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小説 1−9
囚われの里・6
 何度鳥居をくぐり直しても、そこから景色が変わることはなかった。
「廉? れーん?」
 青年の名前を呼んでも、応えはない。
 ダッと駆け出すと、すぐに土手の前まで来た。崩れかけた石段は、明らかにあの石段とは違っていて、上っても浅い川が見えるだけだった。
 とぼとぼと土手を降り、隆也は再びあの石造りの鳥居の前まで戻った。
 よく見ると、確かに大きめではあるけれど、それ程高くもない鳥居である。白い注連縄が静かに掛かっていて、それをぼうっと見上げると、胸が痛んだ。
 ふらふらとその足元に寄り、基礎の石にもたれるように座り込む。

 どのくらいそうしていただろう?
「ボク、どうした?」
 ふいに声を掛けられて、隆也はハッと顔を上げた。
 目を向けると、白装束の神主らしき老人が竹ぼうきを握って立っている。
「いえ、何でも……」
 何でもないと言いかけた隆也の目に、老人に掃き集められたモノが映った。それは大量の桜の花びらで――。
 それを見た直後、涙が滝のように溢れ出た。

「んっ、どうしたね?」
 老人が慌てたように声を掛けてくれるけれど、返事すらできなかった。
 廉はもういない。
 時が止まった美しい里に囚われていた、あの穏やかで気弱げな青年は、もうどこにもいないのだ。
 自分のせいで、いなくなった。
 強引に連れ出したりしたから。
 最後に「ありがとう」と囁く声を聞いたような気もするが、それで罪悪感が薄れる訳ではなかった。
「廉……廉が、消えた……」
 ぼたぼたと涙を落とし、悲嘆にくれる。
 老人は戸惑いつつも優しく背中を撫でてくれたけれど、その枯れた手は、廉程に温もりを分けてくれはしなかった。

 あまりに泣きやまないでいたせいか、老人は隆也を社務所に案内してくれた。
「まあ、茶でも飲みなさい」
 洒落た湯呑にキレイな色の緑茶を貰い、ふうふうと冷まして1口飲む。
 欠けた湯呑の桜茶を思い出し、やはり胸は痛んだけれど、緑茶は爽やかで美味かった。
「ボク、見かけない子だな。どこの子だ?」
 老人に問われ、隆也は親戚の家のことを話した。一瞬、探されているのではと警戒したが、そうでもないらしい。
 恐る恐る今日の日付を訊くと、1人で探検に出てからまだ1時間も経ってはいなかった。
 そんなバカなと思ったが、同時にそうだよな、とも思った。
 決して夢を見ていた訳ではない。その証拠に、隆也は裸足だ。脱いだ白い靴下は、いびつなボールの形のままで、きっとあそこにあるのだろう。
 同じ朝と同じ夜を永遠に繰り返す、囚われの里。今日が終わってもまた今日が来るのだと、廉に言われた通りだった。

 またあの青年のことを思い出し、視界が滲む。唇を噛み締め、隆也はぐっと上を向いた。すると向こうの壁に、1枚の大きな絵が飾られているのに気が付いた。
 ひゅっと息を呑み、立ち上がる。
「こ、れ……っ!」
 その絵は、あの里だった。
 黄緑に萌える丘、延々と降り続く桜吹雪、崩れかけた石塀の中の、小さな民家。今にもその庭から、薄茶色の髪の青年がひょっこりと立ち上がり、ふわりと笑ってくれそうだ。
「ああっ……!」
 無我夢中で駆け寄り、その絵の中を覗き込む。
 けれど、いくら目を凝らして眺めても、絵の中に誰かの姿を見付けることはできなかった。

 しばらくしてから、老人が静かに教えてくれた。
「その絵は、ワシのじいさんの代に寄贈されたものだ。じいさんから聞いた話でよくは知らんが、その絵を描いた画家は若い頃に旅行に来て、仲間たち数人と神隠しに遭ったらしい。そんであっちの世界に、仲間の1人を置いて来てしまったそうな」
「仲間……」
 廉を想いながら、ぽつりと呟く。
 老人の祖父の代ということは、何年前になるのだろう?
 電気も水道もない、TVも電話もない、閉じられた世界で過ごした1日のことを思い出す。
「1人足らないと気付いた時は、門が閉じた後だったそうでな。それからどこを探しても、何年経ってもその仲間は見付からず、そのまま行方知れずということになったという話だ……」
 老人の語る話が、本当かどうかは分からない。
 絵を寄贈した画家が、真実を話したかどうかも分からない。
 ただ、どういう気持ちで描かれたにせよ、その絵はひどく優しい色に溢れていて、哀しいけれど嫌いにはなれなかった。

 その絵を見て、同じように泣いたり、笑ったりする人が今までに何人もいたらしい。
 譲ってくれと言う人もいたそうだが、老人もその父も、祖父も、断り続けていたそうだ。
「ボクも、行ったのか?」
 静かに問われ、隆也はこくりとうなずいた。
 きっと今より後にあの里に迷い込んだ人間は、この絵を見たところで泣いたり笑ったりはしないだろう。
 迷い客を「どうぞ」ともてなす、穏やかな青年はもういない。
 あの井戸水は汲まれることなく、風呂も焚かれることなく、布団が干されることもなく、きっと朽ちて行くのだろう。
 そんな予感に、またじわりと涙が浮かんだけれど、老人は黙ったまま何も言わなかった。
 枯れた手で頭を優しく撫でられて、少年は嗚咽を噛み締めた。


 その日から親戚の家を発つまでの間、隆也は毎日鳥居をくぐり、その神社にお参りをした。
 願い事はたった1つ。また廉に会えること。
 埼玉の家に帰った後も、リトルリーグに通う傍ら、神社通いをやめなかった。
 どこに居ても、どこで願っても、神は神だ。
 1年経っても2年経っても、3年、4年……10年経っても、祈らずにはいられなかった。

(続く)

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あきゅろす。
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