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06.ごめんね、とありがとう。



翌日、式が終わる時間を見計らいいつものあの部屋へと向かった。
先生は私が来るのを予想していたのだろうか、何もない机には二人分の缶コーヒーが並べられていた。
私が苦いのが苦手な事を知っている先生だから分かる、私が唯一飲めるコーヒー。その事実が嬉しくて喜びが込み上げた。
いつもの折りたたみ椅子はもう片付けられていたので、二人立ったままで缶に口をつけた。

「何つうか…不思議だよな」
「……ん…?」
「お前と今ここに居るコト。気付いたらここには**名字**が居て、俺の日常の一部になってたンだろうな」
「そうだね、だって私にとって先生は」

言葉に詰まる。
何て言えばいい?何て言いたい?
先生であり、兄であり、父であり、身内のような…そんな先生。だから?
足りない、言葉が足りない。伝えたい想いは沢山あるのに、言葉に出来ないもどかしさに腹が立つ。
だけれどその言葉を見つけ出す前にこの空間に鳴り響く音があった。聞き慣れた、あの暖かくて優しい曲。

「「あっ…」」

二人の視線が重なって一瞬だけ訪れる沈黙。先生の携帯から流れ続ける曲。
先生の何か言いたげな視線に耐え切れなくて私はただ「早く出なよ」と口にするしかなかった。
本音は出ないで欲しかった。だって相手は分かりきっている、一人しかいないから。
しかしそんな私の期待など余りにもちっぽけで、先生は当たり前の様に携帯へ手を伸ばした。

「おう、あぁさっき終わった…は?何処に居んだよ、別に来なくていいって…」

言葉だけで察した。あぁ、迎えに来てるんだ。って。
当たり前の事だけれどその一言一言が私には辛くて悲しい言葉で。
いつもの様に、だけれども今日が最後になるな、と思いながら窓枠に身を乗り出した。

「ちょっ!**名字**!」
「……阿部先生、元気でね」
「おいこら!待て!」

ありがとう。
もう、それだけしか言えなかった。
いつも私の隣にいてくれて。
身内の様に可愛がってくれて。
どんな時でも優しくしてくれて。

私の初恋であってくれて。


さようなら、なんて言えなかった。
私達は恋人同士でもなければただの先生と生徒の関係じゃない。
だから、また会えるんだ。そう信じたい。
もう来る事のない中等部の校舎、ちゃんと目に焼き付ける事は出来ず走り出した私の足。縺れそうな両足の重みが長い間走ったかのような疲労感に襲われた。
肝心な時、何も出来ない自分への不甲斐なさ、やる瀬ないこの気持ちにただ涙を流すしかなかった。

ぼやけた視界、何となくで映るのは茶色のふわふわしたくせっ毛と原色のマフラー。寒そうにぐるぐるに巻き付けられたマフラーに顔を埋めていたのはここに居ないはずの、私の彼氏で。

「いいの、お別れしちゃって?」
「……知ってた、んだ」
「**名前**の友達から聞いた、すんげぇ仲のいいセンセーがいるって」
「…う、ん。ごめ…んね、」
「何で謝んのさ、**名前**は悪くねぇよ」
「………………」
「大丈夫、大丈夫。」

何度も何度も大丈夫、と頭を撫でてくれる掌は寒空の下にいたとは思えないほど暖かくて、優しかった。
もう振り返る事も出来ない。
差し出された甘い誘惑に勝てるはずもなくて、震えた手は確かにその誘惑を掴んでしまう。
この温もりが、心地良いはずなのに…

涙は止まる事を知らなかった。


明日からは阿部先生のいない世界。





:)next...




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