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  女主短編
海辺の独り言(仙道夢)
「おー、釣れてる?」



『ん〜……まあ…ぼちぼちです』



釣り場にいた先客に声を掛けると、振り返りもせずに答えられた。



彼女は俺が神奈川に来てから釣りをしに行くと時々見かける釣り仲間だ。



とは言っても、お互い相手の事は何も知らないし、会っても挨拶や世間話や釣りの状況を話す程度で、知り合いというよりは顔馴染みといった感じだ。



しかし、彼女は他の釣り人とはちょっと違う。



時々餌も付けずにただ竿を垂らしているだけの時があるのを、俺は知っている。



今だってそうだ…。



釣りに集中したいというよりは、水平線をボーッと眺めるのをやめたくないって感じだ。



俺が近寄っても彼女は微動だにせず、いつもの事だから俺も気にせず彼女の脇に置かれたバケツを覗き込んだ。



「おっ、なんか可愛らしいのがいる」



子供が砂遊びに使うような小さな黄色いバケツには、これまた随分小さい魚が一匹だけ悠々と泳いでいた。



『…気に入ったのなら飼いますか?』



「…それ、無理だって知ってて言ってる?」



『冗談です』



ようやく彼女は俺を見上げてクスッと微笑んだ。



俺も笑顔で応対すると、少し距離を置いた彼女の隣に腰掛けた。



彼女はその事に文句も言わず、また海へと視線を戻した。



そんな過干渉してこないさっぱりした感じがわりと好きで、側にいても落ち着けるから…彼女がいる時は自然と近くへ寄っていってしまう。



俺も持ってきた釣り竿に餌を付けると海に垂らした。



「………」



『………』



「………」



『………』



「……俺さぁ…」



『……はい』



しばらく続いた沈黙を先に破ったのは俺だった。



そもそも彼女から話し掛けてくるなんて事はほとんどないから、いつも自然と俺から話し掛ける事が多い。



「バスケやってるって、君に言った事あったっけ…?」



俺もその時の気分や思い付いたままに喋るから、彼女との会話の全ては覚えていない。



『……ええ…前に聞きました』



「………そっか…」



言ってたか…。



『………』



「………」



『………』



「……聞かないの?」



『何がですか?』



「いや…何でそんな事言うのか、とかさ」



『…私は悩み相談所じゃないんですけど…』



「……まるで俺が、何か悩み事があるみたいに言うね」



『……だから…ここに来たのでしょう?
独り言なら…いつもみたいに海に向かって勝手にしゃべっていればいい…』



「……そうだな……そうする」



自分でも自覚してなかったが、誰かに…どこかに…この胸にくすぶるモヤモヤを…ぶつけたかったのかもしれない…。



「これ、独り言だけどさぁ…」



『………』



「俺…この間、バスケの試合で負けちまったんだ」



『………』



「当然勝つつもりだったよ。
けど、負けたってやっと実感したのは試合が終わって仲間と別れた後でさ…。
去年は無理だったけど、あん時より自分なりに成長したつもりだったからさ、負けるなんて全然思わなかったんだ」



『………』



彼女は相槌も頷きもせず、ただ黙って聞いていた。



いや、もしかしたら聞いているのかどうかも怪しいくらいだ。



でも…


今はそれがありがたくもあった。



お決まりの慰めの言葉や同情なんていらない。



そんなものは煩わしいだけだから…。



「……何がいけなかったんだろうな?
俺がさっさと点取りにいかなかったせいかな?それとも未知数だけど初心者のアイツを放っておいたせいかな?」



『………』



「別にこれが初めてでも最後でもないんだけどさ…。
…違うんだよ…去年とは。なんかが胸につっかえたみたいに…」



『……好きだからでしょう』



「えっ…?」



初めて彼女が俺の独り言に口を挟んで、びっくりして彼女を見た。



『バスケが好きだから…あなたは思い悩んでいるのでしょう?』



「………」



『でも……あなたの顔を見た限りじゃ、悔しいよりも…どこか申し訳なさそうにも嬉しそうにも私には見えますけど?』



彼女の言葉が頭で反芻して、その言葉の意味を理解するのに少しかかってしまった。



申し訳ないとか、嬉しそうだとか…今の自分の中にあるとは思わなかった感情を、彼女はピシャリと言い当てた。



「…何で……そう思うの?」



『さあ?私がそう見えるだけです』



……女の勘ってやつかな…?



でもそれも…意外と馬鹿にできないから怖いな…。



申し訳ない、か…。



彼女に言われた事を、俺なりに考えてみた。



それはチームメイトや監督に対してだろうか…。



俺が…勝たせてやれなかったから…。



『……誰か…特別な人がいるんじゃないんですか…?』



「ええっ…?」



『そのあなたの感情の矛先、ですよ』



何で俺の考えてる事が分かるんだろう…。



彼女ってもしかしてエスパー?



そんな俺の考えさえ読まれているのか、珍しく彼女が噴き出すように笑った。



『あなた、時々すごく分かりやすいんですよ。何を考えてるのか、手に取るように分かります』



「ウソォ!?」



…マジでか。



そんな事言われたの…初めてだ。



いつもヘラヘラ笑ってて、何考えてるのか分からない奴ってのが、大体の他人の俺の評価だ。



『自分で自分の事、分かってないんですね。ほんと、不器用な人…』



これは…貶(けな)されているのだろうか…。



『自分の気持ちに向き合うの、難しいという人が多いけれど、実は案外簡単な事なんですよ?』



「自分の気持ちは自分にしか分からないってやつ?
…面目ないけど、俺…マジでよく分からねえんだ…。
さっきの…特別な人って?」



素直に聞いてみると、彼女はしょうがないなと笑った。



それは馬鹿にした感じや呆れてる感じじゃなくて…まるで母親が我が子の世話をやくような…優しくて、でもちょっとくすぐったい感じがした。



『私だってエスパーじゃないから、正確なあなたの心は分からないけど、申し訳ないとか、嬉しいと感じる対象がいるんじゃないですか?』



「それは…チームメイトや監督にって事かな?
逆に嬉しいっていうのが、よく分かんねえんだけど…」



『…じゃあ、そのどっちかに特にって所でしょうか…』



「んん…?」



『監督が辞職するとか、チームメイトの誰かに…特に勝ちを捧げたい人がいたとか…』



「あ…」



彼女に言われて、思い当たる人が浮かんだ。



魚住さんと池上さんだ…。



まだ正式に言われたわけじゃねぇけど、多分二人は…この夏を最後に…引退するだろう。



二人とも、俺が一年坊の時から世話になってる…特に魚住さんは尊敬すらしてる人だ…。



そうだ……最後の夏…二人を全国に連れていってやりたかったんだ…。



『…本当に、今気付いたんですね…。
嬉しい事には見当がつきまして?』



「ん……さあ、どうだろう…」



ここまで来ると、むしろ彼女がどれだけ俺の事を理解してくれてるのかが知りたくなった。



『……負けたのに嬉しいって事は…好敵手の存在ぐらいでしょう』



好敵手…つまりライバルって事か?



確かに…流川や桜木の今後の成長は楽しみだし、悔しかったけど、牧さんとの1on1も楽しかった…。



『競える相手がいるのは…お互いを高め合えるライバルがいるのは……幸せな事ですよ…。
…まあ、一般的には…ですけどね』



「……ライバル…か…」



確かに、アイツ等との初めて練習試合で、柄にもなくワクワクした自覚はあった。



『勝つ人がいれば、負ける人がいる…。あなたがいるのはそんな勝負の世界…。
勝ち負けの、世界…』



確かに…。



『………私が釣りをするのは…あなたはどうしてだと思いますか?』



「…さあ…君は時々…魚目当てじゃなさそうだから…」



『太公望になりたいって言ったら笑います?』



「ええっ…?」



彼女の素っ頓狂な答えに唖然とする。



『冗談です』



そう言って彼女は笑うけれど、どこまで本気で冗談なのか、俺には分からなかった。



太公望って、確か…中国の武将…いや、参謀?…だったっけ…?



釣りが好きな人で、でも太公望が釣ろうとしていたのは魚じゃなくて…天下…だったっけ…?



天下…?



彼女が…?



……マジで…?



…いや、彼女の事だから、きっと冗談…。



もしくは……


もしくは…何かの比喩なのかも…。



『ただボーッとしたいから…時間つぶしにちょうどいいから…考え事をしたいから…大物が釣れた時嬉しいから…。
理由はいくつでもあるし、人それぞれでしょうが、結局は好きだからやってるんです』



「………」



『でなきゃ続けられませんよ…。たとえ今回魚が一匹も釣れなかったとしても、次なんて誰にも分かりませんから』



好きだから…。



次……


次か…。



「………なんか…柄にもなく弱気になってたみてぇだ、俺」



『……私は独り言を言ってただけですよ…』



俺は笑った。



あれだけ問答しておいて、お互い独り言だったわけだ。



「なあ…」



『………』



視線は海へ向いたままだが、彼女の意識が俺に向いているのが分かる…。



「名前…なんていうの?」



『さあ…?この魚、小さすぎて何の稚魚か分かりません』



初めて彼女自身の事について聞いたのに、彼女ときたらつれない返事だ。



今更彼女の釣った小魚の名前なんて、このタイミングで聞くわけないだろうに。



だが、こんなやり取りすら楽しく思えた。



「君の名前だよ…太公望」



君が釣りたいモノが何なのか…俺にはわからない。



だからこそ…知りたくなった。



「俺は仙道彰」



そして君にも…もっと俺の事を知ってほしい…。



『………私は…』



波音に紛れて小さく紡がれたその名前を…


俺ははっきり聞いた…。





〈Fin〉

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あきゅろす。
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