椎名 昴 Toy?2 試着室から出るのが、とても憂鬱だった。 彼の怖い顔が、頭から離れない……あんなに怒るなんて、思わなかった。 制服を着て、試着室を出る。 ちょうど佐藤さんがドレスを受け取っているところだった。 椎名くんの姿が見えない。 「…あの」 佐藤さんに駆け寄って、周りを見渡しながら声をかける。 「椎名様なら、店内の休憩所で休んでおられます。心配でしたら、行かれてみては……?」 佐藤さんに言われ、迷ったが店内へ歩き出す。 優雅な音楽が流れる店内のエスカレーターの下の休憩所に、椎名くんは座っていた。 「椎名くん」 恐る恐る彼に声をかける。 彼がこちらに気づいて顔を上げたが、特に怖い顔をしているわけではなかった。 それに安心して、彼の向かいにあるベンチに座る。 彼は手に組んで、下を向いた。 ドレス選びで疲れたのかな。それとも怒っているのかな。 「椎名くん」 もう一度彼を呼びかける。 変だよ、おかしいよ。いつもならこっち見て、私に意地悪したり、からかったりするじゃない。 「あんたも遊び?」 彼がぼそりと吐き出す。 「…さっきのこと?」 「うん」 「…遊び、じゃないけど、でもこんなのおかしいよ」 「どんなふうに?」 「どんなふうにって…」 困った顔して、うつむいた。 「わからない。わからないけど、婚約って、結婚って、お互いが好きで、それで付き合って、そのあとに交えることでしょ?」 「俺にはそんな時間、どこにもない」 「どうして?」 彼を見る。 けれど彼の顔は、髪で見えない。 「親父が病気なんだ。親父は会社の経営もやってる。高校を卒業したら……俺が継がないと」 彼の声が、若干震えているような気がした。 「そう…だったんだ」 急に目の前の彼が、能天気な皇族から、重い責任を抱えている経営者に姿を変えた。 何と言えばいいんだろうか。こんな一般人が「がんばれ」なんて、無神経すぎやしないか。 「…唯は、小さい頃から一緒で。唯は俺と結婚するためだけに育てられた女だ。唯は、俺と結婚して、立派な後継ぎを残すのが宿命だと思ってる。でも、唯の宿命はそんなんじゃない。唯はほかの男と幸せになる宿命なんだ。……そしてあんたが……」 彼の顔が上がり、私の目を見た。 「あんたが俺に恋をして、結婚する宿命」 彼が真顔で、冗談を言った。 私は思わず苦笑する。 この人はなんて恥ずかしいことをサラリと言ったんだろうかと、苦笑いをこぼす。 けれどその苦笑いは、この一瞬の胸の高鳴りを掻き消すためのものかと焦った。 「じゃあ、椎名くんの宿命は?」 笑いながら聞き返す。 私は笑って聞いていたけれど、彼はちっとも笑ってなどいなかった。 …冗談じゃ、ないの…? 「あんたを愛す宿命」 軽快なメロディが流れ、「6時をお知らせします」とアナウンスが流れた。 鳴り響く鐘の音が、騒がしいくらいに私の頭に響く。 一瞬息がとまってしまったのかと、錯覚した。 彼の目が離せない。 彼が私の目を、とてもまっすぐに見るから…… 「美乃里」 彼の手が、私の手を掴んだ。 「や、あの……」 近づいてくる顔に、背中を反った。 ダメ。キスは、ダメ。 「美乃里は、俺を好きになるよ」 彼の柔らかい唇が、私を捕らえた。 胸が跳ねて、体全体が硬直した。 ダメだって、私自身を言い聞かせても、なぜ。 瞼を閉じて、体の力を抜いた。 なぜ、こんなに胸が、ドキドキと痛むのだろうか。 [前へ][次へ] [戻る] |