小説 1−10
鬼子ども・3
女教師が突然の腹痛に倒れたのは、そんなある日のことだった。
村には医者がなく、急病人は町まで運ばなければならない。村長が荷馬車を用意して、苦しむ女教師を診療所まで運ぶことになった。
勿論、授業どころではない。
その日の授業はすべて中止になり、子供たちはみんな、家に帰されることになった。
――ただ1人、廉を除いて。
女教師を心配しつつ、1人、また1人と子供たちが分校を後にする。
廉も黒いランドセルを背負い、靴を履いたが、校舎の入り口に座り込んでしまった。
「お前、帰んねーの?」
見かねて梓が声を掛けると、廉はこくりとうなずいた。
「迎えが来るまで、そうしてるつもりか?」
その問いにも、こくりとうなずく。
まだ弁当も食べていない、午前中だ。
いつもなら、遊んでいるうちに来るだろう迎えも、さすがにこんな早くには来ない。
何しろ、男と連絡が取れないのだ。
村長の家にしかない電話機が、ここよりもっと山奥の、廉の家にあるハズもない。
一体何時間、ここでそうして待たなければならないのだろう。不安そうに沈む顔を見ていると、放って置けないように思う。
「うちに来るか?」
試しに誘うと、廉は一瞬考えて、けれどすぐに首を振った。
人見知りの廉が無邪気に応じるとは、梓も思っていなかったので、断られるのは想定内だ。
「けど迎えが来るの、ずっと後だぞ」
梓の言葉に、廉はまた1つうなずいた。
「待つの、慣れてる、から、平気」
「慣れてるって……」
とつとつとした答えに、ちょっと戸惑う。
男が狩りをしたり、町に買い出しに行ったりするとき、廉はひとりで留守番することが多いという。
過保護のくせにとは思ったけれど、山奥にたった2人で暮らしているのだから、よく考えれば慣れているのは当然なのかも知れなかった。
「待ってねーで、帰ったらどうだ? 道、分かるんだろ?」
「わ、かるけど……」
困ったように眉を下げ、廉がぐっと口ごもる。
そこに突然割って入ったのは、悠一郎だった。
「じゃー、オレらが一緒に行ってやるよ。なぁ、花井?」
無邪気な声でそう言って、悠一郎が廉と梓、2人の肩に両腕を回す。
「なんでオレも?」
すかさず文句を言ったが、それでためらう悠一郎ではなかった。「いーじゃん、いーじゃん」と軽い口調で文句を流し、あっけらかんと笑っている。
「オレ、タンコー村、見てみたかったんだよね」
悪びれない仲間の言葉に、梓はやれやれと思ったが、ここで「オレは知らねぇ」と背を向けて帰ってしまう程、薄情にはなれなかった。
「ほら、そうと決まればさっさと行くぞ」
悠一郎がニカッと笑って、うずくまる廉の手を引いて立たせる。
廉の背中からランドセルを奪い取り、「持ってやるよ」と強引に背負っているのは、きっと純粋な親切心からではなく、背負ってみたいという好奇心が主だろう。
「うひゃー、結構ずっしりだなーっ」
弾んだ声で感嘆しながら、悠一郎が軽々とスキップを始めた。ザカザカと音を立てて、ランドセルの中の荷物が踊る。
「こら、お前、自分の荷物は?」
梓が訊くと、悠一郎は「置いてきたー」と大声で言って、それからダッと校門に向けて走り出した。
「レーン、競争だぞー!」
そんな一方的な宣言に、廉は一瞬ぽかんとし、それから立ち上がって悠一郎を追いかけた。
「あっ、おい!」
梓が止める隙もない。「待ってー」と叫ぶ声があっという間に遠くなって、梓も遅ればせながら後を追った。
分校の仲間内でも、ぶっちぎりに足の速い悠一郎と、それに十分ついて行ける廉。その2人の後を追うのは、正直大変だった。
「走んな、こらーっ」
怒鳴りながら、自らも全力で走る。
悠一郎がくるりと振り向き、「遅いぞ」と梓を笑う。そんな真似をされれば、負けてなどいられないだろう。
しばらく本気で追いかけっこをして、ぜいぜいと息を切らす頃には、とうに村の外にいた。
「やべーよ、怒られるぞ」
梓が一瞬そう思ったのは、「危ないから近付くな」と母親にクギを刺されたていたからだ。
けれどよく考えてみれば、それは落ちた吊り橋の話であって、廉の言う遠回りの道のことではない。
保護者同伴とはいえ、毎日廉が行き帰りしている道なのだから、そう危ないこともないハズだ。梓はそう思って、「学校に戻ろう」との提案を呑み込んだ。
「ここまで来たら、戻る方が面倒だろ。行こうぜ!」
廉の手を掴み、ぐいぐい引っ張って先を行こうとするのは、勿論悠一郎だ。
「道、分かるんだろ? まだ遠いのか?」
悠一郎の問いかけに、ギクシャクとうなずく廉。
村の方を振り返り、振り返りしながら悠一郎に連れられる様子は、ちょっぴり哀れだ。
人に慣れていない廉は、友達付き合いにも慣れていない。暴走する悠一郎を、コントロールなどできるハズもなかった。
道を教える廉と、その廉の前に立ち、ぐいぐいと引きずるように歩く悠一郎。その2人の後にぴったりついて、梓は深い山に足を踏み入れた。
やがて道はどんどん細くなり、獣道へと変わった。森と土の臭いが濃くなって、視界が遮られ、木々の奥が薄暗い。
「川、越えたら、半分くらい」
とつとつと言う廉の説明に、まだ半分も来てないのかと辟易したが、悠一郎はそんな意識もないらしい。
「おっ、川の音だ!」
嬉しそうに大声で言って、獣道をダッと駆けて行く。
廉のランドセルを背負ったままなのに、重いとも感じていそうになくて、元気だなぁと梓は呆れた。
(続く)
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