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小説 1−9
囚われの里・4
 何をしているのかとの質問に、青年は「水、汲んでる」と答えた。
「見りゃ分かるよ!」
 思わず喚くとくすくす笑われたので、もしかすると冗談だったのかも知れない。
「ご飯の用意、しようと思って」
 青年はそう言って、井戸から汲み上げた水をざばーっと桶に移した。細身の割に力があるのは、足腰がしっかりしてるからだろうか?
「メシ?」
「そう。食べる、でしょ?」
 うなずくまでもなく、ぐぐーっと隆也の腹が鳴る。
 その音にふひっと笑って、廉は水汲みの手を止め、土間からふかし芋を取って来た。

 どうぞ、と差し出されて遠慮なく受け取る。サツマイモをふかして冷やしただけの物なのに、甘くて美味い。
 ガツガツ食べて飲み込むと、ふいにノドがぐっと詰まった。
「んぐっ」
 呻いて胸をゲンコツで叩くと、廉が慌てたように「水、水!」と騒いだ。
 井戸から汲み上げた、つるべのまま差し出され、おいおいと思いつつも近寄る。けれど、椀の形にした手に入れてくれた井戸水は、すっきりと冷たくて美味かった。
 最初に湯呑で飲ませてくれた水も、同じ水だったのだろうか?
 水と言えば、浄水器を通した水か、ペットボトルの水しか飲んだことがなかったが、そんなものより余程美味い。
「落ち着いて食べて、ね」
 優しく廉に諭されて、隆也は口元を手の甲でぬぐい、「おー」と答えた。
 ホッとしたように笑われると、胸の奥が温かくなった。

 廉に倣って水汲みをしたり、飯の準備や風呂の準備を手伝ったりしている内に、やがて日が暮れ始めた。
 日が暮れて夜になるのは当たり前のことなのに、何故だがとても驚いた。時間が止まっているかのように感じていたから、余計だろうか。
 夕焼けに染まる空を見ていると、治まっていた不安がぶり返す。
 それが顔に出ていたのだろう。
「大丈夫、大丈夫、だよ」
 青年が再び隆也を抱き締めて、繰り返し背中をさすってくれた。
「今日が終わっても、また今日が始まるだけ、だから。大丈夫、だよ」
 それがどういう意味なのか、隆也にはよく分からなかった。
 泣き喚く程動揺してはいないけれど、どうにも落ち着かなくて、隆也は廉の痩身にしがみついた。
 温かくて、どことなく春の匂いのする青年。
 その穏やかな声で「帰れる、よ」と囁かれながら、隆也は胸いっぱいに彼の匂いを吸い込んだ。

 日暮れ前から一緒に作った雑炊は、素朴な味わいで美味かった。
 マキで火を炊くのは初めてで、それは時々煙との戦いでもあったけれど、廉が隣で笑ってくれたから、悪い気はしなかった。
 風呂もマキで炊いた。石で固められた台の内側に、黒々とした大きな釜が埋め込まれた五右衛門風呂だ。実物を初めて見たこともあって、テンションが上がった。
 ぷかぷかと浮いている丸い木の板を、そのまま踏んで沈めて入るらしい。
 隆也が風呂に入っている間、廉はその外でマキをくべながら火加減の調節をしてくれた。
「温くない? あ、熱くなり過ぎたら、教えて、ね」
 入浴中に、格子窓から声を掛けられて、柄にもなくドギマギした。
 廉が入っている時は、隆也が外で火加減を見た。
 いや、初めての経験なのだから、調節などできようもない。ただ、釜の前に座り、燃えるマキを見ていただけだ。
 ざばざばと水音がするたび、心臓が痛いくらいに跳ね上がる。
 格子戸から外をぼんやりと覗く廉。その物憂げな白い顔に、どうしようもなく惹きつけられた。

 夜は、同じ布団で添い寝した。
 ひとり暮らしなのだから、布団が1組しかないのは当然だろう。
 薄っぺらくて粗末な布団だったけれど、しっかり外に干されたせいか、春の陽だまりの匂いがした。
 青年と同じ匂いだ。
 長い長い1日の終わり、障子戸から差し込む柔らかな月明かりの中、温もりに包まれて目を閉じる。
 ――今日が終わっても、また今日が始まる。
 廉の言葉を思い出し、ふいに恐ろしくなったけれど、あやすように背中を撫でられて、隆也は考えを放棄した。

 閉じられた世界。繰り返す夜と朝。
 雨が降れば、「キミは」必ず帰れると、廉は言った。では、彼は? ずっとここに囚われたままで暮らすのだろうか?

「……ない、で」
 夜中、ぽつりと落とされた言葉に、隆也の意識が浮上した。
 急速に目が覚めた少年の耳に、隣で眠る青年の寝言がじわりと浸みる。
「置いてかない、で。待って……」
 薄い唇から漏らされた言葉。白い頬に涙がつうっと伝って、訳もなくうろたえた。
「廉、起きろ、廉!」
 思わず声を掛けて揺り起こすと、廉は長いまつ毛をまたたかせ、寝ぼけた様子で「ふお?」と言った。
「な、に? どうかした?」
 体を起こしながら、いつもの様子で問いかけられる。濡れた頬を手でぬぐい、不思議そうにはしていたけれど、夢の残滓はなさそうだった。

「どう、したの? 怖い夢でも、見た?」
 穏やかな声で尋ねられ、顔をふわりと覗き込まれる。
「オレじゃなくて、アンタだろ。夢見てたの」
 言い返すと、本当に自覚がないのだろう。「オ、レ?」と首を傾げられた。
「そうだよ。……どんな夢、見てたんだ?」
「夢……」
 隆也の問いに、廉は考え込んで遠い目を向けた。
『置いてかないで。待って』
 泣きながら告げた相手は、誰なのだろう?
 隆也ではない。隆也はまだ、廉を置き去りにしていない。胸が軋む。見知らぬ誰かではなくて、自分のことを想って欲しい。
 けれど、泣いて欲しい訳じゃなくて――。

「もう少し、寝よう?」
 ひそやかに布団に誘われて、隆也は素直に従った。
 着古した浴衣に身を包む青年に、思い切って腕を回す。
 その小さな体では、彼を抱き締めるのに足りなかったけれど、包み込んでやりたいと思った。

(続く)

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あきゅろす。
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