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26



ゴルツィネの動きを止めるために、俺はマックス達とクラブ・コッドでの子どもの売買を暴く証拠を集めていた。子どもの調達係をしていた男の経営するゲイバーに潜入し、奴が来るのを待つ。途中でマックスがトイレに立った。尻を撫でられてビビっていたが、面倒くさいので一人で行かせた。
カウンターに座っていると、後ろから声をかけられた。振り返り、男の顔を見て俺は思わず手を銃に伸ばした。どうにか取り出さずに固まる。

「やぁ、一杯奢らせてくれないかな?」

そう言った男の頬には傷があった。この男には見覚えがある。英二の『記憶』の中で見た。何度目の『記憶』かは定かではない。コイツは笑いながら俺の仲間を撃ち殺した。それに間違いはない。その中にはマックスもいた。

「…あいにく、連れがいるんでな」
「どこに?」

決まった歩幅、鍛えられた身体に、冷たい目。この目は人殺しの目だ。コイツは楽しんで人を殺す、サイコ野郎だ。
背中に回した手で銃を握り込んでいると、トイレからマックスが戻って来た。男はマックスの姿を確認するなり「失礼」と言ってあっさりその場を後にした。

奴らが動き始めている。俺はケインにメールを送った。内容は短く、『敵襲に備えろ』とだけ。

ほどなくして、俺たちが待ち伏せていた男がバーに姿を現した。フロッグと呼ばれる男はでっぷりと太った腹を揺らしながら、店の奥へと入って行く。俺はマックスと共に奴を追った。

奴が部屋の鍵を開けたところで声をかける。俺がアッシュ・リンクスだとは分からなかったらしい。「ここはプライベートフロアだぞ」と不機嫌さをにじませた声で言って来た。

「プライベートスタジオだろ?ここで調達した子どもをレイプして、撮影してた」
「お…お前、アッシュ!?し、死んだはずじゃ…」

フロッグの顔色はみるみる悪くなった。死んだと思った奴が自分に銃を向けて立っているのだ。心臓の弱い奴なら失神ものの恐怖だろう。
俺は奴の顎に銃を突きつけ、ドアを押し開けた。クラブ・コッドで金持ちを強請るために撮った写真のありかを訊ねる。奴は性懲りもなくとぼけて見せた。苛立ちと殺意がつのり、銃口を骨が軋むくらい押し付けた。

「お前みたいな奴がこんなに美味い稼ぎをふいにするわけがねぇ、そうだろ?話したくないなら別に構わねぇぜ、てめぇの汚い脳みそぶちまけた後にここを探すってのもありだからな」

俺の脅しが効き、フロッグは隠し部屋のドアを開いて中に入った。そこに保管されたネガやフィルムを回収する。奴は震えながら一つの封筒を差し出してきた。

「こ、これで全部だ。お…お前のも、ここに…」
「…俺の?」

コイツが子どもの調達係で、町で拾って来た子どもをレイプしまくっていたのは知っていた。でも、俺自身がコイツに犯された記憶は不思議となかった。こうして目の前に立っても、欠片も思い出せない。

「た、た、頼む!パパディノには言わないでくれ…!殺されちまうよ…!!」

ガタガタと泣きながら震えるクソ野郎を見下ろして、俺は手を振った。

「安心しな、死人は口が堅いんだ」

俺が殺さなくとも、こんな杜撰な手はいずれバレる。殺されるのも時間の問題だろう。むしろ脳天に一発食らって死んだ方がマシかもしれない。が、そんな情けをかけてやる義理もない。

場所を移動して、橋の下でニューズウィークの編集者のロバートと落ち合う。俺に情報を全て渡したマックスはそれが原因で表向きはクビになっていたが、あちらも諦めない記者根性でマックスと繋がってくれていた。
暴行を受ける子どもの様子が映ったネガを確認して、口元を覆う。俺はマックスに奴から受け取った封筒を渡した。

「記事には俺のを使うと良い。どうせ死んでるんだ、今更人権もクソもねぇ…それに、恥もねぇよ」
「アッシュ…」
「稀代の殺人鬼アッシュ・リンクスに売春させてたってなったら、それだけでスクープだろ」

笑って言う俺に答えず、マックスはポケットからライターを取り出した。そして封筒を開けもせず、火をつける。「こんなものに支配されることはない」とマックスは静かに言った。俺は赤々と燃えるそれをただ茫然と眺めた。マックスは忘れろ、思い出すなと重ねて言う。言われずとも俺はその中身を思い出すことなんてできなかった。記憶力には自信があるし、酷い記憶ならなおの事、脳裏に焼き付いて離れないはずだ。
なのに、少しも、思い出せなかった。


「もう怖くないだろ?」という、優しい声が聞こえたような…そんな気がした。







ケインからの連絡を受け、俺は急いで隠れ家に戻った。英二はすでに奥の部屋で眠っていた。あとのメンバーは皆広場に集まっている。そこにショーターとシンとケインもいた。

「何があった?」
「襲撃されたんだ。皆お前に調達してもらった武器で武装してたから、何とか応戦はできたんだが…」

数人の死者と重傷者が出てしまったらしい。ケインは顔をふせて拳を握り込んだ。

「襲ってきた奴らを見た奴はいるか?」
「あぁ、それならあっちで休んでるぜ」

ケインの指した方向にはケインの仲間たちが集まっていた。怪我をした者の手当てに追われている。その中でも軽傷の、額と肩を負傷した黒人の青年に歩み寄る。俺は地面に片膝をついて目線の高さを合わせた。

「どんな奴らに襲われたんだ?」
「スーツを着た、ガタイの良い白人の男たちがいきなり入ってきて、銃を撃ちまくったんだ…!よく、分からねぇ…英語じゃない言葉を話してた」
「…そうか、分かった」

襲われた時の惨状を思い出したのか、青年はガタガタと歯を鳴らした。隣にいた仲間が背中をさする。死傷者の人数は『記憶』で聞いた情報よりもかなり少ない。しかし、完全に防ぐ事はできなかった。

「…アッシュ、お前の方にも何か奴らから接触があったんだろ?」
「あぁ…タコ野郎の雇った刺客がな」
「お前のメールがなかったら、きっと皆殺しにされてた…ありが…―」
「礼は良い。巻き込んじまったのはこっちだからな。…すまない、ケイン」

ケインの言葉を遮り、俺は謝った。奴らが襲ってくることは分かっていたが、『繰り返し』の事を知らないケインに言うわけにはいかなかった。そのせいでケインの仲間は犠牲になったのだ。

「…なんか、しおらしくて妙だぜ?いつものデケェ態度で安心させてくれよ」

ケインは笑ってそう言うと、俺の背中を強めに叩いてきた。
そうだ、落ち込んでいる暇なんてない。先手を取る準備をしなければ。
俺はケインの背を叩き返して、頷いた。紙とペンを持って来させ、必要な物を書き出す。それをシンに渡した。

「シン、ユーシスと連絡を取ってくれ。用意して欲しい物がいくつかある。ショーター、マックスに連絡してくれ。ネガを隠して、編集の奴と家族に護衛をつけさせろ。ボーンズ、コング、お前らはマックスを迎えに行ってくれ。あとをつけられるなよ。アレックス、この辺の詳細な地図を頼む。ケイン、仲間たちに常に移動して一か所にとどまらないよう伝えろ。見張りは常に二人、30分おきに建物の周りを巡回させろ。明後日武器を補充する、良いな」

一気に指示を出し、全員の目を見る。アレックス達は声を揃えて答えた。シンとショーターとケインもそれぞれ頷く。

「俺は奴らについて調べる。それぞれのグループで10チームずつ人を分けておいてくれ。作戦が立てやすくなる」
「分かった、他にやる事は?」
「…もし奴らに襲われたら、全力で逃げに徹しろ。奴らは本気で俺たちを殺しにかかっている。命乞いは通用しない」

俺がケインにそう返すと、場の緊張感が高まった。

「…本当に戦争が始まったんだな」

ケインが静かに言った。
…奴らにとっては、戦争ごっこ、だ。


それから全員が俺の指示通りに動き始めた。
俺は『記憶』で見たパソコンの画面を思い出し、情報を入力した。『記憶』の中では英二が向かい側に座っていたが、今はいない。時刻は深夜を過ぎて早朝になりかけていた。俺と同様、紙の上で死んだことにされ、ゴーストとなった傭兵部隊のデータを集める。情報戦が使えるのは一回だけだ。その一回でできるだけ大きなダメージを敵に与えたい。隠れるだけではダメだ。こっちは人数と地の利で勝っている。ここでの戦いを陽動に、司令部にも攻撃を仕掛けたい所だ。奴らの居場所さえ分かれば…。


「アッシュ、帰ってたんだね」

英二の声に振り返る。気づくと外はすっかり明るくなっていた。何時間もパソコンの画面を見つめていたせいで目が乾いている。何度か瞬きを繰り返し、「おはよう、英二」と返した。

「うん、おはよう。…皆ピリピリしてるけど…奴らが来たの?」
「…あぁ。…これから行動は夜が中心になる。昼間動くと目立つからな。英二、昼に寝て夜起きられるか?」

ここ最近、英二は起きたまま日付を超えられなくなっていた。眠気に抗おうとしても、気絶するように寝てしまう。一度寝入ると、朝になるまでどうあっても起きなかった。
だが、この先その状態では困る。地の利を最大限に活かすため、戦いを仕掛けるのは夜だ。そんな中熟睡した英二を守るだけの余裕はない。

「頑張ってみる」

英二は申し訳なさそうな顔で頷いた。
朝食を食べて、昼夜逆転させるために英二を布団に寝かせる。俺もその隣に寝て軽く仮眠をとった。

人の気配を感じて目を覚ます。英二はぐっすりと眠っていた。ドアを開けたのはショーターだった。

「わり、起こしたか?」
「気にすんな、マックスとは連絡取れたか?」

英二を起こさないよう立ち上がり、部屋から出る。時間を確認すると1時間半ほど経っていた。さっきよりも少しは頭がマシに動いている気がする。

「あぁ、問題ねぇぜ。…英二はまだ寝てんのか?」
「昼夜逆転させるんだ、これからは夜寝られたら困る」
「なるほどな…」

ドアを静かに閉め、皆が集まっている部屋に向かう。そこではアレックス達が俺を待っていた。指示通り詳細な地図を用意している。
俺は木箱に腰を下ろした。

「ケインとシンを呼んでくれ」

『今回』は追撃なんて許さない。奴らを確実に潰して見せる。






昼夜逆転させるために、僕は昼間も寝ることになった。夜たくさん寝たから寝られないんじゃないかと思ったが、そんな事はなかった。「俺も少し寝る」と言ってアッシュが隣で寝てくれたからかもしれない。

「英二、英二、起きろ」

夜10時にショーターから起こされた。寝すぎたせいで少し頭がふわふわする。でも、いつものこの時間感じている眠気とは少し違う感じだった。

「ショーター…」
「んーなんかまだ眠そうだな。でも、頑張れよっと!」

ショーターが僕の両腕を掴んで引き上げる。僕は引っ張られるまま起き上がった。重たい瞼を擦って、どうにか目を開く。そんな僕を、ショーターは笑って撫でた。

「昼飯食ってないから腹減ってんだろ」
「うん…」
「よし、じゃあ飯だ」

立ち上がり、手を引かれるままショーターの後に続く。今日はショーターがご飯を用意してくれたらしい。周りを見ると、皆独特の味に苦しみながら食事していた。その中にアッシュの姿はない。僕が首を傾げると、ショーターが答えてくれた。

「あぁ、アッシュならケインの所に出かけたぜ。朝には帰って来るだろ」
「そうなんだ」
「ほら、ここ座れよ」

僕が座ると、ショーターはカップに熱々の湯をついでくれた。色が何だか、赤い。目が覚めるように辛めの味付けにしてくれたらしい。確かに、一口で完全に目が覚めた。
食事を済ませ、ショーターから作戦を聞いた。『今回』はユーシスがこちらについてくれているので、司令部の位置を確認して攻撃するらしい。僕は相変わらず地下道撤退のグループに入れられていた。

「ねぇ、前線に出たいとは言わないからさ…」
「ダメだ、アッシュの作戦には従えよ。それにシンも引かせるのにお前が残るなんて誰も納得しねぇぞ」
「だって…」

僕は周りをそっと見渡した。それぞれ見張りについたり、他の場所と連絡を取ったり、武器の確認をしたりと忙しく動いている。僕は声をひそめて続けた。

「おとりになるつもりなんでしょ?『前』もそうだったけど…アッシュはそれで…―」

身も心も、あの軍人に切り裂かれたんだ。
思い出すと体の底から怒りがわいてきた。拳を強く握りしめる。

「英二、『前』と『今回』は違う。『前』は司令部を攻撃したりできなかったんだろ?」
「…う、ん」
「アッシュはこの戦いで勝負をつけるつもりなんだ。作戦だって、情報操作だけじゃないしな」
「そうなの?」

続けて説明された内容があまりに大胆で、アッシュが考えたとは信じられなかった。今までのアッシュであれば、絶対にこんな作戦を実行に移すことはしなかっただろう。だって…これは仲間を完全に信用しないとできない。
僕の表情が明るくなったのを見て、ショーターがぐっと親指を立てた。

「完全勝利で奴らを見返してやろうぜ」
「うん!」

ショーターと拳を合わせる。今までもそうだったが、この先の戦いは本当に命がけだ。人殺しをゲーム感覚で楽しんでいる残酷な奴らを相手に、戦わなければならない。恐怖も不安ももちろんあるが、それよりも大きな希望を見出すことができていた。





リンクスとブラック・サバスとチャイニーズで、それぞれ少人数のチームに分かれてルートを確認する。マックスと、マックスを追って来たジェシカも加わっていた。ジェシカは『前』の時も護衛つきの避難を拒否してこの戦いに参加していた。クラブ・コッドの記事の事を考えるとジェシカの存在はかなりありがたい。幼いマイケルはジェシカの姉の所に預けられているので、安全だ。

アッシュは接近戦の訓練の一環として人体の急所を皆に教えていた。武器の奪い方や、身のこなし方、ロープでの上り下りなど、基本的な動作を訓練する。
もはや町のダニと揶揄される不良少年たちの動きではなかった。アッシュが指揮をとれば、一気に兵士になる。夕方から夜にかけての訓練には僕も加わった。昼間は睡眠にあて、昼夜逆転の生活リズムを整える。寝落ちて皆に迷惑をかけることはなくなった。どうしても眠くなったら自分で寝床に入る、そうすれば今のところは大丈夫だった。

「英二って足速いよな」

そう言ったのはボーンズだった。ストレッチをしていた僕は、ボーンズの方に顔を向けた。いつもと違うボーンズの姿に、一瞬動きを止めた。金色のカツラをかぶっているのだが、それがあまりにも似合わなくて思わず笑ってしまう。するとボーンズは顔をしかめた。

「似合ってねぇのは自分でも分かってるっつの!」
「あはははっ!ご、ごめんごめん、なんだが見慣れなくてさ」

ボーンズ以外にも金髪のカツラをつけているメンバーが何人もいた。服装も、赤のジャケットにジーンズで合わせてある。遠目から見た後ろ姿だと、誰が誰だか判別ができない。

「速く走れるコツとかあんのか?」
「そうだなぁ…短距離ならやっぱり瞬発力が大事だと思うよ」

大きく屈伸して、その場でジャンプして見せる。ボーンズの目線くらいまで跳んだ。僕のジャンプを見て、ボーンズは目を輝かせた。

「おぉ!やっぱスゲー跳ぶんだな!スキップから聞いた通りだ」
「まぁね〜」

それから僕はボーンズを含む金髪カツラの集団と、一緒に走り込みをした。敵に顔を見られぬよう、素早く建物の陰から陰へと走っていく。彼らは攻撃ではなく、走って逃げる事が仕事だ。

「…僕もカツラかぶったらできるんじゃないかな、この役」
「はぁ!?」

走り終わった後に僕がぽつりと言うと、ボーンズが勢いよく首を横に振った。それこそカツラが飛びそうな勢いだった。

「絶対ダメに決まってんだろ!」
「どうしてさ」
「ボスがそんなの許すはずねぇって」
「じゃあ、かぶるだけ。ちょっとかしてよ」
「…嫌だ、何か怒られそう」

結局、ボーンズは僕にカツラをかしてはくれなかった。



隠れ家の中はこの数日間ですっかり様変わりしていた。ユーシスに頼んで手配してもらった機材が並んでいる。ショーターが機材のチェックをしていた。使い方はアッシュに教えてもらい、マスターしたらしい。ショーターの隣にはアッシュが座っていた。僕に気づいて立ち上がる。

「さっきシンから連絡が入った。ゴルツィネ邸で動きがあったらしい。明日あたり、奴らが来るはずだ」

奴らが来る。胃のあたりがギュッと締め付けられた。

1時間後、各グループのリーダーが召集され、作戦の最終確認が行われた。この地区全体を使っての、大きな罠を張る作戦だ。それと同時に司令部を叩き、奴らの動きを完全に止める。
僕は作戦の指揮をとるアッシュをただ見守っていた。

今度こそ、上手くいきますように。







日が沈む。双眼鏡で北の地区を確認した。予想通り、奴らがやって来た。俺は指示を出した。

「走れ」

各地区に潜んでいた仲間たちが一斉に動き始める。皆、俺と同じ格好をしていた。偽のアッシュ・リンクスだ。ディノに雇われている奴らは、俺を射殺することを禁じられている。脚を狙って撃ってくるだろうが、全力で建物の間を走り抜ける相手の脚を撃ち抜くのは至難の業だ。それこそブランカぐらいの腕がなければ難しいだろう。
各方面から銃声が響く。それを確認して、俺は隠れ家の中へと戻った。
そこではショーターが無線をジャックしていた。本物の通信はこちらで電波を出して妨害している。暗号を解くのは難しくはなかった。
ショーターがマイクを取る。そして、いつもより低い真面目な声で話し出した。

「こちら4地区にてアッシュ・リンクス発見!周囲に異常なし!単独で行動しています!」
『ただちに捕縛せよ』

無線のコードを変え、今度は鼻をつまんで怒鳴る。

「9地区にアッシュ・リンクス!壁を崩され分断された!!くそ!囲まれてる!!」
『何だと!?迂回して立て直せ!!』
「りょうか…うわぁぁぁぁっ!!!」

大袈裟に叫んで通信を切る。そしてまた別のコードで繋いだ。

「ショーター、今のはわざとらしいよ」
「なぁに言ってんだよ、迫真の演技だったろうが」

後ろに立って様子を見ていた英二がたまらず突っ込む。ショーターは随分と楽しそうにしていた。「おもしろくなってきたぜ」と言って、マイクを再び取る。俺はその間もずっと敵の通信を盗聴していた。ショーターの流した偽情報にかく乱され、司令部も現場も完全に混乱している。

「ポイントに到着、付近に異常なし…―っ!?アッシュ・リンクス発見!!」
『何を言ってるんだ!もう8人目のアッシュ・リンクスだぞ!?』
「偽物の可能せ…がぁっ!!」

撃ち抜かれたかのような断末魔を上げて、通信を切る。ショーターの演技力はなかなかのものだった。俺はヘッドフォンを取った。

「奴らはそれぞれの地区に仕掛けた罠にはまってる。移動を開始しろ」

外から爆発音がした。仕掛けておいた爆弾が爆発したのだ。瓦礫の下敷きされた隊は全滅しただろう。

「各自ルートを確認しろ。俺たちは司令部を攻撃して、南に撤退する」

武器を手に取り立ち上がる。英二の手にも銃があったが、この状況では仕方ない。俺は英二をまっすぐに見つめた。何か言うべきなのだろうが、言葉が見つからない。

「…アッシュ、『また後で』って言って」

英二はそう言って、場違いなくらい綺麗な目で笑った。張り詰めていた空気が和らぐ。俺の体は勝手に動いていた。英二を強く抱きしめる。こんな風に英二を抱きしめたのは何日ぶりか。随分長い間抱きしめていないような気もした。
英二から『記憶』が流れ込んでくる。戦いの最中だというのに、見えた記憶は穏やかなものだった。

…―一面に広がる黄金の畑。その朝日を背にして英二は笑っていた。俺の方を見て、大きく手を振る。心臓が締め付けられた。それくらい、美しい光景だった。とてもこの世の物とは思えない。天国なんて信じちゃいないが、もしあるとするならばきっとこんな所だろう。そんな事を思った。…―

「…―また、後で…必ず」
「うん…」

英二が目を閉じる。俺は当たり前のように、その唇に触れるだけのキスをした。触れ合ったのはほんの数秒だった。そっと体を離す。そしてこちらを見ていたシンに目を向けた。

「シン…頼む」
「…あぁ」

シンには英二とジェシカを頼んでいる。ジェシカは少し離れたところでマックスに噛みついていたが、諭されてシンの方へと駆け寄って来た。そしてマックスを振り返り、大声で怒鳴った。

「死んだりしたらハチの巣にしてやるから!!」
「分かったからさっさと行け!!」

怒鳴り返したマックスを見て、ジェシカは切なそうな顔をしていた。シンに「行くぞ!」と言われ、思いを振り切るように背を向ける。英二もその後に続いた。


司令部の場所は分かっている。ユーシスからの情報だ。ユーシスが今更裏切るとは思えないので、俺は全面的にこの情報を信用することにした。
突入するメンバーは俺とショーターとケイン、あと行くと言って聞かなかったマックスの四人だ。全員小型の爆弾を持っている。小さな建物なら十分破壊できる量だ。
あちこちで銃声が聞こえる中、車に乗り込んで走り出す。こちらの動きに気づく者はいなかった。奴らは偽の俺を追って、袋のネズミになっている。生きて帰れる者はいないかもしれない。
細い道に入り、車を停める。この先に司令部があるはずだ。俺は爆弾を取り出した。

「良いか、ポイントに爆弾を仕掛けたらすぐに地下に入れ」

起爆ボタンは俺が持っている。全員が仕掛けて退避したら押せばいい。俺が目配せすると、全員緊張した面持ちで頷いた。
星のない夜の暗闇を走る。司令部のある建物に近づき、様子をうかがった。俺はそこで妙なことに気づいた。

「待て」

進もうとしたケインを手で制す。建物は三階建てのレンガ造りだった。築年数はかなり古い。窓には分厚いカーテンがかかっており、わずかな隙間から光が漏れていた。しかし…人の気配がしない。
明かりがついているなら、人が横切った時に影の一つくらい隙間から見えそうなものだが、それも一切なかった。それに、現場も司令部も大混乱に陥っていた。慌ただしく人の出入りがあってもおかしくないはずだ。

「…静かすぎる」
「確かに…車もねぇぞ」

ケインの言う通り、建物の周りには一台も車が停まってなかった。不自然だ。

「様子を見てくる…ここで待ってろ」
「おい、アッシュ…!」
「見てくるだけだ」

ショーターが止めようとしてきたが、俺はそれを遮った。そして静かに建物に近づいた。外付けの階段をゆっくりと上る。金属が古びているせいで、慎重に上っても軋む音がした。
壁に耳をあて、中の音を聞く。何の音もしなかった。通信機や空調の音すらもしない。窓に近づき、隙間を覗き込む。部屋の中には…―誰もいなかった。
ユーシスに騙されたのか。そう思って周りを見渡すも、敵の気配はない。罠というわけではなさそうだ。俺は念のため爆弾を窓の近くにセットした。
下で待っているショーター達にも手で合図をする。各自決められたポイントに爆弾をセットし、全員で建物から離れた。退避ポイントのマンホールを開け、地下に下りる。そこでマックスが口を開いた。

「なぁ…奴らはいたのか?」
「中には誰もいなかった。逃げられたんだ」
「誰もいないのに爆弾をしかけたのか?」

ケインに聞かれ、俺は頷いた。

「部隊が全滅して、身の危険を感じたんだろ。司令部が攻撃されることを読まれたんだ。引き際が分かってる奴は質が悪い。…これは、奴らの士気を下げるためのパフォーマンスさ」

そう言って、俺は起爆スイッチを押した。轟音と共に、地面全体が大きく揺れる。これで奴らも知るだろう。俺たちが本気で殺しにかかっているということを。







無事に全員脱出し、ダウンタウンで合流を果たした。負傷者は出たものの、死者は奇跡的に出ていない。俺たちの完全勝利だった。

地下から出て、俺はすぐに英二の姿を探した。しかし、英二はすでに部屋の中で眠っていた。朝日が昇ってだいぶ時間が経っていたから仕方ない。俺は英二の眠るベッドに腰を下ろした。そして寝顔を覗き込む。英二の寝顔を見た瞬間、心臓がざわつくのを感じた。

…―息を、していない…?

死に顔のように見えた。頬からは血の気が引いており、いつもより白い。俺は急いで英二の口元に耳を寄せた。呼吸音が聞こえない。布団をはいで、胸に耳を押し当てる。自分の心臓の音がうるさくて、英二の鼓動が聞こえなかった。それに、こんなに英二に触れているというのに…『記憶』が流れ込んで来ない。

嘘だ。そんなはずはない。だって、英二は無傷だ。こんな、息をしてないだなんて、そんなはずは…―!

「英二!英二!!起きろ!!」

英二の肩を掴んで、荒々しく揺らす。俺の声を聞いてショーターが部屋に入って来た。しかし俺は構わず英二の体を揺さぶり続けた。全く力の入ってない体は人形のようだった。頭がガクガクと大きく揺れる。

「おい!何してんだよアッシュ!!」

ショーターが俺の手を掴んで止めた。無理やり英二から引きはがされる。嫌だ、英二から離れたくない!

「英二が!!英二が息をしてないんだ!!」
「はぁ!?なに、言って…」

騒ぎを聞きつけてシンとマックスとジェシカがやって来た。俺は身をよじってショーターの手から逃れようともがいた。

「どうしたんだよアッシュ!!」
「アッシュ!落ち着け!!」
「英二が!えいじが…!!」

マックスがショーターと一緒に俺を抑え込んできた。
何でだ。何で邪魔するんだ。俺と英二を引き離そうとするんだ。

「英二が息してないとか言ってるんだよ!」
「嘘…!?」

ジェシカが英二の手を取って脈を計る。そして口元に耳を近づけた。俺は暴れるのをやめてその様子を見守った。ジェシカは眉を寄せて顔を上げた。

「普通に、寝てるだけよ…?」

全身から一気に力が抜けた。その場に座り込む。ショーターが「大丈夫か?」と声をかけて来たが、答えられなかった。

「アッシュ、お前ずっと気を張り詰めて疲れたんだろ。英二は無事だ」

マックスが優しい声でそう言って、俺の頭を撫でた。俺はのろのろと英二の方へ近づいた。眠る英二の顔は、やはり白く見える。どうしても、胸に残った不安を拭い去ることはできなかった。
狭いベッドに上がり、無理やり英二の隣に寝転ぶ。その場にいた全員が絶句していたが、関係ない。俺はそのまま英二の体を抱きしめた。英二の黒髪に鼻をうずめ、大きく息を吸う。そして目を閉じた。

でも、いくら待っても英二の『記憶』は流れ込んで来なかった。




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