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プライベートジェット、というのだろうか。これに乗るのは初めてじゃない。でも、こんな状況で乗るのは初めてだった。
座り心地の良いソファに身を沈める。僕の隣にはアッシュが座っていた。そう、アッシュと乗るのは『今回』が初めてだ。だって、いつもならアッシュはここにはいない。ユーシスに脅されたショーターと、そのショーターにナイフを向けられた僕。そして張り詰めた空気。それがいつものことだった。

「着いたら起こしてくれ」

アッシュはそう言って、僕の肩に頭を預けて来た。そのまま目を閉じる。僕はアッシュの頭が落ちないよう、そっと手で支えた。こうしていれば機体が揺れても大丈夫だろう。
何だか視線を感じ、顔を上げる。そこには驚いた顔をしたユーシスが立っていた。人数分のお茶がお盆の上にのっている。コの字になったソファの真ん中に座っていたショーターが立ち上がった。

「悪ぃな、ブランケットとかもらえるか?」
「え?えぇ、すぐにお持ちします」

ユーシスからお盆を受け取って、ショーターが席に戻って来た。お茶を手に取って、迷うことなく飲む。一瞬、伊部さんが倒れる姿を思い出し、僕はぎょっとした。
しかし、そんな心配は無用だったようだ。ショーターは「うまいな」と言って笑う。そんなショーターに、ユーシスは小さく頭を下げてブランケットを取りに行った。

「英二も飲むか?」
「う、うん。ありがとう」

本当に、『今』はユーシスを信用しても良いようだ。僕はアッシュの頭を揺らさないよう気をつけながら、お茶を受け取った。温かい。一口飲むと、緊張した体がほぐれるような感覚があった。
ほっと、息をつく。
すると、ショーターが僕の隣に移動してきた。三人座っても十分スペースはあるが、この大きなソファの一辺に三人とも座るというのは変だ。僕が首を傾げると、頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。

「俺に寄りかかって良いぜ?そのまんまだと寝られねーだろ」

僕が答える前に、頭を肩に引き寄せられる。がっしりとした体が僕を支えてくれた。さっき思い出された光景とはまるで違う。
僕の体が傾いたので、自然とアッシュの体も傾く。そのままアッシュの頭はぽすん、と僕の膝の上におさまった。こっちの方が安定していて良いかもしれない。顔にかかった金髪をそっと払う。緑の両目は閉じられたままだった。

「でも、これだとショーターがきつくない?」
「全然!お前が寄りかかったくらい何ともねぇよ」

からりと笑い、また頭を撫でてくる。伊部さんとは違って雑な手つきだったけど、少しも嫌ではなかった。そのまま目を閉じる。
二人のぬくもりが、心地良かった。



…―あたたかな暗闇の中で、僕は目を開いた。周りを見渡しても何もない。ただの闇が広がっていた。
不思議と怖くはなかった。何の目的もなく、足を踏み出す。地面は新雪のように柔らかかった。
ここはどこだろう?…どこでもいい。
何をしなきゃいけないんだろう?…何にもしなくていい。
何だかすごく自由になった気分だった。体が軽い。これならどこまでだって歩いて行ける。

「…―じ!」

誰かが僕を呼んだ。いや、僕を呼んだのか?
振り返ると、遠くにキラキラしたものが見えた。綺麗だ。

「…いじ…!!」

金髪が光っている。その人は背中を丸めて泣いていた。下を見ているので顔は見えない。僕はキラキラ光るその人に近づいた。その人は誰かを抱きかかえていた。抱えられた人は真っ黒な髪をしていた。側には真っ黒な銃が落ちている。

あふれ出していたものは…―。



「英二、英二!…大丈夫か…!?」

肩を揺すられ、目を開く。アッシュが僕を心配そうに見つめていた。小さな窓から明るい空が見える。かなり深く寝入っていたらしい。
寝る前に隣にいたはずのショーターの姿はなく、僕はソファの一角を一人で占領していた。靴もいつの間にか脱がされている。

「あっしゅ…おはよ」

ゆっくりと起き上がってそう言うと、アッシュがため息をついた。そして僕の隣に座る。

「………お前が、息をしてないかと思った」

唐突に、アッシュが言った。
え?寝てる時息をしてないって…何かそういう病気があった気がする。

「うそ、イビキとかかいてた?」
「そうじゃなくて…!…−何でもない」

何が言いたかったのか、よく分からない。僕がアッシュの目を見つめていると、すぐに逸らされてしまった。
もしかして、妙な寝言でも言ってしまったのだろうか。
夢の記憶は全く残っていない。でも、悪夢を見ていたのだとしたら、変な寝言を言うのもあり得る。

「ごめんね、何か変な寝言とか言ってた?」
「言ってねぇよ…謝んな」

ちょうどその時、ドアが開かれた。

「お?やっと起きたか英二〜よく眠ってたな」

現れたのはショーターだった。あと1時間もすればニューヨークに着くらしい。空路だと本当にとんでもなく早く着く。
僕は靴を履いて、窓から外の様子を眺めた。空は青く澄み渡っている。眼下に広がるのは白い雲と広大な自然だった。町がちらほら見えるが、まだあの摩天楼は見えない。輝く太陽が眩しくて、目を細めた。



李家が所有している空港に到着する。そこから車で移動して、僕たちはニューヨークに戻って来た。
ユーシスはずっと僕たちの身の回りの世話をしてくれた。他の人の目があるところでは、この態度を貫くつもりらしい。
ドースンの養子を演じている時とも、もちろん月龍の時とも違う姿だった。本当に演技が上手いな、と思って眺めていると僕の視線に気づいたユーシスが柔らかく微笑んできた。

「何か?」
「あ!え、いや、何でも、ない」

ユーシスが僕たちのために動いてくれているだなんて、何だか変な感覚だ。
僕は慌てて笑って誤魔化した。

それから『隠れ家』に案内された。ユーシスが自由にすることを許されている住居がいくつかあるということは知っていたが、僕らが案内されたのはお屋敷と言って良いくらい立派な建物だった。全然隠れている感じはしない。
ゴルツィネも、まさかこんな場所に僕らが潜伏しているとは思わないだろう。
家の周りは高い塀に囲まれ、いくつもの監視カメラが設置されていた。庭にもセンサーがいたる所に設置されているに違いない。
外敵から隠れるのに適した建物…それは同時に閉じ込めることにも適した建物だと言える。
もしもの時の脱出ルートを考えておかなければならない。
僕はできる限り部屋や物の配置を頭に叩き込みながら歩いた。

「こちらへどうぞ」

ユーシスが扉を開ける。僕たちが入ると、ユーシスは部下に何か言いつけて扉を閉じた。
振り返った顔は、見覚えのある『月龍』のものだった。









…―『夢』なのか『記憶』なのかは分からない。
心地よい日差しの中、俺はウッドデッキに出ていた。椅子に腰かけ、コーヒーを飲む。周りの景色は、どこか懐かしいものだった。膝の上に置いた本のページが風によってめくられる。
視線の先には大きな麦わら帽子をかぶった誰かがいた。手にホースを持ち、花に水を撒いている。
こちらに背を向けているので、顔は分からない。ただ、どうしようもなく愛しいと思った。
ホースの水が、小さな虹を作る。キラキラと輝くそれに、俺は呼吸を忘れて見入っていた。…―


目を開けると、機内のライトがほとんど落ちた状態になっていた。眠りを妨げない程度の優しいオレンジ色が足元を照らしている。
頬の下に心地よい体温を感じ、視線を上に向ける。そこにはショーターに寄りかかって寝息を立てている英二がいた。ショーターは腕組みをした状態で天井を仰ぎ、イビキをかいていた。…よくそんな姿勢で寝れるな。首を痛めるんじゃないだろうか。
俺はというと、英二の膝を枕にした状態で横になっていた。英二を起こさぬよう、そっと上体を起こす。時間を確認すると、あと3時間ほどで着く頃合いだった。

英二が横になれるよう場所を空け、クッションを置く。そしてショーターに寄りかかった英二の肩を掴んだ。もう片方の手で頭を支え、そっと上体を倒させる。英二の頬には、ショーターのシャツのしわの跡がついていた。
クッションの上に頭をのせ、肩までブランケットをかけてやる。ついでに靴も脱がせていると、「んー…あ?」とショーターの寝ぼけた声がした。

「なんだ、もう着いたのか?」
「いや、まだだ。ちょっとそこ退けショーター」

英二の足を持ち上げて、ソファの上に乗せる。ショーターはあくびをしながらも、ソファから立ち上がった。

「何だよ、英二に膝枕されてたくせによぉ」
「うっせ」

俺は英二の隣に座り、ショーターは向かい側に移動した。

「あとどんぐらいで着くんだ?」
「まぁ、3時間くらいだろ」
「あっという間に着くなぁ…」

そう言いながら、ショーターはごろんと横になる。また寝るつもりらしい。俺は横で眠る英二の髪を撫でた。
目を閉じ、流れ込んでくる『記憶』に集中する。

…―脇腹に痛みを感じた。耐えられないほどのものではない。視線の高さは俺のものだった。それに安心する。目の前のドアを開けると、部屋の中に英二がいた。俺の仲間もいる。「アッシュ!」駆け寄って来た英二が抱きついてきた。…―

今まで見て来た『記憶』の状況を繋ぎ合わせて、情報を整理する。場所と俺の傷から察するに、今見えた『記憶』はイカれた病院から抜け出した後のことだろう。

ふと気配を感じ、俺は目を開けた。視線を上げると、ドアの前にユーシスが立っていた。
ユーシスは英二を撫でている俺の手を見つめ、そして馬鹿にしたように笑った。…やっぱりコイツは気に食わない。

「飲み物でもいかがですか」
「…水」
「はい、ただいま」

ここには恐らく兄の監視の目があるのだろう。ユーシスが従者のポーズを崩すことはなかった。
ショーターに目をやると、イビキが止まっていた。これは狸寝入りだ。サングラスをかけたままなので、目が開いてるかどうかもよく分からない。俺とユーシスのやり取りを聞いておくつもりらしい。

水の入ったペットボトルを持って、ユーシスはすぐに戻って来た。

「このままの方がよろしいんでしょう」
「別に、もうそんな身構えちゃいねーよ」

ユーシスからペットボトルを受け取る。キャップに開けられた形跡はない。ライターであぶった跡もないから、正真正銘新品なんだろう。
キャップを開けて、水を飲む。思ったよりも喉が渇いていた。半分ほど飲んで、キャップをしめる。
ユーシスはじっと俺の様子を観察していた。この視線は居心地が悪い。

「何?俺に言いたい事でもあんのか?」
「いえ…ただ、とても仲が良いのだなと思いまして」

視線が英二に向けられる。俺は笑って頷いた。

「コイツは特別なんだ」
「特別…?」
「命の恩人だからな」

俺の言葉が信じられないらしい。ユーシスは分かりやすく眉をひそめた。

「…あなたほどの方が…その少年に救われた、と?」
「おいおい、俺を買いかぶり過ぎなんじゃねーのか?たいした事ねぇよ、俺なんかは」

そうだ、俺なんかたいした事はない。英二の方がよっぽどすごいんだ。
柔らかな髪の毛に指を通す。跡のついた頬を撫でると、少しだけ睫毛が揺れた。

「……空港に到着したら、車で直接屋敷に案内いたします。警備も万全ですので、ご安心を」

ユーシスはそう言って、踵を返す。声にはなぜか不機嫌さが滲んでいた。静かにドアが閉まり、俺たちだけになった。
ユーシスが出て行って数秒ほどして、ショーターが起き上がった。

「なぁんかアイツ、面倒くさそうだな」
「間違いなく面倒くせぇな。ま、もう少し寝てても良いぜショーター」
「あぁ、その前に俺にも水くれ」

半分残った水のボトルを、ショーターに投げる。ショーターはそれを一気に飲み干した。

「お前も寝られる時に寝とけよ、昨日だって寝てねーんだから」
「はいはい、オヤスミ」

飛行機は静かに水平飛行を続ける。窓の外は真っ暗だった。
しばらくして、ショーターのイビキが聞こえ始めた。対する英二はすぅすぅと穏やかな寝息を立てている。
俺はそっと目を閉じた。




瞼に光が当たるのを感じ、うっすらと目を開く。向かい側で寝ていたショーターの姿がなかった。
トイレにでも行ったのだろうか。視線を巡らせる。
ふと英二を見て、俺は心臓が凍り付くのを感じた。
英二はとても穏やかな顔をしていた。悪夢にうなされた時とは違い、眉間にしわはない。体も震えてはいない。むしろ何の力も入っていなかった。だらりとソファから片手が垂れ下がっている。ブランケットのかかった胸は、動いていなかった。

…―息をして、ない…?

「英二っ!英二、おい!」

肩を掴んで揺する。それでも英二は目を開けない。一体、何があったんだ?度重なる『繰り返し』のせいで、英二の体に限界が来たのか?
大きく揺さぶると、英二の唇が薄く開いた。

「英二、英二!…大丈夫か…!?」

眉を寄せ、ゆっくりと目が開かれる。黒い瞳には光があった。それを見て、ようやく俺は安心した。
英二に変わった様子は特になかった。俺の勘違いだったんだ。良かった。

でも…さっきは本当に英二が息をしていないと思った。
ちゃんと呼吸を確かめたわけでもない。心音を確かめたわけでもない。
それなのに、なぜか英二が『死んでいる』ように見えたのだ。『記憶』の中で、英二が自殺するところを見過ぎたせいなのかもしれない。

もう2度と、繰り返させはしない。

俺は拳を固く握りしめた。




ユーシスの用意した『隠れ家』に到着し、部屋に入る。英二もここに来たのは初めてのようだ。大きな目で一生懸命に周りの様子を観察していた。部屋の配置を覚えようとしているのだろう。英二はいつだって『次』のために役立つものを覚えようとする。もう習慣になっているのかもしれない。

ユーシスと向かい合って座る。この部屋にいるのは俺たち4人だけだ。

「…―さて、君たちの作戦を聞かせてもらおうか」

そう言ったユーシスは『月龍』の顔になっていた。

「ゴルツィネを襲撃する」
「…クラブ・コッドの時のような捨て身作戦じゃないだろうね」
「協力してくれるんだろ?だったら捨て身にはならねぇさ」

ディノを潰せば、しばらくは財団の動きはストップする。その間にバナナフィッシュの研究所として利用された施設を潰す。同時に、奴と取引していた奴らを押さえていく。俺一人では到底できないことだが、マックスの記事もある上、ユーシスの助力もあれば不可能ではない。

「ドースンの家に俺たちが侵入したってことは、もう奴の耳に入ってるはずだ。前にも増して俺たちを捕まえようと血眼になってるだろうよ。…必ず、アンタの兄上に助けを乞うはずだ」
「兄は君たちを売るだろうね」
「想定内さ。その方が、そっちだって入り込みやすいだろ?」

ユーシスが黙り込む。前髪をかき上げ、額を押さえた。そして、ショーターの方へと目を向けた。

「ショーター・ウォン。君はこちらにつくよう兄から言われると思うけど、それはどうするつもりなんだい」
「アンタの口から兄上様に伝えてくれよ、『くそったれ』ってな」

ショーターの言った中国語に、ユーシスが嫌な顔をした。お坊ちゃんには下品すぎる言葉を言ったんだろう。

「俺の事はチャイニーズのボスから外してもらって構わねぇ。姉貴はもう仲間伝いに連絡して隠れてもらってるから、脅しの材料にはならねぇよ」
「兄が本気で調べさせれば簡単に見つかるよ」
「それを調べさせないようしてくれ」

俺がそう言うと、ユーシスが片眉を上げた。どうやら俺が言わんとすることに気づいたようだ。

「…なるほどね、君たちが最終的に何を得たいのかは知らないが…僕は僕のやりたい事ができればそれで良い」

一番危険な役回りについたと悟ったはずなのに、ユーシスの声は落ち着いていた。
すると、今までずっと黙って話を聞いていた英二が口を開いた。

「ユーシス。ごめんよ、君にばかり…危ない橋を渡らせて」

こいつはどこまでお人好しなんだ…?
あっけにとられたのは俺だけではなかった。ユーシスはまるで初めて見る生き物を見つめるような目で英二を見ていた。

「…おかしなことを言うんだね。これは、普通の道さ」

「僕にとってはね」と続けて、ユーシスは笑った。








それからは慌ただしく過ぎて行った。アッシュとショーターがそれぞれ自分のチームのメンバーに連絡を入れる。
ユーシスもゴルツィネ邸に自分の部下を偵察にやっているようだ。
僕にやれることは何もなかった。とりあえずキッチンを借りてコーヒーを入れる。この広いお屋敷は本当に僕らだけで使っていいことになったらしく、ユーシスの部下はいなくなっていた。

アッシュとショーターのいる部屋へと戻る。そこにいる二人を見て、僕は思わず足を止めた。

「え、アッシュ、ショーター?何その恰好…」
「このままじゃ外に出られねーからな」
「な、この髪型もさまになってんだろ?」

ショーターはそう言って真っ黒な髪を指さした。張大の時とは違い、短い黒髪のカツラをかぶっている。対するアッシュは茶髪のカツラをかぶっていた。目の色を隠すため、ショーターのサングラスをかけている。
…髪の色が変わっても、サングラスをかけても、アッシュの姿は目立つ。

「二人とも似合ってるよ」

僕がそう言うと、ショーターは満足したのかカツラをとった。ネットで押さえつけられているモヒカンがかなりおかしなことになっている。僕は思わず笑ってしまった。

「これかぶんねーと変な形になんだよなぁ〜」
「ふふふ、あははっ!それも似合ってる!」
「そーかぁ?じゃ、英二にもかぶせてやんよ」

「それは遠慮しとく〜」と答えて、僕はコーヒーをテーブルに置いた。

「コーヒーいれてくれたのか、サンキュ」
「うん」

アッシュがコーヒーを取る。ショーターはネットを外していたが、アッシュは変装したままだ。もしかして、今から出るのだろうか。

「…アッシュ、どこに行くの?」
「アレックス達のところだ。…知ってるよな?」
「もちろん!アレックスもボーンズもコングも知ってるよ」
「でもついて来るのはダメだからな」

分かってはいたけれどそう釘を刺され、僕は視線を落とした。先の事が分からない状態なんだから、アッシュの言う事を聞いた方がいい。
アッシュはコーヒーを飲み切ると、僕の頭を優しく撫でてくれた。

「落ち合うのはチャイナタウンだ。ディノはまだ手出しができねぇし、お前が心配するようなことはないからな」

そう言って、アッシュは僕の額に軽くキスをした。
動きが自然過ぎて、僕は何の反応もできなかった。ただ目を見開いてアッシュを見上げる。茶色の髪も良く似合っていた。サングラスをずらして覗かせた瞳が、楽し気に細められる。
その目を見た瞬間、僕の顔は一気に熱くなった。鏡を見なくても分かる。おかしなくらいに真っ赤になっているのだろう。ショーターが苦笑いしているのが、さらにいたたまれない。

「照れんなよ、オニイチャン」
「あ、アッシュ!!」
「じゃあ、夜には戻る。あとは頼んだぜ、ショーター」

アッシュは僕の声を聞き流して、そのままドアの方へと向かった。久しぶりに聞いた「オニイチャン」が耳に残る。恥ずかしくてたまらない。
僕がソファに突っ伏して顔を隠すと、ショーターがその隣に座った。

「アイツ英二に触りたくてしょーがねぇんだよな」
「ショーターまで恥ずかしい事言わないで」
「はははっ!本当のことだろ〜」

そう言われ、ますます恥ずかしくなる。すると、ショーターのスマホが鳴った。また仲間から電話がかかってきたようだ。僕はクッションから顔を上げ、そのやり取りを黙って見つめた。
電話を切ったショーターに、「夕飯何が食べたい?」と聞かれ、「僕が作るよ」と返した。



夜になり、インターホンが鳴った。アッシュが帰って来た。そう思って、僕は急いで画面を確認した。

「え…?」

そこにいたのはアッシュではなかった。
短い黒髪に小柄な体。青のスタジャンを着た少年が立っている。カメラがいろいろあるから、どれに視線を向ければ良いのか分からないらしい。キョロキョロと丸い頭を動かしていた。
僕は急いでショーターのいる部屋に戻った。

「ショーター!シンが来てるよ!」
「え?何でシンを知って…るか、わり。知ってるよな」
「ここに呼んだの?」
「あぁ、隠しててもどーせ首突っ込んでくるんだろ?なら最初から作戦に入れようってことになったんだ」

ショーターが大股で玄関へと向かう。僕もそれに続いた。
ドアを開くと、シンの表情が一気に輝く。さっきカメラを睨みつけていた顔とは大違いだ。

「ショーター!!無事だったんだな!」
「おーシン、久しぶりだな。ちょっと背伸びたか?」
「分かるか?この間8o伸びてたんだ!」

そこで1pとサバ読まないのがシンらしい。微笑ましい会話を後ろで眺めていると、シンが僕の方を見た。

「で、アンタ誰だ?」

こんなに早くシンに会えるとは思わなかった。『前』はゴルツィネ邸に攻め込んできたシンと会うことはできなかったから、僕がシンと顔を合わせることになるのはだいぶ後の事だった。
僕はにっこり笑って、右手を差し出した。

「はじめまして、僕は奥村英二。ショーターの友達だよ」
「俺はシン・スウ・リン。シンって呼んでくれ。アンタのことは何て呼んだら良い?」
「英二って呼んで」

グローブをした手でしっかりと握り返される。こんな風にはじめましての握手を交わしたのは、これが初めてだった。

「ちょうど夕飯を食べるところだったんだ。シンは何か食べた?」
「食べたけどまだ腹減ってる」
「あははっ!そっか、じゃあ一緒に食べよう」
「お前ちゃっかりしてんなぁ」

ショーターがシンの頭をぐりぐりと撫でる。その撫で方は、僕の頭を撫でる時と一緒だった。いや、逆か。シンを撫でる時の撫で方で、僕の頭を撫でていたんだ。
じわりと熱くなる目頭を、そっと押さえる。二人ともじゃれ合っていたので気づかれることはなかった。



アッシュが帰って来たのは僕たちの夕飯が済んでしばらくしてからだった。

「アッシュ、おかえり」
「あぁ…」

ショーターの隣に座っているシンを見て、アッシュが止まる。シンの事はノートにも書いていたが、特徴までは伝えていない。何でガキがここにいるんだ、とか言い出すんじゃないだろうか。そんな心配をしたが、それは杞憂に終わった。

「お前がシンか。話は聞いてる」
「アンタはアッシュ・リンクスだな」

アッシュがショーターとシンの向かい側に座る。僕はアッシュの隣に座ることにした。

「チャイニーズの奴らはどれだけオーサーにやられた?」
「ショーターのチームの奴らを片っ端からさ。奴らゴルツィネから武器をもらって遊んでんだ。それにゴルツィネの手下に嬲り殺された奴もいる…」
「クソっ…プロ相手じゃ逃げきれなかったか…」

この犠牲は…僕がどう動いたところで、どうする事もできなかった。唇を噛みしめ、目を伏せる。怒りに震えているショーターを見ていられなかった。
握りしめた手に、アッシュの手が重なる。ハッとして顔を上げたが、アッシュはシン達の方を見ていた。

「それでも…アンタのチームと比べたら被害はマシだ」
「…今日仲間に会って話を聞いた。こっちの情報も、持ってるんだな」
「情報は武器になるからな。諜報活動に力は抜かねぇさ」
「良い心構えだ」

アッシュはそれから、ゴルツィネとオーサーへの報復としての作戦をシンに伝えた。武器と車の手配、チーム編成、屋敷の見取り図…。アッシュだからこそ立てられる作戦が着々と進んでいく。

「次は、奴を襲撃する前に李家がゴルツィネと手を結んだ場合のパターンだが…−」

もしもの場合に備えて、何パターンもの作戦が練られる。シンはメモを取ることなく真剣に聞いていた。このくらいのパターンなら覚えられるのだろう。



すべて話し終わった時には時計は12時を過ぎていた。

「シン、今日はもう遅いから泊っていきなよ」
「そうさせてもらおうと思ってたんだ」

全く遠慮することなく、シンはニっと笑った。笑い方がショーターに似ている。

「じゃあ、ショーターと同じ部屋で寝てくれる?」
「別に良いけど、ここ客間なんて余ってるんじゃねーのか?」
「念のためだよ。いつもはその部屋で三人一緒に寝てるんだけど、僕たちと一緒だと寝にくいだろ?」

ここの警備はかなり強固なものだが、もしものことを考えて風呂とトイレ以外一人にならないよう気をつけていた。
僕の言葉で、常に狙われていると言うことを再確認したのだろう。シンが少し緊張したのが分かった。

「ショーターもシンと一緒なら安心できるだろうし」
「…まぁな!よし、分かった。今日は晩飯ありがとよ、英二」

シンはそう言って、ショーターの方へと走って行った。背中に飛びつく姿が微笑ましい。僕が「おやすみ」と声をかけると、二人は手を振って向こうの部屋に行った。
そして僕はアッシュがいる寝室へと向かった。部屋に入ると、アッシュの姿はなかった。かわりに、バスルームの方からシャワーの音がする。僕はベッドに腰かけて、アッシュが出てくるのを待った。

今日はショーターがいないから、アッシュと二人きりかぁ…。
…………ん?

改めて、部屋を見渡す。広い寝室にはベッドが二つとソファがある。昨日はアッシュがソファで寝て、僕とショーターがそれぞれベッドで寝た。
今日は二人きりなんだから、二人ともベッドで寝ればいい。何の問題もない。むしろいい条件だ。

僕はバクバクと勝手に脈打つ心臓を抑え込むように、胸を押さえた。ドキドキする。
シャワーの音が止む。僕は急いで布団の中に入った。枕に顔を押し付けて、どうにか熱を冷まそうとした。
ガチャリ、とバスルームのドアが開く。

「英二…?」

アッシュに呼ばれたが、返事はしない。今声を出したら変な声が出そうだったからだ。
このまま寝たふりでやり過ごそう。そう思って目を閉じ、じっとする。
アッシュの足音がした。ベッドの前で立ち止まる。…顔を、覗き込まれているような…気がする。
目を開けて確認したかったが、それでは寝たふりがバレてしまう。昼間のようにからかわれるのは嫌だった。
アッシュにとっては冗談でも、僕にとっては冗談じゃないんだ。

「寝たのか、英二」

耳元で囁かれ、ビクリと肩が震えた。それでもまだ目を開けないでいると、軽く肩を押された。ころん、と仰向けにされる。一体何をしているんだ?僕が薄く目を開けようとした時だった。
唇に、柔らかいものが触れた。
覚えのある感触に、目を大きく見開く。僕のすぐ目の前に、キラキラ光る金色の睫毛があった。
数秒ほどだろうか。アッシュはじっとしていた。僕も、動けなかった。
アッシュにキスをされている。キスをするのは、これで三度目だった。でも、こんなに優しいキスをするのは…これが初めてだった。

そっと唇が離れていく。アッシュが僕の頬を撫でた。綺麗な瞳から目がそらせない。

「おやすみ」

小さな声でそう言って、アッシュは隣のベッドにもぐりこんでしまった。
僕はしばらくそのままの状態で固まっていた。

………寝られるわけがない!!




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