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ti amo(骸髑)











「骸様。」



僕とクローム、お互いが二十代の半ばを過ぎた、ある夏の夜の事でした。


「私ね、骸様が好き。十年前のあの日から、私はずっとあなたを想って生きてきたの。私の気持ち、もう気付いているんでしょう?どうして気づかないふりなんてするの?」



満月の夜。
屋敷のテラス。

そんな幻想的かつロマンチックな場所で、それはなんともさりげなく、まるでいつもの他愛ない雑談のように、彼女の方から始まったのです。

月光に照らされたイタリアの地の豪勢な館のテラスに独りきり、黒いドレスを纏った女性が佇んでいる。
幻想的な月下のもと、黒い蝶のように美しいこの女性は、憂いを帯びた瞳を月夜に向けて僕の名前を呟いている。

いつの間にかこんなにも大人びていた彼女は、夜風に靡く髪をさらりと撫で上げて、テラスの柵に両の肘を突いて僕を見つめているのです。



「ねぇ、骸様。」


そこには居るはずのない僕を真剣に、そこに在るはずのない僕の姿をそれはそれは真剣に。
全ての神経を研ぎ澄ませて、彼女以外は関知し得ない僕の存在感を賢明に探して見つめていました。


澄んだ左目。
まるで湖のよう。
彼女は本気だった。
僕にはそれが良くわかるのだ。
月光の元、儚げに僕を見つめる彼女はいつの間にかとても美しく、とても素敵で、そしてとても強かな女性に育っていたのです。

(僕が一番知っている。)
夢の中で彼女を拾い、何年もの間、僕が彼女の最も近く、そして最も遠い場所から彼女を見守ってきたのですから。





「お願い、応えて。」



本気、ですか?
意識を通してそう聞けば、彼女は夜風に立ち向かうようにドレスを風に靡かせながら、こくりと確かに頷いた。
「私は本気よ。」
駄目押しのようにそう呟かれては、僕にはもう為す術がない。


(そうですか。)







逃げられないのだ。
僕は悟った。

(潮時なのだろう。)
もう知らぬふりを貫ける程、彼女は子供ではなくなってしまった。
彼女も僕も逆らえぬ月日をただ共に過ごし、近くて遠い二人の距離を、もどかしい虚しさを共有し、いつしか大人になってしまった。
大人びた彼女は、まだ幼さの残る大きな瞳を潤ませて、月光の元に漸く姿を露わにした僕の幻覚を焼け付くように見つめながら、まるで鈴のような音色で僕の名前を呟いた。



「好きです。」




夜の闇に響く鈴。
儚いピアノのようであり、凛とした鈴のようでもあるよく透き通った其の音色は、靄のような僕の存在を容易く縛る。

幻覚で作られた精巧たる僕の虚像を見つめながら、幼さの中にも強き意志を宿したその瞳は、ただただ僕を見つめて応えを待っていて。
僕は何だか寂しく思い、未だ往生際悪く、まるで逃げ道を探すかのように、彼女の瞳から目をそらすことを選択した。


(僕は、)


目のやり場に困ったのだ。
目の前に、確かに息づくこの女性は、あんなに拙くあんなにか弱い駒鳥のような少女だった。
それが今や一級品の婦女へと変貌し、その容姿と肢体は最早一人の女性なのだ。
(クローム。)
一人の女性である彼女の全ては、幻覚である僕の目前にさらけ出されて、情欲すら伺える瞳を一心に僕に向けて、十年越しの想いを告白をする。



「骸様、好きです。あなたが好き。お願いだからいつもみたいにはぐらかさないで。何でも良いから、どうか応えて。」
「クローム…」

「私を女として見られないのなら、それは仕方のない事。それでも私の想いは変わらない。ずっと、いつまでも変わらない。伝えたかった。伝えられた。それだけでも、私は十分幸せよ。」






(ああ、)

いつの間に。
いつの間に彼女はこんなにも多くの言葉を話せるようになったのだろう。
いつの間に、こうして一人前の女性へと変貌を遂げたのだろう。
幼い蛹から一級品の蝶へと羽化した彼女を僕は、
僕はクロームを、

(お前を、)



「僕の可愛いクローム。ダメですよ。お前は僕のような男を選ぶべきではないのです。解りますね?」
「子供扱いしないで。」
「・・・。」

「骸様、お願い。はぐらかさないで。ちゃんと私を見て。私は本気よ。あなたは確かに私にとって憧れだった。私の希望で、拠り所だった。だけどそれだけじゃない。私はもうあなた無しでも生きていける。だけどあなたが必要なの。それはどうしてなのか、ちゃんとわかって。」



ちゃんとわかって。
逃げないで。
あなたが好きなの、
愛しているの。
そう応えた彼女は、その強き意志を宿す瞳で僕を見据えて。
僕は、

(僕は、)



「苦しい想いを、するのですよ?」
「覚悟ならある。」
「寂しい想いをさせてしまう。」
「本気の気持ちを無視される以上の悲しみなんてない。」


(僕は、)
どうすればいい。
わからない。
無駄なのか、
何を言おうと、今更彼女の瞳は揺るがない、揺るぎはしない。
(確固たる意志は何よりも強く、彼女の瞳の中に息づいている。)


「どうしても、諦めてはくれないのですね。」
「あなたが私を拒絶するなら、私はちゃんと諦められる。だから私が嫌いなら、今すぐちゃんと応えて。ちゃんと拒否をして。はぐらかしたりしないで。」

「・・・・」
「骸様・・・。」









「子供扱いは、もう嫌よ。」









ひとすじ。
頬を伝う彼女の涙。

雫は月光を反射して
僕はその雫をすくい上げるように、震える彼女の頬に手を伸ばす。

どうすれば、
(どうしても、)
見上げてくる彼女の瞳は虹色に輝き、涙の雫は僕の指先を濡らして。
(ああ、何故僕の体はまやかしなのだ。)
不意に思った。
酷く悔やんだ。
毎夜悔やんだ。
お前を見る度、
お前を想う度、
僕に体が在ったなら、僕にお前に恥じない中身が在ったなら、それならば僕は素直にお前を、
(いや、貴女という一人の女性を、)



「受け止めてあげられたなら、どんなに幸せだろう。」
「骸様、」
「綺麗になってゆくあなたを、心細くとも懸命に生きるあなたを抱きしめてあげられたなら、今すぐ触れられたなら、僕はどんなに幸せだったか。」
「・・・」
「僕は、酷い男です。」



いつしか僕の精巧たる虚像は、実像の彼女を抱きしめていた。
抱きしめる。
指に髪を絡める。
月夜は僕らを照らす。
(朧に、朧に。)
滑らかに指の間をすり抜ける其れは月光に照らされてインディゴに輝いて。
月を映すあなたの瞳は、情けなく歪んだ僕の弱さを鏡のように映し出している。
僕は、


「僕は、あなたの想いを知っていながら、それを受け止めてあげられる器が一つもありはしない。あなたは日々美しくなる。いくらあなたが僕を求めようと、いくら僕があなたを求めようと、触れたくとも触れられない場所に僕は居る。」
「骸さま、」

「触れたい、あなたに。ずっと触れたかったのです。とても焦がれていたのです。出来ることなら向き合って、出来ることなら抱きしめたかった。けれど僕は、僕にはそれが、」




それが、出来ない。







(何故なのだ、)

今強く強く抱きしめている彼女の温もりは本物でも、抱きしめられているあなたに、僕の温もりは届きはしない。
必ず何処かですれ違う。
届かない想いばかりを募らせて、それでも十年騙し続けてきたこの感情の置き場は無くて。

名前を呼んで
瞳を閉じる。
濡れた睫。
ほっそりとした顎筋を引き上げて、僕はそっと彼女の柔らかな唇に口づける。
けれど伝わらないあたたかさ。
(どうして。)
届かない想い。
強く抱きしめて、
口角を変えて深く。
何度求めても求めても、一向に縮まらない距離を僕は埋めたくて。
埋めたいのに。
なのにどうして。


「クローム…」
「骸さま…」
「クローム、」
「むく、ろ」

「凪、」














 ti amo ――…















耳元で囁く。

最初で最後、吐息のような愛の言葉。

僕の可愛いクローム。
僕の愛しいクローム。
届かない想い。
何度求めても求めても、一向に縮まらない距離を僕は埋めたくて。
もっと近く、もっと早く出逢えたならば、二人の歩幅も合わせられたのに。
もっと早く、僕が過ちを犯すよりもさらに前、前世にでも向かい合えていたならば、僕らの甘い夢は現実のものとなっていたのでしょうか。

(潮時なのです。)
もう知らぬふりを貫ける程、彼女は子供ではなくなってしまって。
彼女も僕も、逆らえぬ月日をただ共に過ごし、縮まらない虚しい距離を共有し、いつしか大人になってしまった。
側には居られない。
はぐらかすことも、もう出来ない。
潮時なのだ。


(僕の愛しい、可愛いクローム。それは叶わない願いでも・・・)













月夜は朧に
(朧に、朧に)
確かに彼女を照らす。


彼女だけの影をテラスの大理石に落として、焼き付けるようにその場所に縛り付ける。
「いかないで…」
夏の風は彼女の髪を虚しく揺らす。
すがるように僕を求める彼女の言葉に目を背け、僕は自らの虚像を静かに消し去ることしか出来なかった。

僕の幻覚が拙くも抱きとめていた彼女の体は、重力のままにその場にしなだれ落ちて。
まるで黒い蝶のようにふわりとドレスを靡かせ、大理石の床に崩れ落ちた。


存在し得ない僕の姿を探し続けてくれた貴女。
幾度も僕を信じ、寂しさに震えながらも僕を待ち、焦がれ続けてくれた貴女。
あなたを強く抱きしめることが出来たなら、どんなに幸せだったろう。
滑り落ちる涙を、その体をすくいとってあげられたなら、どんなに嬉しかっただろう。
しかしそれは叶わない。



「いやよ…いかないで。こんなのいや、応えて、応えて。」

(僕は、)


「ズルい…こんなのずるいじゃない。」










僕は弱い男です。

僕は狡い男です。


あなたの想いを知っていながら、それを受け止めてあげられる器が一つもないのです。
心も体も、僕にはあなたを幸せにする自信が一つもありはしない。
日々美しくなる貴女。
いくらあなたが僕を求めようと、いくら僕があなたを求めようと、触れたくとも触れられない場所に僕は居る。


(愛してる。)

愛しています。
いつまでも。
あなただけを。
僕の愛しいクローム。
僕は狡いのです。
あなたを突き放すことすら出来ません。
朧気な幻覚のように、いつまでもあなたの心を惹きつけて、突き放せば楽になるかもしれないあなたの心を弄ぶ。
僕は、狡い男です。

愛してる。
愛してる。
さようなら。



















(僕の、可愛いクローム。)


















子供扱いしないで。


あなたはそう呟きながら、いつまでも自身の気持ちに応えてくれない僕を憎んで泣き崩れた。
僕を憎み、それでも僕に焦がれてしまう自身の心に嫌悪し、そうしてその場で膝を突く。


居なくなる時は、サヨナラではなく、おやすみと言ってあげたかった。
心の底から愛していると、真正面からあなたに伝えられたなら。

愛してる。
確かな想いは、
今もこの胸に。

いつかまた出逢い直せるならば、来世への希望を胸に、僕はあなたの心から目を背けます。
背け続けます。
僕は、










(狡い男です。)
















ti amo chrome.

(愛しいクローム。)




いつまでも

貴女だけを。

















END


縛り付けて離さない。



song by『ti amo』/EXILE

2009 0411
森野夕。







あきゅろす。
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