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24

更衣室で着替えを済ませ、髪をセットする。童顔を少しでも隠せるよう、分厚い黒ぶちの眼鏡をかけた。飲み物を運ぶだけのボーイの顔なんて誰も注視しないだろうが、念のためだ。ショーターも変装を済ませていた。眉のピアスは外してある。姿勢よく立つ姿は臨時雇いではなく正規のホテルスタッフに見えた。ジャケットの内側に銃を忍ばせる。

「絶対、アッシュを連れて帰るぞ」
「うん」

ショーターに答えて、二人で拳を合わせた。


会場に入り、シャンペンを運ぶ。アッシュ達がいる位置は分かっていた。でも、今行くと早すぎる。もう少し経ってから…ケイン達が資材用のエレベーターを押さえてからでないといけない。
きらびやかに着飾った上流階級の人たちに、笑顔で飲み物を渡す。不自然に思われない程度に動き、空になったグラスを運びながらショーターに近づいた。背を向けたまま、小声で話す。

「…アッシュは奥にいる。あと少ししたら、行こう」
「了解」
「僕が先に行くから、ついて来て」

少しずつ、会場の奥へと進んでいく。穏やかな笑みを貼りつけるのが大変だった。はやる思いをどうにか抑え、ゆったりとした歩調で進む。空気と同化して、目立たぬように。
時計を確認する。そろそろケイン達が侵入経路を開いた頃だろう。ここから30分以内にけりをつける。
ちらりと後方を確認する。ショーターが女性に飲み物を渡していた。笑顔で対応しながらも、一瞬僕の方に視線を向けた。それを見て、僕はアッシュがいる奥のスペースへと足を進めた。
壁に近づき、そっと様子をうかがう。そこには『前』と同じく車椅子に乗せられたアッシュがいた。目は虚ろでどこにも焦点が合っていない。やはり『今回』も視力を奪う薬を使われているようだ。そのアッシュの前に、ゴルツィネがいた。こちらは『前』とは違い右手で杖をついている。歩き方もどこかぎこちない。アッシュに撃たれた傷の後遺症だろうか。
ゴルツィネの隣にはユーシスが立っていた。着飾った姿は女性にしか見えない。長い髪を結いあげ、綺麗な髪飾りをつけていた。周りにいる地位の高そうな壮年の男たちに、美しい笑みを向ける。男たちはそんなユーシスをいやらしい目で見ていた。ゴルツィネを支持するような奴らだ。あの魚料理屋を利用している者もいるに違いない。そう思うと胸のあたりが嫌悪感でいっぱいになった。
そしてアッシュの車椅子の後ろには、ブランカが立っていた。何かアッシュに話しかけている。しかしアッシュは無反応だった。耳は聞こえているはずだから、無視しているだけだろう。その姿は何だか生気のない人形みたいで、心がざわつくのを感じた。早く、そこから助け出してあげたい。
僕が半歩前に出た時だった。思い切りブランカと目が合った。
距離はそれなりにある。人の行き来も激しいし、そんなに目立つ行動をしたつもりもない。でも、ブランカはまっすぐに僕を見ていた。まずい。いや、ブランカは今ユーシスの護衛だから大丈夫なのか…?
僕はゆっくりと体の向きを変え、一旦ショーターの方へ戻ろうとした。高鳴る心臓を押さえ、ため息をつく。視線を上げて歩き出そうとした時、照明が遮られ影が落ちた。

「あっ…」
「やぁ、シャンペンをいただけるかな?二つね」

僕の前に立っていたのはブランカだった。まるで気配を感じなかった。一体いつの間にこっちに来たのだろう。大きな背に遮られ、ショーターの姿が全く見えない。緊張で手元が震えそうになった。

「は、はい、かしこまりました」
「どうも」

僕が差し出したシャンペンを受け取り、にっこりと微笑む。それに僕も笑い返すと、ブランカが耳元に顔を近づけて来た。いきなりの事に、僕はただ固まることしかできなかった。耳元で囁かれる。

「君たちの『幸運』を祈ってるよ」
「え…?」

スッとブランカが離れる。開けた視界の先には僕の方に歩いてくるショーターの姿があった。ブランカはシャンペンを軽く掲げて、「よい一日を」と言ってアッシュ達のところへと戻って行く。僕は囁かれた言葉の意味を考えていた。『前』とは違う、ブランカの行動…これはこの後どう影響するのだろう。少なくとも、さっきの言葉は好意的に思えた。言葉通りに受け取るならば、だが。

「おい、大丈夫か?」
「あ、うん…バレたけど、たぶん…」
「『前』もこうだった?」
「いや…ちょっと違う」

小さな声で話していると、入口の方から叫び声が聞こえた。シン達だ。天井に向けて銃を乱射し、割れた照明が客に降り注ぐ。僕とショーターはトレイを投げ捨てて、背中合わせに銃を構えた。

「動くな!!」

僕の声に反応して、アッシュが顔を上げた。
両手でしっかりと銃を構え、テーブルについたゴルツィネに照準を合わせる。奴の隣にアッシュが座っている。ブランカはテーブルから離れたところでユーシスを抱きかかえるようにして立っていた。
『前』はゴルツィネがアッシュの喉元にナイフを突きつけて脅してきた。『今回』はそんな事はさせない。もうこれ以上アッシュに触れさせたくない。

「動いたら撃つ!!」

ゴルツィネの手がテーブルの上に置かれたナイフに伸びる。
体の奥底から殺意がわいてきた。ここで全て終わらせてしまいたい。コイツさえいなければ、アッシュを奪おうとする人間はいなくなる。目を見開くゴルツィネの眉間に狙いをつける。あとは、引き金を引けば良い。そうすれば、アッシュは解放される。
引き金に指をかけた瞬間だった。脳裏に『いつか』の世界の光景がよぎる。

…―裸に剥かれ。ベッドに押し倒され、狂気に満ちた視線を向けられる。ゴルツィネは笑っていた。笑いながら、怒りに震え、僕の首を力強く絞めあげる。…―

「英二!!」

僕の意識はアッシュの声によって引き戻された。眩暈がして、狙いがぶれる。引き金を引くと、銃声と共にゴルツィネの呻き声がした。眉間には当たっていない。弾はゴルツィネの首筋をかすった。あれではまだ死なない。椅子から倒れるゴルツィネを追ってもう一発撃つ。それは肩に命中した。…―まだだ。
僕がさらにゴルツィネを撃とうとした時、走って来たアッシュに抱きかかえられた。僕の手の上から銃を持ち、左の方に銃口を向ける。そこには銃を構えたゴルツィネの手下がいた。アッシュの指が引き金を引き、男は眉間から血をふき出して倒れた。
ゴルツィネにばかり意識がいっていて、自分が狙われていることに全く気づかなかった。

「行くぞ!!」

アッシュはそう言うと、僕の手を引いて走り出した。とても目が見えていないとは思えない動きだ。僕の反対側にショーターがまわり、三人で逃げる群衆の中に紛れた。周囲に視線を巡らせる。「撃て!!撃ちまくれ!!」とシンの声がした。とめどなく銃声が響く。天井を撃ち抜き、壁が破壊された。

「こっちだ!」

ケインが手を上げる。…確かここで、ゴルツィネの手下に狙われたはずだ。僕は銃を右手に、『前』アッシュが撃った方向を確認した。そこには銃を構えた男がいた。男よりも早く引き金を引く。弾は男の手に当たった。
エレベーターに駆け込む。ドアが閉まり、僕は大きく息をついた。

「おー意外とやるじゃねぇか小僧」
「…小僧じゃないよ」

ケインにそう返し、僕はアッシュの顔を見た。目は…やはり見えていないようだ。

「アッシュ、大丈夫?」
「あぁ。…目は見えねぇが、音で大体の位置は分かる」

アッシュは僕に手を差し出してきた。

「その銃は俺が持つ」
「何言ってんのさ。ここは僕に任せてくれよ」
「お前に銃を持たせたくない」

こんな状況でどうしてアッシュがそんな事を言うのか分からなかった。でも、アッシュの声は真剣だった。何かに怯えてるような、そんな感じにも見えた。

「アッシュ、今はそんな事言ってる場合じゃねーぜ」
「その通りだ。ついて来な」

ショーターとケインに言われ、アッシュは渋々手を下ろした。エレベーターが一階に着く。僕はアッシュの手を取った。「走るよ」と言うと「おう」と短い返事が返ってくる。ドアが開いたと同時に、僕らは外に駆け出した。
トラックの荷台に入り、床の穴からマンホールへと下りる。アッシュに手をかそうとしたが、一人で難なく下りていた。地下水道は下水の臭いで満ちていた。喉の奥にこみ上げるものを感じるくらいの酷い悪臭だ。目が見えない分聴覚の他に嗅覚も研ぎ澄まされているのか、アッシュが手の甲で鼻を押さえた。

「この後の動きはどうなってる」
「一旦廃駅に行って物資の補給する。その後俺たちは南下して地上に出る予定だ。休む時間はねぇ。いけるか?」

歩きながらショーターが説明すると、アッシュは「平気だ」と返した。
ケインの案内に続いて、廃駅を目指す。ライトで照らされてない場所は真っ暗で何も見えない状態だった。そんな最悪の視界でも、アッシュの足取りは変わらない。

「暗いのは平気なの?」
「あぁ、瞳孔を開く薬を使われてんだ。暗い方がむしろ助かる。会場は明るすぎて、頭が痛かった」
「そうなんだ、じゃあ今の方が見えたりするの?」
「ピントが合わないから、ぼんやりしてる」

アッシュがぎゅっと僕の手を握った。そして小さく笑う。

「残念だな。お前のカッコいい姿が見えなくて」
「あとで履歴書の写真見せてあげるよ。ショーターがまた別人になってるんだ」
「ショーターは別にいい」
「ここ響くから全部聞こえてんぞお前ら」

前を歩いていたショーターが振り返ってライトをチラチラ当ててきた。「いってぇ!やめろ」とアッシュが目を覆う。そんな僕らのやり取りを見て、ケインがおいおいとため息を吐いた。

「緊張感ねぇなお前ら、マフィアから逃げてんだぜ?」
「悪いな、ケイン。逃げるのには慣れてるんだ」

アッシュの言う通り、僕らは奴らから逃げるのに慣れてる。『今回』はユーシスも味方についてくれたから、誰も捕まることなく逃げ延びることができるはずだ。

しばらく歩くと駅に着いた。落書きだらけの壁に背を預け、地面に座る。僕とショーターは変装を解き、用意していた服に着替えた。
一瞬、酷い眠気に足元がふらついたが、どうにか持ち直す。頬を強めに叩いて気合を入れ直した。
目を閉じたままじっとしているアッシュに、着替えの入ったバッグを持って行く。

「アッシュ、着替えられる?」
「手伝ってくれ」
「分かった」

僕たちがいるのは駅の待合スペースのようなところだった。といっても、仕切りがあるわけでもベンチがあるわけでもない。ただコンクリートがコの字型にへこんでいるだけの狭いスペースだ。
足元に置いたランタンだけが、その空間を照らしていた。ショーターはケインやシンと今後の逃走ルートの最終確認をしている。
僕はアッシュのタイを外し、ボタンに手をかけた。全て外すと、アッシュはシャツを脱いだ。小さな明かりに照らされた体は以前とさほど変わらず、僕はほっと息をついた。そんな僕の様子に気づいたアッシュが、片眉を上げて笑う。

「ガリガリになってなくて安心した?」
「うん…安心した」
「タコの屋敷の飯は最悪だったぜ、早く英二の飯が食いたい」
「僕も、早く君にご飯を食べさせたいよ」

服の前後を確認して、アッシュの頭にかぶせてやる。ついでにセットされた髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でた。ジャケットを着るのを手伝って、ジーンズとスニーカーを渡した。
着替えを済ませて、いつもの姿のアッシュに戻る。僕はアッシュの隣にピッタリと寄り添って座った。

「…英二」
「何?」

アッシュの手が僕の手を握る。僕がアッシュの方を見ると、アッシュは目を伏せたまま言葉を続けた。

「さっき…会場で、アイツを殺す気だったのか?」

なぜ、そんな当然の事を聞くのか。よく分からなくて、僕は小さく首を傾げた。

「うん」

僕の答えに、アッシュは僕の方を見た。まだ目は元に戻っていない。近くで見ると瞳孔が大きく開いているのがよく分かった。死んだ人は瞳孔が開くと聞いたことがある。アッシュの死を連想させる瞳に、僕は自然と目を背けた。

「でも…ごめんね。仕留めそこなっちゃった。あの距離で外すなんてさ…―」
「やめてくれ!」

アッシュの悲痛な声が地下鉄に響く。きっと向こうで話し合っているショーター達にも聞こえただろう。

「アッシュ…?」
「やめてくれ…英二…あんな奴の血で、お前の手を汚さないでくれ…」

「お願いだ…」とアッシュは僕の手を両手で祈るように握った。そして、僕の指先に口づける。その姿があまりに綺麗で、僕は何も言えなくなってしまった。
アッシュは僕のことをどんな風に見ているのだろう。僕は聖人でもなんでもない。アッシュを助けるためなら人を殺しても良いと思っている。正義とか悪とか、そんな尺度は関係ない。僕にとって、僕が救いたい人を救うことがただ一つの正解だった。どこまでも自己中心的な考え方だ。でも、人間なんだから仕方ない。
僕は握られてない方の手でアッシュの頭をそっと撫でた。

「僕は…君を守るためなら、どれだけでも手を汚すよ」

アッシュの願い事は何でも聞いてあげたい。でも、これだけは聞いてあげられない。
うつむいたアッシュを撫でていると、ショーターがやって来た。

「あー…大丈夫、か?何かでかい声したけど…」
「大丈夫だよ、もう出発する?」

顔を上げたアッシュの目元に涙はなかった。小さく震えていたから泣いてるかと思ったのだが、違ったらしい。ショーターは「あぁ、地下のチームは全員無事が確認できたから、今から地上に向かう」と答えた。荷物と武器を持ってそれぞれのルートに分かれる。僕らの案内にはまたケインがついてくれた。シンは別のルートで地上に出る予定だ。

「アレックス達も無事に奴らを撒いたらしい。さっき連絡が来た」
「良かった…じゃあ、シンも気をつけてね」
「あぁ、また後でな」

軽く手を振って背を向けたシンを、アッシュが呼び止めた。

「…助かった、ありがとな」

素直に礼を言うアッシュに、シンは一瞬目を丸くした。そして、にっと笑う。

「アンタにも可愛らしいとこあったんだな!」
「言ってろガキ」

年下にからかわれ、すぐに憎まれ口を叩く。そんなアッシュを見て今度こそシンは僕たちに背を向けた。暗闇の中へと駆け出していく。ケインが「俺たちもそろそろ行くか」と歩き始めた。


迷路のような水路を歩く。地下だから時間の感覚がない。今は夜中だろうか。アッシュに握られた右手以外の感覚がだんだんとなくなって来た。何度か躓くと、見かねたショーターが肩をかしてくれた。でも、身長差があって逆に歩きづらい。

「英二、もう少しだから頑張れよ」
「うん…」
「ショーター、英二をおぶってやってくれ」

アッシュの言葉に、ケインが振り返った。

「どうした、具合が悪いのか?」
「いや…まぁ、うん。そんな感じだ」

歯切れ悪く答えたショーターに首を傾げつつも、ケインは僕に歩み寄って来た。僕はぼんやりとする頭を上げて、ケインを見上げた。

「熱でもあんのか…?俺が運んでも良いが…」
「だめだ」

ケインの申し出を却下したのはアッシュだった。本当は俺が運びたいけど今は視界が悪いから、と何やら言っていたが、それも聞こえなくなってくる。寝ちゃいけないのに、まだ脱出してないのに、どうにも抗えない。
ガクリ、と膝が折れる。瞼が重すぎて、目を開けていられなかった。僕はそのまま温かな闇の中に入って行った。







地下の逃走ルートを歩いている途中で、英二は寝てしまった。寝た、というよりも気絶に近い。俺の視界は徐々に正常に戻って来てはいたが、まだピントが合わない状態だった。頭の痛みは英二と再会したことで、不思議なくらいあっという間になくなった。体力的にも英二を運ぶことに何の問題もない状態なのだが、視界が問題だ。英二に怪我をさせるわけにはいかない。俺はケインの申し出を却下して、ショーターに英二を運ぶよう頼んだ。
ケインには悪いが、無防備な状態の英二に触れて欲しくない。ショーターくらい信用のできる相手でなければ任せられなかった。
完全に意識のなくなった英二を、ショーターが横抱きする。俺はその隣について、ぼやける視界の中英二を見た。あと一時間もすれば視力は回復するはずだ。早く英二の顔が見たかった。

英二は平然と、ディノを殺すつもりだったと言った。本来の英二なら、きっとあり得ないセリフだ。俺は怖くて仕方なかった。日本での記憶の次は、一体何が失われるのか。
英二が英二らしさを失っていっているような気がした。どうすれば止められるのだろう。俺には、何もできないのだろうか。

俺のためならどれだけ手を汚してもいい、と言われた時。汚してほしくないという気持ちと同じくらい、その言葉を喜んでいる自分がいた。あさましい自分に嫌気がさす。俺は今の時点で充分すぎるくらい英二から愛情をもらっている。俺のために世界を『繰り返して』くれている時点で、これ以上ないほどの愛を受け取っている自覚があった。でも…俺は英二の事になると際限なく求めてしまう。

俺も、英二のためなら何だってできる。この命を捨てること以外、何だって。前までは死ぬことに恐怖はなかった。死にたいと考えたことはないが、いつ死んでも別に構わないと思うくらいは、生に執着がなかった。だが、今は違う。今は、英二が守り通してくれたこの命を無下に扱うなんてことはしない。英二が背負ってきた苦しみを、痛みを考えたら、そんな事はできなかった。

視力がだいぶ回復した頃、地上への出口に到着した。先にケインが上がって、状況を確認する。奴らの気配はない。どうやら気取られることなく逃げ延びれたらしい。ショーターが英二を肩に担ぎ、梯子を上る。俺はその後に続いた。外は明るく感じたが、まだ朝日は昇っていない。ようやく吸えた新鮮な空気に、ショーターは英二を抱え直して大きく息をついた。

「こっから先は俺たちだけで大丈夫だ。案内ありがとな、ケイン」
「気にすんな、シンの借りを返しただけだ」
「アンタ良い男だな〜」

ケインはショーターに「まぁな」と言って笑った。どうやらこの二人もなかなかに馬が合うようだ。

「ケイン、俺からも礼を言う。助かった」
「ははっ!お前に礼を言われると悪い気はしねぇな」
「アンタは借りを返しただけだと言ったが…コルシカマフィアを敵に回しちまったんだ。分かるよな」

俺が声を低くして言うと、ケインは真剣な顔で頷いた。

「あぁ、分かってる。俺たちだって奴らのやり方は気に食わねぇと思ってたんだ。お前につくぜ」
「そりゃ心強いな…仲間には気を配ってやれよ」

英二のノートと『記憶』から、この後起きる闘いでケインの仲間も何人か犠牲になる事は知っていた。止められるものなら止めたいが、如何せん情報がほとんどなかった。だから今はこんなありきたりな忠告しか言できない。


ケイン達と別れた後、俺たちはマーディアの隠れ家に向かった。
前もってショーターが連絡を入れていたらしい。マーディアは俺たちが来るのを待っていた。ドアが開かれ、マーディアがショーターに軽くハグをする。俺にもしてくれた。そして、ショーターの背で眠っている英二を見て首を傾げた。

「英二は、何かされたの…?」
「いや、疲れて寝てるだけだ。客間のベッド借りて良いか?」
「えぇ、もちろん」

英二をベッドに寝かせ、リビングに戻ると「お願いだからシャワーを浴びて」と言われてしまった。服や体に下水の臭いが染みついているらしい。鼻が慣れてしまって自分たちではよく分からなかった。
ストレートに臭いと言われるより地味に傷つきながら、二つあるバスルームでそれぞれシャワーを浴びた。

「悪いな姉貴。明日には出てくからよ」
「そんな、もっといれば良いじゃない」
「いや〜、でもチャーリー来るだろ?」
「来ないように言うから」

マーディアにとってはまだまだ弟のショーターの方が優先順位が高いらしい。これに関してはチャーリーに勝ち目はないだろう。子どもが生まれたらまた変わるのだろうが、現時点ではマーディアの一番はショーターに違いない。

「マーディア。奴らに見つかったらまずいから、明日出るよ」

俺が言うと流石に引き留めるのは無理だと悟ったのか、目を伏せて「分かった」と答えた。

それから俺は英二の眠る寝室に向かった。地下水路で汚れた服はすでに脱がせてある。手足だけ軽く濡れタオルで拭いて、マーディアが用意してくれたパジャマを着せた。布団をかけ、額を撫でる。流れ込んでくる『記憶』を頭の片隅で見て、英二の寝顔を見つめた。

英二の、この耐えられないほどの眠気も、気になってはいた。睡眠障害の一種かと思って調べたが、どれにも当てはまらない。それに、これは単なる病気とは違う、もっと異質なものだと感じていた。確信があるわけではないが、英二は特殊な能力を持っている。その関係で体に異常をきたしても、不思議ではない。
このまま睡眠時間がどんどんと伸びていって、英二が起きなくなってしまったら、どうしよう。そんな恐怖が付きまとう。馬鹿な妄想だとは言い切れない。どんな事が起こるか分からないのだ。英二に関しては特に。世の中の常識は通用しない。
今のところ、寝入りは早いが寝起きは俺よりもずっと良い。ちゃんと早起きすることだってできている。だから、きっと大丈夫だと、自分に言い聞かせる。

ショーターとマーディアはまだリビングで話していた。ショーターはそのままリビングで休むのかもしれない。客間には二つベッドがあったが、俺は英二と同じベッドにもぐりこんだ。そして英二の体を後ろから抱きかかえる。温かな体温に安心した。英二の鼓動が伝わってくる。無事にここまで来れて本当に良かった。

英二の『記憶』で見た光景は、恐ろしかった。地下水路で敵に追い込まれ、英二は無謀にもおとりになって俺から離れた。俺はそれを止めようとしたが、後ろから強く殴られて視界が真っ暗になった。おそらくケインが殴ったのだろう。英二に死なれるより、俺が死ぬ方が影響が大きいと考えたに違いない。ボスとしては間違ってない判断だ。だが、あんな所に英二を置いて逃げるだなんて、俺にとってはあり得ない選択だった。

英二の首筋に鼻をうずめ、大きく息を吸う。俺は久しぶりにぐっすりと眠った。



昼になってから英二に叩き起こされた。バシバシと遠慮なく頭を叩かれる。久しぶりに帰って来たのだから、もっと優しくしてくれても良いんじゃないだろうか。そう言ったら「優しくしたさ!な、ん、ど、も!!」と余計に英二の怒りを煽ってしまった。
朝食…もとい昼食は英二とマーディアが作ってくれた。ショーターは手出ししなかったらしい。妙なものはテーブルにはなかった。
ディノの屋敷では栄養を補給するためだけに、料理を口に入れ、咀嚼し、飲み込んでいた。到底食事と言える行為ではなかったと思う。今の方がよっぽど人間らしく食事している。実際はこちらの方が、素材も料理の腕も劣るのかもしれない。が、そんな事は関係なかった。

「食いものが美味いと感じたのは、久しぶりだ」
「…そっか…良かった」

俺が呟くと、英二は泣きそうな顔で笑った。ショーターからどの程度話を聞いているのか分からないが、マーディアも少し涙目になっていた。これも食べろ、もっと食べろとすすめられ、久々に苦しくなるくらいたくさん食べた。あんな泣きそうな笑顔ですすめられたら、「太りたくない」と断るなんてできない。それに、ただ食べてるだけなのに、英二はすごく喜んでくれた。

明日の早朝にここを出ることにし、それまでは体を休めることにした。次に移るアジトについてアレックス達に電話で指示を出す。ゴルツィネは市警を使って血眼になって俺たちを探しているらしい。が、今のところ誰もその網にはかかっていないと言っていた。当たり前だ。仕事のできないポリ公に捕まるような間抜けは、あのメンバーの中にはいない。

ソファに座っていると、片づけを終えた英二が隣にやって来た。そして、黙って俺の手を握る。同時に『記憶』が流れ込んで来た。

…―英二の視点だ。場所はチャイナタウンだった。周りにリンクスの仲間はいない。一人で壁に背を預けて立っていた。悪そうな顔をした男たちが近づいてくる。男たちはいやらしい目で英二を見ていた。中国語で話しかけられ、英二が首を傾げると英語に変わった。しかし中国語の訛りが強くて英二には理解できなかったらしい。遠くから「英二!!」とアレックスの声がした。…―

今のは…明らかにその手の奴らにナンパされていた。アレックスがすぐに来たから大事には至らなかったようだが、胸糞悪い光景ではある。
自然と眉をしかめていると、英二が俺の顔を覗き込んできた。

「…アッシュって、どこか別の場所を見てる時が結構あるよね」

そう言われて、ギクリとした。が、表情は変えない。

「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。今、どこを見てたの?」

英二の黒い目が、じっと俺を見据えた。このまま目を合わせていると、心の中を見透かされそうな気がした。目を逸らすと、英二がため息を吐く。思わず肩がビクリと動いてしまった。

「…質問を変えるね。…ゴルツィネとの取引で、『バナナフィッシュのサンプル』を持ってくるよう言われてたけど…どうやって、手に入れたの?」

俺が黙ったままでいると、英二が続けた。

「…あれの隠し場所は、『どの世界』でも秘密のままにしてたんだ。だから、君が知ってるはずがない」

英二の手が俺の頬に伸びる。背けていた顔を強制的に英二の方に向かされた。また『記憶』が見える。でも、今はそれを見ないようにした。つもりだった。

「まただ…また、『別の場所』を見てる…」
「英二…」

英二の手が冷たくなる。頬から手が離れ、英二は立ち上がった。俺を見下ろす瞳が揺れる。とても傷ついているようだった。
もう、隠せない。英二は見抜いてしまった。

「アッシュ、君は…―」

続けられた言葉は、俺が隠し通したいと思っていた事実だった。

「僕の頭の中が、見えるの…?」




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