小説 2
5 浄化
ため池が見え始めると、水の清濁もハッキリ分かるようになってきた。
前に来たのはそんな昔のコトじゃねーのに、あの時浄化したはずの池は、またうっすらと淀んでる。相変わらず、全く使われてねーらしい。
「水たまりかっつの」
ついつい文句が出たってしかたねーだろう。坂を上って池のほとりまで行って見ると、手入れのされてねぇのがモロ分かりだし。
はびこった雑草、そして隠しようのねぇ臭い。同行の直姫も、そして副隊長も顔をしかめてる。
「これは……」
副隊長が絶句する中、直姫が1つため息をついた。
「水に恵まれた国だからこその荒廃か」
呆れたような言葉に反論もできねぇ。だって、ビジョーみてーな砂漠の国を見た後なら、余計にな。
直姫の祖国である、草原の国ムサシ・ノウだって、水源はここほど豊かじゃねーし。そりゃ、理解できねーよな。
オレもそうだ。理由がワカンネー。
デケーため池を使わねぇ理由、広い農地を荒れさせてる理由、そして、それを近隣の住民に使わせねー理由……。
どうせ浄化しても、またすぐに淀ませちまうんだろう。そう思うと、このまま放っとこうかって気もするけど、やっぱキモチワリーし。
「廉」
オレは廉に向かって手を伸ばし、ぎゅっと繋いだ。
何も言わなくても、今から何をするかは分かったらしい。廉は黙ってうなずいて、池に向かって手を掲げる。
廉の隣で、オレもそうした。
思い描くのは、自然の理に満ちた水面。雨を溜め、地を潤し、生き物を育てて、また空に還る水。
浄化は一瞬だ。
けど、何度も何度も同じ池で繰り返したくはねーな。ムダだ。
ゆっくりと手を下ろし、目を開けたと同時に、横にいた副隊長が「ああ……」と感心したように唸った。
直姫はっつーと、苦笑してる。
「人心の浄化はできぬのか?」
って、それができりゃ苦労しねーよな。
「残念ながら」
そう言って、肩を竦めて笑うしかねぇ。
今のオレ達には、自然よりも動物よりも、ニンゲンの方が厄介だった。
副隊長がそばにいるからだろうか、前回みてーに「おい、こら」と声掛けられることはなかった。
坂道を降りて池の側を離れながら、思い出してふと呟く。
「将軍様のお池、か……」
退役軍人だとか言ってたっけ?
同じ軍人同士だし、その「将軍様」がどんなヤツなんか、副隊長は知ってっかな? それとも、国境警備隊と近衛隊とじゃ、交流はねーんだろうか?
「この池は、ここいらに住んでる名誉将軍の私有地らしーぜ」
そう言うと、副隊長が眉を寄せた。
「どんなヤツか知ってっか?」
それには「いえ」って即答だったけど、「変ですね」とも言った。
「退役して居を構えたというなら、この池も畑も陛下からの受領です。それをここまで堂々と荒廃させるというのは、納得がいきません」
陛下からの受領、か。
「はーん」
うなずいて、池の方を振り返る。
オレは別に、親父のコトなんざ尊敬してねーし、今「領地をやろう」って言われたって、いらねーし受け取らねーけど。
でも、そうか、王から頂いたモノを大事にしてねーってのは、問題と言えば問題か。
「反意の恐れアリ、って感じか?」
ズバッと訊いてやると、副隊長は曖昧に首を振って「そこまでは」と言葉を濁した。
まあ、不用意に即答はできねーよな。
直姫は、オレ達の話を黙って聞いた後、可愛らしい顔をしかめて「ふん」と言った。
「率直に言わせて貰えば、私は気に入らん」
姫らしい発言だ。っつーか、きっと元希も同じコト言うんじゃねーかな。
正義とか悪とか、反意だとか恭順だとか――そういうのを考えに入れなくても。やっぱ、オレもこの池と将軍のことは、単純に気に入らねー。
そこはかとない悪意が漂ってる気がした。
畑といえば、あっち側の畑はどうなったんかな?
町を通り越して反対側、水路のねぇ畑を思い出して、ふと思う。
子供たちが手入れしてた畑。あそこも将軍の土地なんだろうか?
前に来た時、「ここに井戸を掘れ」ってアドバイスしたけど。結局どうなったんかな?
気になったら、やっぱ確認したくなって来た。つっても、オレらだけで勝手に行く訳にもいかねーし、一応直姫にも訊いてみる。
「町の反対側にも畑があるんですが、行って見てもよろしいでしょうか?」
まあ井戸なんて、行くまでもなく掘ってねーんだろうなとは思うけど。
でも、それなら尚更、見といた方が良いような気もする。なんたって、今のオレは「王子」だしな。
王族だなんて、恥ずかしくて大声で名乗りてーもんでもねーと思うけど。使えそうな時には、割り切って有効に使いてぇ。
例えば――命じて井戸を掘らすとか。
けど結局、向こうの畑は見に行くことはできなかった。
町を通過しようとした時、「殿下!」と護衛兵の1人に呼ばれたんだ。
「どうした?」
副隊長の質問に、兵士は「はっ」と敬礼をして、オレの顔を見ながら言った。
「国境警備隊隊長殿から、殿下にご報告があるそうです」
「報告?」
副隊長と顔を見合わせ、1つうなずく。
尋問が終わったんだろうと、言われるまでもなく悟った。
(続く)
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