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4

ナマエは長い黒髪を頭の高い位置で結び、袖を肩までまくった。
細く白い腕が、太陽のもと光る。
大きな桶の中には洗濯物が入っていた。
それを一つ一つ手洗いしていく。
洗剤が泡立ち、シャボン玉が宙を飛んだ。
川から汲んだ水ですすぎ、綺麗になった衣類を紐にかけていく。
ナマエは慣れた手つきでこなしていた。

そんなナマエの姿を影からひっそりと窺う視線に、ナマエが気づいたのは四日前のことだった。


今日も来ているな、とナマエは林の奥に視線を向けた。
奥に潜んでいる何者かは、ナマエの視線に気づいたのかその場をすぐに立ち去った。
目的が分からない気味悪さをナマエは感じていた。

洗濯物を全て干し終わると、薪を担いだエレンがナマエに駆け寄って来た。

「ナマエ!一緒に門まで出迎えに行こうぜ」
「出迎え?何のだ?」
「今日調査兵団が帰って来るんだ」

エレンは大きな瞳をキラキラと輝かせていた。
薪を下し、濡れたままのナマエの手を取る。
ナマエは引かれるままにエレンの後に続いた。

大通りにはすでに人だかりが出来ていた。
エレンが通してくれと頼んでも、誰も場所を開けてはくれない。
ナマエなら力ずくで押しのけることもできたが、それも面倒だった。

「ちくしょー見えねぇ…!」
「エレン、こっちだ」

ナマエはエレンの腕を肩に回させた。
そしてエレンが答える前に、地面を蹴った。
ふわりと体が浮き、積み上げられた木箱の上に着地する。
そして続けざまにナマエは跳んだ。
信じられない跳躍力で、ナマエはエレンを連れて屋根の上まであっと言う間に上がった。

「ここからなら見えるであろう」
「…すっげぇ」
「そうか…?」

いまいち人間の身体能力を分かっていないナマエには、エレンが驚いている意味が分からなかった。

兵の号令と共に、重々しい門が開かれる。
壁外から戻って来た調査兵団の姿を見て、ナマエは眉をしかめた。
エレンの話では人間達の希望だと聞いていたのに、目の前の兵団からは希望を欠片も感じない。

「これだけ、なのか?」
「…出発した時は、もっといた」

人数も少ない。
馬も少ないし、荷馬車も1つしかなかった。
どの兵も憔悴しきっていて、誰も帰郷の喜びを見せていない。
目からは完全に光が失われていた。

「巨人に、やられたんだ」
「あれは巨人を殺すための訓練を積んだ者達なのであろう?」
「そうさ…きっと外の巨人たちをいっぱい殺してる、はずだ」
「…それにしては、人間の血の臭いしかせんな」

ナマエの呟きに、エレンは首を傾げた。

「血の臭い…?」
「巨人の臭いなぞ知らぬが、人間とは違うだろう」
「そんなのが分かるのか?」

ナマエにとっては当たり前の感覚だった。
血の臭いを嗅ぎ分けれなければ、危険を回避出来ない。
訝しむエレンに、ナマエはこれ以上人間離れしたことをしてはいけないと感じた。
無邪気な瞳に疑念の影がさすのが、異様に恐ろしく思えたのだ。

「…そんな気がした、だけだ。気にするな」







日を追うごとに、私の五感は以前の感覚を取り戻していった。
そのせいで力加減を間違えそうになる。
アルミンを虐めていた童の前で壁を殴った時、半分も力を入れてなかったというのに大きな穴を開けてしまった。
あの力で童を殴っていたら、確実に殺してしまっていただろう。
ここで人間を殺したら、エレンの家にはいられない。
それは、嫌だった。



「中央?」
「父さんの出張についてくんだ。な、ナマエも行こうぜ」
「…いや、私は残る。カルラの手伝いをしなくては」

そう言って私が断ると、エレンはしょんぼりと肩を落とした。
断られるとは思っていなかったらしい。
分かりやすく落ち込むエレンに、私は笑ってしまった。
焦げ茶色の髪を撫でる。
すると、碧の目がこちらを見た。
何度見ても、エレンの瞳は綺麗だと思った。
澄んでいて、どこまでも深い色をしている。
飽くことなく見つめていると、エレンの頬が赤くなった。

「ナマエ、見過ぎだって…なんか、恥ずかしい」
「…どんな風に見えるのだ」
「へ?」

自然と、そんな問いが口から溢れていた。
いつも思っていたのだ。
エレンの目から、この世界はどんな風に見えるのか。
澄んだ瞳に映る世界は、やはり美しいものなのだろうか。

私の問いの意味が分からなかったらしいエレンは、困ったように眉を寄せた。

「えっと…笑ってる、ナマエが見える…けど?」

素直に答えるエレンに、私は無意識のうちに笑みを深めた。

「そうか」





翌日の早い時間に、エレンはグリシャと共に家を出た。
帰ってくるのは七日後だと言われた。
この世界に来てからと言うもの、常にエレンと共にいたため少し寂しさを感じる。
それが顔に出ていたのか、エレンは出かける時に私のことを抱きしめてきた。
見つめられて恥ずかしがっていたのに、抱きしめるのは恥ずかしくないらしい。
こちらの方が照れくさくて赤くなってしまった。
カルラとグリシャはそんな私達を微笑ましく見ていた。





「ナマエ、お使い頼めるかしら?」
「構わぬ」

昼下がりにカルラに頼まれ、私は籠を手にさげて家を出た。
何やら書かれた紙と金を渡されたが、私にはまったく読めない。
カルラも私が文字を読めないことは知っており、店の人間に見せれば大丈夫だと言っていた。

一つにまとめた髪が、風に揺れる。
商店街へと続く道を歩いていると、後ろから人間の気配を感じた。
足を止めると、後ろの気配も止まる。
完全に後をつけられている。
私はカルラから預かった紙と金を懐にしまった。
そして後ろを振り返る。
人間は物陰に隠れていた。
まだ気づかれていないつもりらしい。
私は一つため息をついた。

「私に、何か用か」

潜んだ人間に声をかける。
すると、諦めたのか男が姿を現した。
まだ奥の方に潜んでいるようだったが、姿を現したのは一人だった。
私を油断させるつもりなのだろうか。
浅はか過ぎて、私はまた小さくため息をもらしてしまった。

「君、イェーガーさんのところでお世話になってる子、だよねぇ?」
「そう言う貴様はここ数日間ずっと私を監視していただろう。何が目的だ」

睨みつけると、男は驚いたように目を見開いた。
が、すぐに気味の悪い笑みを浮かべる。

「へ、へぇ〜気づいてたの。賢いんだね…ますます気に入っちゃったよ」
「質問に答えろ」
「そんなに恐い顔しないで、おじさんはただ君の手助けをしたいだけなんだよ」
「必要ない」

まったくもって、意味が分からない。
相手にするだけ時間の無駄か。
私は男に背を向けた。

「君には必要なくても、イェーガーさんはどうかなぁ?」

続けられた男の言葉に、足を止める。

「…どういう意味だ」
「君、頭良いんだから分かるよね?このご時世、子どもを養うのがどれだけ大変で、お金がかかるか…」
「金、だと?」
「そうだよ。しかも実の子どもならまだしも、君は他人で身元も知れない」

男はじりじりと距離を詰めて来た。
私は続く言葉が気になって、動けなかった。

「君の存在は、負担だと思うなぁ」

その一言で、私は頭を強く殴られたような衝撃を感じた。
分かりきっていたことだ。
こんな男に言われるまでもない。
しかし、私は男に何も言い返せなかった。
男が顔を近づける。
息が頬にかかった。

「君がちょっとだけおじさんの言うことを聞いてくれたら―…」
「おい、何してる」

声をかけられ、男はすぐさま私から身を離した。
そして一目散に逃げていく。
声をかけてきたのは、兵団の服を着たハンネスだった。
私をイェーガー家に運んだ男だ。
ハンネスは私に駆け寄って来た。

「ナマエじゃねぇか。大丈夫か?エレンはどうした」
「…グリシャと中央に行った」
「そうか。あのなぁ、一人で歩く時はもっと人通りの多い道にしろ。お前は可愛いから、変な奴に絡まれるだろ」

そう言って、ハンネスは私の頭をぐりぐりと撫でた。
意味が分からない。
確かに変な奴には絡まれたが、私の見目は別に関係ないだろう。

「別に、問題ない」
「問題あるっつの、もっと危機感持て。んで、なんでこんなとこ歩いてたんだ?」
「カルラに使いを頼まれた」

懐に入れた紙を取り出す。
内容を見せると、ハンネスは私の手を取った。

「じゃあ一緒に行ってやる。金は持ってるか?」
「ある」

そのまま、商店街へと歩く。
ハンネスは色々と話しかけて来たが、私は半分も聞いていなかった。
あの男が言おうとしていたことが気になったのだ。
言うことを聞けば、手助けをする、ということなのだろうか。
カルラもグリシャも、困ったことがあったとしても決して子どもの姿をしている私に言うことはないだろう。
特に、金の問題については。
人間の世界では金が重要らしい、というのはここで生活して学んだ。
この紙に書かれたものだって、金がなければ得られない。
私が存在することで、あの優しい家族の負担にはなりたくなかった。
かと言って、離れたくもない。
それくらい、居心地が良いのだ。

…あの男達はずっと私のことを監視していた。
話しかけて来たのは今日が初めてだが、この一回で終わるなんてことはないだろう。
絶対にまた、接触してくるに違いない。

ハンネスが私に紙に書いてある言葉を説明する。
私はそれを復唱した。

「お、完璧じゃねーか!よし、行って来い」

すぐ目の前にある店を指差して、ハンネスは笑った。
店の人間も私達の存在に気づいており、微笑ましくこちらを眺めている。
おそらく会話も聞こえているだろう。
幼い子どもが、初めて買い物に挑戦しているように見えているのだろうか。
確かに物を買うのは初めてではあるが、こんなこと別にたいしたことではない。
私は店に歩いて行った。
ハンネスはついて来ず、なぜか離れた所で見ている。
店の人間に欲しいものを伝え、金を差し出すと皆「えらいねぇ」と言って笑った。



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