小説 1−8 キミのいない空・10 震えずに立つ自信がなかった。ごくりと生唾を呑み込み、そろそろと立ち上がって口元にグローブを当てる。 「あ、べ君、後ろ」 我ながら、震えた情けない声だった。 「えっ、阿部?」 田島君が、ひょいっとホームの方、フェンスの向こうに目を向ける。心臓が痛いくらいドキドキした。 けど――。 「あっ、ホントだな」 田島君は何の気負いもないみたいで、あっさりそう言ってニカッと笑った。 「よかったな、三橋」 ミットでポンと肩を叩かれて、ビックリする。 よかった? 阿部君に会えて、「よかった」って思っていいのかな? 目からウロコが落ちるって、こういうことなのかなって思った。予想外の言葉を貰って、じわっと胸が熱くなる。 そうか、阿部君が試合見に来てるの、「よかった」でいいのか。 「冬の成果、見せてやろうぜ!」 励ましの声に、「おお!」と大きな声が出る。 やっぱり田島君はスゴい。前向きで楽観的で、いつもオレの不安を吹き飛ばしてくれる。最強の味方だ。 ……阿部君も、そうだった。オレの味方だ。 なら、怖くない。 ホームに戻った田島君が、パシン、とミットを叩いてぐっと構えた。 サインは、真ん中低めにシュート。こくりとうなずいて、振りかぶる。阿部君に見られても、恥ずかしくないように。気持ちを込めて投げたボールはキレよく曲がってパシンと田島君のミットを鳴らした。 3回までと同様、0点で4回を押さえ、チェンジになった。 「ナイピッチ!」 栄口君や巣山君に声をかけられ、笑顔でベンチに駆け戻る。 「阿部君が来てる、よっ」 笑顔で言うと、みんなも「マジ!?」って笑顔になって、当たり前のことなのにホッとした。 「阿部にみっともねぇ試合、見せらんねーぞ!」 花井君のゲキに、みんなで「おお!」と声を上げる。 「阿部の為に、打てよ!」 誰かの冗談めいた言葉に、みんながドッと笑った。 笑ったことで、リラックスできたからかな? それ以降は打線が繋がって、2点、3点、4点と次々に取り、0対4で試合を終えた。 「あーっした!」 整列して頭を下げ、それから一気にみんなで阿部君の元に向かう。 「阿部、久し振り!」 「元気だった?」 「春休みで来たのか?」 口々に声をかけるみんなの後ろで、それに応える阿部君を眺める。阿部君は笑顔で――その笑顔のまま、オレを見た。 「三橋」 名前を呼ばれて、ドキッとした。 心臓が止まるかって思うくらいの衝撃。返事するどころか、まばたきも呼吸もできなくて、立ち竦んだままフリーズする。 「あ……」 阿部君、と、名前を呼ぶこともできなかった。 どのくらい固まってただろう。 「集合!」 モモカンの大声が響き、ハッとした。 みんなが慌ててベンチに戻るのを、オレも慌てて追いかける。フェンスの向こうをちらっと見ると、阿部君も一緒に走ってた。 そのままグラウンドの入り口から、中に入って来た阿部君は、なんでかセーターに黒のスラックス姿で、ベンチの方まで駆けて来た。 西浦は私服校だけど、制服もどきで登校する人も結構いて、オレたちも他校に行くときやミーティングの時なんかは制服もどきの格好をする。 白シャツに黒のスラックス、とか。上にカーディガンやベストを着たりとか。 阿部君は普段から制服もどきが多かったから、黒のスラックスをはいてても違和感がない。違和感がないけど――三星の制服は、白だ。 水色のシャツに白のブレザーとスラックス。そりゃ、他校に行くからって、必ずしも制服じゃなきゃいけない訳じゃないけど……。 なんで……? 「阿部君、久し振りね」 モモカンが、にっこり笑って口を開いた。 部外者をベンチ前に呼ぶこと自体ビックリなのに、更にビックリしたのは阿部君の次の言葉だ。 「はい、また4月からお世話になります」 それにはみんなも驚いたみたいで、一斉に「ええーっ」って揃って叫んだ。 オレは、声を上げる余裕もなかった。 「詐欺犯が捕まったんで、借金の件が少し緩くなって……」 とか。 「抵当には入ったままだけど、またあの家に住める……」 とか。 阿部君が事情を話してくれてるのに、ちっとも頭に入んなかった。 「弟は三星で引き続きお世話になるんスけど、オレはどうも馴染めなくて」 照れたように言う阿部君の顔から、目が離せない。 三星で野球部に入んなかった阿部君は、1年間の出場停止のルールに引っかかんない、って。 「多分な」 付け足しのように言う阿部君に、みんなが「多分かよ」ってドッと笑う。 「確認しろよ」 って。 オレも笑いたかったけど、目の前が涙で滲んで、それどころじゃなかった。 この数ヶ月、ずっと阿部君のコトばっか考えてた。 阿部君のいないグラウンドは妙に広くて、物足りなくて寂しかった。 阿部君に向かって、投げたかった。 阿部君と一緒に、野球したい。 ただのチームメイトだって思ってたのに、違った。大事な人なんだって、離れて初めて気が付いた。 「1時間休憩。お昼を食べて、12時半に集合ね」 モモカンがパチンと手を打って、みんなに移動を促した。田島くんも花井くんも去ってく中、オレだけ足に根が生えたみたいに動けない。 気が付くと阿部君と2人きり、ベンチ前に残され、向かい合ってた。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |