小説 1−8
キミのいない空・6
「入部届、け?」
一瞬意味が分かんなくて、修ちゃんに訊き返した。
入部届けを出してない、って、つまり、まだ野球部に入ってないってこと? なんで? すぐに冬休みになっちゃった、から?
「じゃあ、野球部の練習、出てない、の?」
首を傾げながら更に訊くと、そういう単純なものじゃない、って。
「三星の野球部には、今んトコ入るつもりねーんだってよ」
修ちゃんの不服そうな言葉に、ええっ、と思った。
「そんな……」
そんなハズないと思うのに、ウソを言ってるようには見えなくて、混乱する。
「どんな事情があんのか知んねーけど、あいつ、態度くそ悪ぃぜ」
温厚な修ちゃんにそんなこと言わせるなんて、一体どうしたんだろう?
詳しい事情はやっぱり、オレの口からは話せない。「辛いのは、阿部君、だ」って、ハマちゃんやモモカンと同じセリフを口にする。
修ちゃんは「ふーん」って鼻を鳴らしたけど、納得したようには見えなかった。三星への道を並んで歩きながら、阿部君の様子をぽつぽつと聞かされた。
転校初日に声をかけたら、「入部しない」って言われたこと。
どの部活にも入らず、毎日トレーニングルームに入り浸ってること。
誰とも喋らず、休み時間は寝てばっかで、さっそく孤立しちゃってること。
薄暗い目をして、にこりともせずに過ごしてること。
ぼうっと空ばかり見上げてること……。
聞けば聞くほど阿部君とは別人のような気がして、すぐには信じらんなかった。
「空、って」
呟きながら、頭上を見上げる。
群馬の空は埼玉より広い。高いビルもあんまなくて、家と家が密集してなくて、広くて少し寂しくなる。雲のない晴れた空なのに、胸の中はどんよりと曇りだ。
生まれも育ちも埼玉だっていう阿部君の目にも、やっぱ寂しく見えたかな?
阿部君は三星で野球するの、そんなにイヤだったのかな? オレ、ずっと彼に野球を続けて欲しくて。西浦じゃムリでも、三星ならできると思ったけど……迷惑でしかなかったの、か?
阿部君の顔が見たい。阿部君の声が聞きたい。「久し振り」って笑って欲しい。「会いに来たよ」って言いたい。
阿部君は今、寮にいるのかな?
ケータイを取り出し、思い切って電話をかけたけど、「電源が入ってない」って機械音声が返事しただけだった。
代わりに寮の前で、織田君に会った。
ダウンジャケットにマフラーをぐるぐる巻きにして、背の高い体を寒そうに縮ませ、大きなスポーツバッグを肩に下げてる。
「よお、叶、どうした?」
織田君は修ちゃんに声をかけ、それからオレの顔を見て、「あれ、自分……」って言い淀んだ。
「西浦の、三橋やったっけ? なんや、阿部にでも会いに来たんか?」
またもズバッと言い当てられて、びくっと肩が跳ねる。
「お前こそ、今から帰省か?」
修ちゃんの問いかけに、「おー」と短く応じる織田君。
「3年の先輩は『帰らん』言うてる人も多いけど、1年の中ではオレが最後やなぁ。阿部も、もうおらんで」
「う、え……?」
阿部君が、いない?
呆然と織田君を見返すと、不思議そうに首を傾げられた。
「当たり前やん、年末年始やで。友達もおらん寮に、いつまでも残っとったってしゃーないやろ。終業式終わって、即行で出て行きよったわ」
「ど、どこ、へっ?」
ギョッとして訊くと、また不思議そうに言われた。
「親元ちゃうん?」
それには首を振るしかなかった。親元のハズ、ない。阿部君のご両親が今住んでるのは、ワンルームのアパートで、阿部君たち兄弟は泊まれない。
そりゃ、野球部の合宿みたいにギュウギュウ詰めで雑魚寝とかならできるかもだけど、やっぱそうじゃないような気がした。
埼玉でもない、三星の寮でもないとしたら、どこなんだろう? 行くハズだった、北陸の親戚の家?
分かんない。阿部君の気持ちが、ちっともオレ、分かんない。
なんでオレ、群馬に行けば簡単に会えるって思ってたんだろう? なんで阿部君は、終業式の後すぐに寮を出ちゃったの? オレに会いたくなかったから?
好きって言ってくれたのに。キスもしたのに。もう嫌いになっちゃった? オレ、どうすればよかったんだろう?
じわっと目の前が涙で滲む。
「お、おい!?」
織田君が焦ったように声をかけてくれたけど、頭の中はぐるぐるで、何の返事もできなかった。
織田君と別れた後、修ちゃんに連れられて高等科の校内に入った。じーちゃんに言われたとおり、守衛さんに言って訪問者証を首にかけ、がらんとした校庭を歩く。
大晦日だけあって、どこの部活もやってないみたい。ただ、受験を控えた3年生が補講を受けてるらしくて、制服の人がちらちらといた。
オレだって去年まで同じ制服を着てたのに。私服校に慣れた今となっては、なんか変な感じだ。
そういえば、阿部君はいつも制服っぽいの着てたっけ。じゃあ、三星の制服にも違和感はなかったかな? それともブレザーだと違うかな? ネクタイ、上手に結べたんだろうか?
訊きたいこといっぱいあるのに、阿部君がいなくて途方にくれる。
「オレ、思ったんだけどさ……」
修ちゃんが、考えるように口を開いた。
「転校したら1年間、基本的には公式戦に出らんねーだろ? だからさ、どうせ試合出れねーしって思って、阿部は入部届け出さねーんじゃねーかな」
「いち、年?」
転校したら、1年間、公式戦に出られない? その話は初耳で、ドキッとした。
(続く)
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