小説 1−8 エンカウンター・中編 「さっきの、誰?」 阿部君が厳しい声で訊いた。 「き、きゅ、球児、さん」 「球児さん?」 「は、ハンドルネーム・球児、さん」 正直に言うと、阿部君は怖い顔のまま、はぁーっとため息をついた。 「本名知らねーの?」 その問いに、こくりとうなずいて目を逸らす。名前なんて、一夜だけの関係には不要、だし。球児さんもそう言ってた。 大体、ネットで知り合った相手なんて、そんなもの、だよ、ね? 「……ふーん、まあ、お前だって本名名乗ってなかったもんな」 分かったようなこと言ってるけど、阿部君の目はちっとも笑ってないままだ。やっぱり、名前を借りたこと怒ってるの、かな? 胸倉を放して貰えてホッとしたのも束の間、今度は肩を押されて壁に強く押し付けられた。 「で? ヤツとは何回目?」 顔の真横に両腕を突かれ、囲い込まれて尋問される。 阿部君の顔がまともに見られないのは、怖いからっていうより、単純に距離が近いからだ。 「な、何回目、って?」 「ヤッた回数だよ。何回目だ? 相当遊び慣れてんじゃねーのかっ!?」 間近で大声を出されて、ビクッと全身が震える。理由は分かんないけど、怒ってるのは確かで、怖くて、鳥肌が立った。 「しょ、初対面、だよ。オレ、今日がハジメテ、で。ほ、ほ、ホテル来たのも初めてだ、し。で、出会い系使ったの、だって……」 「出会い系?」 食い気味に訊かれ、あわあわと口ごもる。 「出会い系って何?」 重ねて静かに訊いてくる阿部君。恥ずかしいけど、全部説明しないと解放してくれそうにない。 「ゲイ専門の、あ、アプリ。お、オレ、小っちゃい頃、から、男が好き、で……っ」 カーッと赤面しつつ、オレはぎゅっと目を閉じて大声を出した。自覚したのはいつだとか、今の状況だとか、エロ本見た時の気持ちとか……思いつくまま、しどろもどろに説明する。 「……そ、それで、わ、割り切って遊んでくれる人、探したら、球児さんがっ」 「へーえ」 オレの説明を不機嫌そうに遮って、阿部君がふん、と鼻で笑った。 「割り切って遊んでくれんなら、誰でもいーのか、お前?」 そう言われると、身もフタもなくて言い訳できない。余計に顔が赤くなる。 顔が近い。声も近い。 オレ、阿部君にもちょっと憧れてて。やや高い目線から見下ろされ、鍛えたたくましい腕に囲われると、単に怒られてるだけなのに、意識しちゃってしょうがない。 阿部君も、やっぱり男なんだな。そう思った時――いきなり髪の毛を掴まれ、斜め上を向かされた。 「誰でもいーなら、オレでもいーよな」 言葉の意味を頭が理解するより先に、阿部君の顔が寄せられる。 ちゅっと軽くキスされ、「ふえっ」と叫ぶと、もっかい唇を奪われた。生ぬるい舌を捻じ込まれ、驚愕に体が硬直する。 正真正銘のファーストキス。 「んんっ」 焦ってうめいたけどやめて貰えなくて、ますますキスが深まった。 舌に舌を絡められると、じっとしてらんないくらい気持ちイイ。まっすぐ立ってられずにふらついて、目の前の阿部君にしがみつく。 キスの後、ぽうっとその顔を見上げると、顔をしかめて「くそっ」って言われた。 「何だ、その色っぽい顔! てめぇ、今までどんだけの男にそんな顔、見せた?」 色っぽい、って、オレのこと? 「ふえっ?」 驚いて口元を片手で覆うと、その手をグイッと引き剥がされた。 そのまま部屋の真ん中まで引きずられ、乱暴にベッドに倒される。スプリングが効いてて痛くはないけど、ビックリした。 上から覆い被されて、どぎまぎと目を逸らす。 「あ、あ、あ、あ、阿部君……」 上擦った声で名前を呼ぶと、またキスされた。 阿部君こそ、こういうこと慣れてるのかな? 体をシャツ越しに撫で回されて、「んんっ」っと変な声が出る。 「脱げよ、遊んでやる」 少し息を弾ませて、阿部君が言った。 遊ぶって。や、やっぱりそういう意味なの、かな? 脱げって言われても、今更ながらにキンチョーしてきて、どうすればいいのか分かんない。 シャツの裾から侵入した手が、お腹から胸へと這わされる。 こんなに恥ずかしいのは、相手が知り合いだからかな? 阿部君、割り切って遊んでくれるんだろうか? こんなことして、気まずくならない? 考えがまとまらなくて、何か言わなきゃって思うのに言葉にならない。顔はとんでもなく熱くなってて、恥ずかしくて、目を開けてもいられない。 目を閉じてされるがままになってると、ちゅっと脇腹にキスされた。 「ひゃっ」 悲鳴を上げて身をよじると、「暴れんな」って低い声で命令される。 口元を両手で覆って耐えてると、今度は舌を這わされた。脇腹、お腹、胸……ゆっくりと舐め上げられて、びくんと震える。乳首に吸い付かれた時は、たまらず「ああっ」と声が漏れた。 「ま、ま、待って」 そりゃ、オレ、誰でも良かったけど――こんなの、トモダチ同士ですることじゃない。 「あっ、やっ、阿部君っ」 夢中で肩を押し返すと、不機嫌そうに「なんだよ?」って訊かれた。 「か、か、か、カノジョは、いい、の?」 さっき、下の入り口のフロアでちらっと見た子を思い出す。よく見てないけど色白で茶髪で、可愛い子だったような気もする。 オレの言葉に、阿部君はまた小さく舌打ちを返した。 突っぱねてた両手をぐいっと掴まれ、顔の横に縫いとめられる。 「うっせーな、カノジョなんかじゃねーよ!」 眉をキツクしかめて、阿部君がオレを睨んだ。 「お前にそっくりだったから、誘いに乗ってやっただけだ。オレが好きなのは、お前なんだよ!」 その言葉にはビックリしたけど、直後、口封じみたいにキスされて、何も言い返すことはできなかった。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |