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強固な結界に護られた大広間で少年は短刀たちに囲まれながら本丸の結界を修復していた。一つ亀裂を綴じ合わせるとまた別の亀裂が広げられ、思わず舌打ちしてしまう。目を瞑って霊力を集中させ、破壊されるよりも先に修復する。神経をすり減らす作業に少年の顎からは汗が滴り落ちていた。
正座した少年の傍には薬研が横たわっている。彼にかけられていた呪は既に解かれていたが、呪によって削られた体力は回復していなかった。それでも薬研は一期から返してもらった自分の本体を握り締めている。
結界の向こうから聞こえてくる戦闘の音に、皆が息を詰めていた。この結界は簡単には破られない。そう思っていてもわき上がる不安を抑えることができなかったのだ。主である少年を護るため、いつでも本体を抜けるよう構えていた。
沈黙に満たされた大広間にはあの狐の姿もあった。狐は主の正面にあたる障子の前に座っている。この異常事態においても取り乱すことはなく、普段と変わらぬ様子だった。少年は薄く目を開けて狐の方を見やる。その視線に気づいた狐は静かに沈黙を破った。

「間もなく他の本丸から援軍が参ります。本丸の結界もあと少しで修復完了しますゆえ、御辛抱ください」

それを聞いて短刀たちは少しだけ安心したようだった。が、少年は表情を変えることなく結界の修復に力を注ぐ。狐の言葉通り、あちこちを斬り裂かれていた結界は元の姿へと戻っていった。これでさらに検非違使が侵入してくる事態は防げた。
薬研も結界が元通りになったのを感じたのか、まだ力の入らない体を起こして少年の隣に座った。

「大将、大丈夫か?」

少年はそれはこちらの台詞だと返したかったが、上手く唇が動かなかった。どうにも嫌な予感がして緊張状態から抜け出せない。薬研が気遣って背を支えてくれたが、少年は前を見つめたまま固まってしまっていた。
その様子を不審に思ったのか、狐がぴん、と尻尾を立てる。

「主様、そんなに緊張されていては持ちませ――」

狐の言葉は不自然に途切れた。
何が起こったのか、その一瞬では誰も理解できなかった。
狐が背を向けていた障子から、真っ黒な刃が突き出している。その切っ先は――狐の胴体を貫いていた。
式神としての能力を失った狐はただの『物』となり下がり、刃に持ち上げられても重さを感じさせない手足をぶらぶらと揺らすばかりだ。おぞましい光景に少年は短く息を飲んだ。短刀たちも同じような反応をしていたが、全員が素早く本体を抜いて構えを取る。先頭に立ったのは乱と厚だ。
突如現れた黒い刃は結界を突き抜けていたが、結界を破ってはいなかった。まるで溶け込むように結界の中へと侵入しているのだ。刃の突き出す障子が水面のように揺れ、黒い影が浮き上がる。結界を破ることなく姿を現したのは、頭から黒い布を被った青年だった。
青年の真っ黒な瞳が少年を捉える。彼の顔はおぼろげな記憶で見たよりもずっと山姥切国広に似ていた。心臓を握り込まれたような感覚に、少年は胸を押さえた。

「っ、お前ら下がれ!」

薬研はそう言って厚たちの前へ行こうとしたが、少年に腕を掴まれて引き留められた。呪のせいで消耗した薬研がまともに戦えるとは思えないし、今の距離を崩せば容赦なく斬り捨てられるような気がしたのだ。
短刀たちは主を護ろうと侵入者に殺気を叩きつける。だが、青年は全く気に留めることなく、刃で突き刺したままだった狐の体を打ち捨てた。畳に叩きつけられた狐の体は無機質な音を立てて転がった。
青年が見ているのは少年ただ一人だけだった。底の見えない真っ黒な瞳で、少年の震える瞳を見つめている。少年はその瞳から目を逸らすことができなかった。薬研の腕を掴んだ手が小刻みに震えた。
目の前にいるこの人は、本当に自分の『兄』なのだろうか。それ以前に――本当に、人間なのだろうか。
青年の瞳の奥では何か得体の知れぬものが渦巻いている。冷たい汗が背を伝っていくのを感じていると、青年は柔らかく微笑んだ。

「大きくなったな。兄ちゃんが迎えに来たぞ」

山姥切よりも幾分か低い声音で言う。その声だけ聞いたら、優しい兄そのものだった。少年に向けている微笑みも記憶にあるものと変わらないのに、彼の瞳は闇に染まり切っている。
青年は刀の先を下げ、左手を差し出しながらこちらに近づいてきた。皆の殺気が膨れ上がっても全く反応しなかった。少年のことしか見えていないかのようだ。

「一緒に帰ろう」

優しい声で言って手を差し伸べる。彼は少年が自分の手を取ると信じて疑わないようだった。だが、少年は首を横に振った。

「……一緒には行けない。ここの皆が大切なんだ」

彼に対して残酷なことを言っている自覚はあったが、それを知りながら少年は彼の兄を拒絶した。復讐のために闇に染まってしまったその手を取るわけにはいかなかった。彼と同じ側には、行けない。
すると、青年の顔から微笑みが消える。感情を削ぎ落したその顔は氷のようで、背筋にぞくりと悪寒が走った。

「あぁ……やっぱり、そいつらがいるからダメなんだな」

そう言って青年は初めて短刀たちの存在を認識する。強い恨みの念が彼の体を取り巻き、黒い瞳の奥に赤い炎のような光が散った。だらりと垂れていた刃を掲げ、正面にいた厚と乱に向かって振り下ろす。

「く……っ!」

「させない、よ……っ!」

二人がかりで攻撃を受け止めるも、力負けしているのは明らかだった。踏み込んだ足がざりざりと音を立てながら後退している。青年は二人を弾き飛ばそうと刀に力を込めるが、生まれた隙を見逃す彼らではなかった。
愛染と小夜が目にも止まらぬ速さで間合いを詰め、手足の腱を狙って刃を振り下ろす。
――だが、その刃は届くことなく見えぬ力に弾かれた。耐えていた厚と乱も吹き飛ばされ、大きな音を立てて畳を上を転がった。青年の足下には攻撃を弾かれた小夜が膝をついていた。小夜を見下ろす青年の目を見た瞬間、少年は凄まじい恐怖に襲われる。

小夜が、殺されてしまう。

全てが異様にゆっくりとした動きで目に映った。少年は動き出すどころか声を上げることすらできない。小夜目がけて恐ろしい黒い刃が振り下ろされるのを、ただ見ていることしかできなかった。
その瞬間――
――横から飛びこんできた刀がそれを弾いた。
血の臭いとともに赤でまだらになった布が翻る。普段はほとんど露わになることがない金髪が光を放つように輝いていた。
少年は小さく呟く。

「にい、ちゃん……」

山姥切は青年に刃を向け、少年と短刀たちを護るべく立ち塞がる。その背中はいつもよりも大きく見えた。

「刀を引かないなら、斬る」

強く言い切った山姥切に、青年は獰猛な笑みを浮かべた。

「やってみろよ、鈍刀」





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