小説 2
6 孵化
何か薄く硬い膜が、割れたような気配がした。と同時に、背中から内側へ突き抜ける衝撃。
「くはっ」
堪らず息を漏らす。
全身を熱い力が駆け巡る。指先からつま先まで、髪の毛の一本一本にまで、力が満ちる。生まれ変わる。
オレは。
廉は。
ロカ氏の足が、背中から退いていた。向けられた剣も下げられていた。輪を描くように、オレと廉からビジョーの兵が引いて行く。
オレはゆっくり立ち上がった。
廉も立ち上がった。
竜卵は孵化した。
たった今。
幼く小さな少年はいない。
そこに立つのは、若き竜。
瞳を金に燃え上がらせ、力に満ちた、しなやかな白い身体の海の王。祥洋王。
オレを見て、廉が笑った。
自然と笑みがこぼれる。めでたい。
オレが左手を掲げると、廉はゆっくり歩み寄り、自分の右手をそれに合わせた。
晴れて乾いた空に雲がわき、雨が降り始めた。
東からの昇り切った朝日と雨が、血を浄化するだろう。めでたい。
もはや剣を振る者はなく、殺戮の衝動は霧散した。
我に返ればしかばねの山で、非を罪を悟るだろう。めでたい。
オレは静かに、ビジョーの軍を見渡した。
さっきまでの戦闘が、嘘のように鎮まってる。
全員がおそらく思っただろう。人と竜の、圧倒的な存在の差を。おそらく感じ取っただろう、穏やかで深く、底のない力を。
最初に沈黙を破ったのは、倉田という青年だった。
「引け、引けーっ」
「退却ーっ!」
呆然としていたビジョー兵達が、我先にと逃げて行く。
ロカ氏は憎々しげにオレを睨み、ビジョーの連中と共に去った。
それを見届けるようにして雨がやむ。と同時に、元希が膝から崩れ落ちた。
「元希!」
直姫が慌てて取り縋った。
生き残った味方兵が駆け付ける。わずか二人。
「止血を!」
兵の指示で、直姫が服の端を細長く破り取って渡した。それを紐の代わりにして、切断面のやや上をグッと縛った。
「……火で、焼け……」
元希が蒼白な顔で言った。
「しかし、ここでは」
兵がためらう。オレは尋ねた。
「ここじゃダメなんか?」
「傷口を焼く程の火がありません。それに、どのみち薬が……」
オレは元希を見て、その傷口を見た。縛ってはいるが、やっぱり血は止まってねぇ。焼いて血止めするしかねーだろう。
「火が用意できたら、あんた焼けるか? オレはやり方知らねーから」
兵はしばらく黙った後、「はい」と頭を下げた。
オレはポケットからマッチを出し、上着を脱いで火を点けた。オレの隣に廉が立った。何も言わなくても解っていた。オレ達は、この火を大きくできるって。
手を火にかざして、火を思う。鉄を焼く程の火になるように。
火が火であること。その理を。
水が水であること。その理を。
地が地であることを。風が風であることを。
オレは知っていた。いや、廉が知っていた。廉が知っていることを、オレは全て知っていた。
業火となった炎に、兵の一人が剣を入れた。赤く焼いた鉄の剣を、元希の右腕の断面に近付ける。もう一人の兵が、元希の口に布を噛ませ、上半身をしっかり固定した。
ジュウウ。
肉と血の焦げるニオイ。
元希はわずかな声すら漏らさず耐え、けど全身を痙攣させて、気絶した。直姫は気丈にも、その様子を見守ってた。
「直姫」
オレは膝を突き、姫に目線を合わせて尋ねた。
「どこに向かいますか? ニシウ・ラーか、ムサシ・ノウか。竜卵は孵化しました。オレ達は、どこにでも飛べます」
オレの隣に、廉がぺたんと座った。オレは廉の顔を覗き込んで、「なあ?」と聞いた。
廉はうなずき、少し低くなった声で、たどたどしく応えた。
「う、廉、飛べ、る」
そしてにこっと笑った。
直姫は涙を流しながら、「ムサシ・ノウへ」と言った。廉がうなずいて立ち上がった。
若き竜が、真の姿を現した。
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