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14
時は流れ、山姥切が主のもとに来てから十年が経とうとしていた。
幼子だった主は十六歳の少年に育っていた。見た目の年齢ならば山姥切とそう変わらない。成長期に入ってから身長も随分と伸び、今では山姥切よりも少し低い程度になっていた。頬にも丸みがなくなり大人の男へと近づいていたが、癖のある黒茶の髪や澄んだ大きな瞳は幼い頃のままだった。
数年前から主は審神者として自立しはじめ、幼い時は狐が代理していたことも自分でやるようになった。仲間たちからの教えもあって、今では戦場に向かう部隊に的確な指示を出せるようにもなっていた。主はともに戦うことができない自分の身をもどかしく思っている時もあったが、皆に守護の札を持たせて支えてくれた。他の審神者がどうなのか知らないが、主が優秀な審神者であることは間違いないだろう。そんな主のことを山姥切は誇りに思っていた。



全てが順調に進んでいると思いきや、突如現れた第三勢力の存在によって状況は変わった。
それは検非違使と呼ばれる者たちで、高い練度を誇る部隊であっても負傷は避けられぬほどの強敵であった。
検非違使の出現をうけ、最近は戦から離れていた山姥切も出陣することになった。練度の低い者を連れていては破壊されてしまう可能性が高かったためだ。
歴史修正主義者の放った軍とはまた違う異形の者たちを相手に刀を振るう。彼らの守りは固く、刃を交わすたびに傷を負った。肌が切り裂かれる感覚に眉を寄せながらも山姥切は敵の首を斬り落とす。凄まじい勢いで血が噴き出し、ボロ布の上に赤く散っていった。
それが最後の敵だったらしく、あちこちから仲間たちの荒い息遣いが聞こえてきた。皆負傷しているものの勝利をおさめることはできたようだ。山姥切は刀の血を払ってから鞘におさめ、自軍の状況を確認すべく視線を巡らせた。その時――
――倒れ伏す検非違使の背後に、人影が見えた。

その人物は己と同じように黒い布を頭から被っている。新手かとも思ったが、山姥切にはそれが人間のように見えた。が、それも一瞬のことで山姥切が刀に手をかけようとした時にはもう消え去っていた。その場には最初から何もなかったかのように。
山姥切が呆然と立ち尽くしていると、異変を察した燭台切が駆け寄ってきた。

「山姥切くん? 大丈夫かい?」

「……あぁ」

どうにか返事をし、皆のもとへ戻る。燭台切は探るような目を向けてきたが、山姥切が黙っているとそれ以上は突っ込んでこなかった。久々の戦場で落ち着かないのだろうと思われたのかもしれない。山姥切は自分でもそう思うことにした。



本丸に帰還すると主が出迎えてくれた。皆が無事、とは言えないが、自分の足で帰ってきたのを見て主はほっとしたように息をついている。そして山姥切のもとに近づくも、その顔を見て主は心配そうな表情になった。

「……兄ちゃん、何かあったのか?」

主には戦場で見たもののことを見透かされているような気がして、山姥切はかすかに体を強張らせた。あの人影はほんの一瞬しか目にしていないが……その光景を思い出そうとしただけで嫌に胸がざわつく。
山姥切は主の視線から逃れるように目を逸らした。

「何でもない。中傷の者から手入れしてやってくれ」

それだけ言って何か声をかけられる前に自室へと向かう。主は山姥切を引き留めようとしたが、手入れが必要な仲間たちを前にして追ってくることはなかった。
山姥切は普段よりも荒っぽい足取りで廊下を進んだ。足音にまで気を配っている余裕がなかったのだ。大きく呼吸を繰り返しても胸の中にあるざわめきは治まらない。その正体が全く分からないのがより不安を掻き立てた。こんな状態で主と顔を合わせるのはまずい気がする。
部屋に入って襖を閉めるなり畳の上に座り込んだ。装備を解かねば、と頭では思っていても動く気がしない。ボロ布をまだらに染めていた赤は段々と黒に近づいていった。




夜になると近侍部屋に主がやって来た。あれから山姥切も戦場の汚れを落としていたが、食事の席には顔を見せていない。何だか食事をしようという気にならなかったのだ。そんな山姥切のことを心配してか、主はいつもよりも控え目に声をかけてきた。

「兄ちゃん? 開けていい?」

「……あぁ」

返事をすると主は静かに襖を開けて部屋に入ってくる。直衣ではなく寝間着である単衣に着替えていた。月明かりだけで照らされた室内に主の姿がぼんやりと浮き上がって見える。

「今日はお疲れ様。俺そろそろ寝ようと思うんだけど……」

主が言おうとしていることは分かった。自分たちの間ではもはや常識となった添い寝をねだりにきたのだろう。山姥切の様子がいつもと違うので戸惑ってはいるようだったが、それでも一緒に眠りたいと思うのは変わらないらしい。
山姥切は主が言葉を繋ぐ前に言った。

「すまないが、今日はひどく疲れているから一人で寝かせてくれ」

主に添い寝を止めさせようとした時を除けば、ここまではっきりと断ったのはこれが初めてだった。暗がりの中でも主が気を落としているのが分かる。

「……どうしてもダメか?」

呟くように訊ねられ、山姥切は前言撤回したい気持ちに襲われた。が、それに流されることなく首を振る。

「一人で寝たい気分なんだ」

「…………分かった」

主はかなり間を空けてから引き下がった。幼い時から欠かすことのなかった添い寝をしてもらえないのは不満だったようだが、山姥切の体調を優先したらしい。隣にある自室へ戻っていく主の姿を見ていると心苦しさを感じるも、山姥切は振り払うように視線をずらした。
近侍部屋に布団を敷き、一人で入る。隣に主がいない布団の中は嫌に冷たく、なかなか眠気は訪れなかった。主も同じような思いをしているのだろうか。
考えごとをしていたらますます眠れなくなってしまう。山姥切はぎゅっと目を閉じてゆっくりとした呼吸を繰り返した。夢も見ぬほど深く眠ってしまえば、明日になってしまえばこの胸のざわめきも治まるだろうと思った。
だが、その思いと裏腹に山姥切は夢を見た。



荒れ果てた地の上に立っている。地面には枯れた草がこびり付き、あちこちに折れた刀が転がっていた。砕けた刃は錆つき、茶色く汚れている。
地面ばかり見つめていると、やがてぽつぽつと地面の色が変わり出した。雨が降ってきた。
空を見ようとして視線を上げた時、ようやく自分の正面に誰かが立っていることに気が付いた。
それは――頭から黒い布を被った人物だった。
山姥切とその人物は鏡合わせのように向かい合って立っている。相手は顔を伏せていたがやがてゆっくりとこちらを見た。その顔は黒い布で半分ほど隠れているが、下から覗いた口もとから若い男であるのが分かる。
男は山姥切を見て唇を震わせた。

『――返せ……』

低い声で呟く。
何度も何度も同じことを。
明らかに異常な男の様子に、山姥切は恐怖を感じていた。すぐにでもこの場から逃げ出したい。そう思っているのに山姥切の足は地面に根付いてしまったかのように動かない。立ち尽くしている山姥切に男は段々と近づいてくる。

『返せ……返せ……!』

男の声が頭の中で反響する。目の前にいるのは一人だけのはずなのに、いくつにも声が重なって聞こえた。恨みにまみれたその声は山姥切の神経を削っていく。
男はもうすぐ傍まで来ていた。
そして山姥切の左肩を強く掴む。骨が砕けるのではないかと思うほど強い力だった。


『俺の――を返せっ!!!』





「――っは……!」

男の絶叫とともに山姥切は目を覚ました。
全身から噴き出した冷や汗のせいで寝間着が重い。男に掴まれた左肩を押さえながらも布団から起き上がり、周囲に異変はないか神経を尖らせた。
すると、隣の部屋から小さな呻き声が聞こえた。――主の声だ。
山姥切は凄まじい不安にかられ、即座に主の部屋へと飛び込んだ。勢いよく開け放った襖が大きな音を立てても構わずに主のもとへ膝をつくと、主は布団の中で身を縮めていた。額にはびっしょりと汗をかき、苦しげに呻いている。

「主! 起きろ、主!」

山姥切は主の肩を掴んで揺さぶった。一刻も早く主を苦しめている悪夢から救い出してやりたかったのだ。山姥切に揺さぶられ、主は震えながら目蓋を押し上げた。露わになった瞳は主を覗き込む山姥切の顔をはっきりと捉える。

「――ひっ!」

何故か主は山姥切を見て小さく悲鳴を上げた。夢と現実の境が曖昧になっているのか、体をがたがたと震わせるばかりで目の焦点が合わない。目の前にいるのが山姥切であることを理解していないようだった。

「俺だ、山姥切国広だ!」

山姥切は大きな声で名を告げ、主の頬を軽く叩く。頬をはられた痛みで主はやっと揺れていた瞳を定めた。山姥切を見上げる目の端にはわずかに涙が光っていた。

「……にい、ちゃん……?」

「あぁ、そうだ。……悪い夢を見たのか?」

山姥切は訊ねながら主の髪を手で梳き、噴き出していた汗を寝間着の袖で拭う。幼い子どものような扱いもそのままに主はこくりと頷いた。

「よく覚えてないけど……恐い夢だった……」

主は涙を流すことはなかったが、小さく体を震わせていた。あの魘されようを見れば主がどれほど恐ろしい夢を見たのかは察しがつく。その内容までは分からずとも、主にとって良くないものであるのは確かだった。
山姥切は主の隣に身を横たえ、主を優しく抱き寄せた。幼い時にそうしていたように背中を優しく擦ってやる。

「もう大丈夫だ……俺が傍にいる」

そう言うと主は何も言わずに山姥切の胸に額を押しつけた。まだ体の震えは治まっていなかったが、呼吸は段々と落ち着いてきている。山姥切に触れていることで緊張状態も解けていっているようだった。

「だから、安心して眠れ」

「………うん…」

擦れた声で答えてからしばらく経った後、主の呼吸は穏やかな寝息へと変わっていった。どうやら悪夢を追い払うことには成功したようだ。
山姥切は主が寝入っても眠ることなく朝を迎えた。





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