大臣をなじった王子だったが、今はもう反論するだけの力はなかった。
 ただ、惨めに床に這いつくばった格好で、殺されるのだけは御免だった。

 石造りの床に両手を突き、何とか身を起こした頃、足音が牢の前で止まった。
 ガチャン。鈍い音と共に、鉄格子が開けられる。
 入って来た男は、死神のような黒装束で、フードを深く被って顔を隠している。やはり処刑人か。
 死を覚悟して、王子は息を詰めた。だが――。
「選べ」
 侵入者はそう言って、王子の目の前に、黒の仮面を差し出した。

「み、惨めに処刑を待つ、か、仮面をつけて、一生、隠れて過ごすか、選べ」

 少し高めのひそやかな声。口調こそ勇ましいが、震えてドモって台無しだ。
 聞き覚えのある声に、王子はハッと顔を上げた。諦めていた希望の光が、再び差し込むのを感じて、胸が自然と熱くなる。
「レン……」
 誰よりも信じていた側近。専属騎士の名前を呼び、差し出された仮面を受け取る。
 逃げ隠れするのは性分ではないが、国内外に広く知られたこの顔を、今は晒す訳にもいかないのだろう。
 仮面は冷たかったが、あつらえたようにピッタリと、王子の顔半分を覆った。
 父王に似た目元が隠されてしまえば、追及の手を逃れることが、かなり楽になるに違いない。

「処刑される訳にはいかねぇ。けど、一生隠れるつもりもねぇ」

「それでこそ、殿下、だ」
 王子らしさの戻った力強い言葉に、ふひっと騎士が笑みを漏らす。
「なら、急ごう」
 差し出された手を握り締め、王子は再び立ち上がる。
 やつれた体では何歩も動けず、早々の内に騎士に背負われることになったが、そんな王子を彼が嘲笑うハズもなかった。
 この騎士に裏切られることはない。だから、王子も彼を裏切らない。
 そう信じられるのは、どれだけ幸せなことだろう。

「レン、会いたかった……」
 黒いマントで覆われ、信頼する騎士に背負われながら、王子は彼の耳元に囁いた。本当はもっと告げたい想いがあったけれど、今はまだその時ではない。
「オレ、も。お、遅くなって、ごめん」
 ぼそりと返される言葉に、小さな喜びの火が灯る。久々に吸う外の空気は、ただひたすら美味しかった。

   (終)

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