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しばらく主は塞ぎこんでいた。母の記憶を取り戻すと同時にその死を知ったのだから、それも無理はない。主の心を映すかのように長雨が続いていた。
時が主を癒すのを願って、山姥切は主の傍にいた。何をするでもなく縁側に二人で座り、雨に濡れた庭を眺める。主の表情は暗かったが、酷く泣き叫んだあの日から一度も涙は流していなかった。やや虚ろになった目の下には隈ができている。山姥切はそんな主にかける言葉を見つけられぬままでいた。
その時、ふいに主が言った。

「……兄ちゃん、おれ……おかあさんのお墓をつくりたい…」

久々に聞いた主の声は少し擦れてしまっていた。




母親の遺骨を本丸に移せないかと交渉するも、本丸の結界に影響が出るために聞き入れられることはなかった。その代わりに送られてきたのは母親の遺品である小さな木箱だった。絹張りの蓋に美しい刺繍がほどこされ、植物を模った飾りが彫り込まれたその木箱は、蓋を開くと鈴の音にも似た音色が流れ出した。自鳴琴というものらしい。その中にはいくつかの装身具と小さな風車が入っていた。
遺骨がなくとも主の願いは変わらず、眠る者のいない墓をつくることになった。狐がその事情を説明している間も、主は遺品を胸に抱いたまま表情を変えることはなかった。しかたのないことなのだと受け止める、その姿が痛々しい。
雨の降るさなか、墓づくりは進められた。岩から削り出した墓石を主とともに磨き上げる。その表面に何と刻むかとなった時、主はぽつりと呟いた。

「――ちとせ」

それは母親の名だった。記憶を取り戻した時に母の名も思い出していたらしい。主は悲しげに目を伏せていた。

「ちとせ、って書いて。漢字は、わからないけど……」

願い通り山伏がその名を表面に刻み、でき上がった墓石は主の部屋から近い場所に立てられた。そして墓の傍には桜の苗木が植えられた。まだ細く幼いその木は頼りなく雨に濡れている。作業が終わりに近づくほど雨は強くなり、山姥切が主に差しかけてやっていた傘もほとんど意味を持たなかった。
でき上がった墓の前で主が手を合わせる。その後に他の仲間たちも順に手を合わせていった。山姥切はその様子を眺めながら、あの時見た主の母親を思い出した。残した我が子を案じて戦場を彷徨い歩いていた母親の姿を。
やがて自分の番がまわってきた。山姥切は傘を主に渡して墓の前に進み、汚れるのも構わずに膝をつく。頭に被ってるボロ布もこの時ばかりは外した。夏を忘れてしまったかのような冷たい雨に打たれながら、静かに手を合わせる。主のことは護るから、彷徨うことなく眠れるようにと願った。



長雨が止んだのは、秋も中ごろに入ってからのことだった。





年が明け、主が九歳になった春のこと。
本丸には温かな風が吹き、庭に植わった木々も花を咲かせていた。墓の傍に植えられた桜も数は少ないながらも立派に花を付けている。
山姥切は遠征先で摘んできた花を手に墓へと向かっていた。今日の分の花を供えるためにだ。離れの角を曲がると墓の前には既に人影があった。高下駄を履き、白い宝冠を被った山伏国広だった。山姥切は歩む速度を上げて山伏に声をかける。

「戻っていたのか、兄弟」

「おう、兄弟も母君の墓参りであるか」

「あぁ」

短く返事をして持ってきた花を墓に供える。山伏は供えられた可憐な花を見て静かに笑い、手を合わせた。山姥切も同じように手を合わせる。心の中で主は今日も元気に短刀たちと遊んでいると報告しておいた。
合わせていた手を戻し、二人はどちらからともなく歩きだす。向かう先は二人とも同じだった。

「して、こちらは何も変わりなかったか?」

黙り込んでいると山伏の方から話を振られた。山伏はここ数日間山籠りをしていたため、本丸の様子を知らないのだ。と言ってもあえて報告するようなことは何もない。山姥切は問題なかったと返そうとして、ふと足を止めた。

「ん? どうした、兄弟」

「……変わったことはないが、気になっていることはある」

「なんだ?」

山伏も足を止めて山姥切と向き合う。答えを急かす様子は全くなく、山姥切が言葉を探しあぐねているのを察しているようだった。山姥切はしばし迷った後、ずっと胸に抱えていたことを口に出した。

「主の母君が亡くなったと分かってからもうすぐ一年になる……主は元気になったし、立ち直ったとは思うんだが……ひどく、寂しそうな顔をするんだ」

いかなる時も一緒、というわけにはいかないが、山姥切はあれ以来さらに主の傍に付いているよう心がけていた。少しでも主が寂しい思いをしないようにと思ってそうしていたのだが……それでもふとした瞬間に主は寂しげな目をする。それを見るたびにやはり自分では足りないのかと思わずにはいられなかった。
山姥切はボロ布を胸元でぐしゃりと握り締め、揺れる瞳を伏せる。

「兄と呼んで慕ってくれているのに、俺は……主の支えになれていないんじゃないかと……」

言葉にすると余計に情けなくなって尻すぼみになってしまう。そのまま俯いた山姥切の肩に勢いよく山伏の手が置かれた。

「案ずるな、兄弟」

山姥切がはっと顔を上げると、山伏は穏やかに笑んでみせた。その赤い瞳を見ていると、揺れていた瞳が段々と定まっていくのを感じる。山伏は山姥切の肩を叩いた後にボロ布の上から豪快に頭を撫でた。

「うわっ、なにを――」

「拙僧から見ても兄弟は立派に主殿を支えておる。何も不安に思うことはないぞ」

そう言いながら山伏はぐりぐりと山姥切の頭を撫でてくる。やや力が強すぎる気もしたが山姥切は抵抗することなくそれを受け入れていた。大きな手のひらで頭を撫でられていると抱え込んでいた不安が晴れていくような感じがした。少しばかり、いや、かなり気恥かしくはあるが。

「……本当に、そう思うか」

「あぁ! 兄弟は己を信じて主殿の傍にいてやればよい」

「そうか……」

山姥切が薄く微笑んだ時、庭の方から主が走ってくる気配がした。山伏は山姥切の頭を撫でている状態で振り返り、その先に主が姿を現した。

「あっ、兄ちゃん! 山伏も帰ってきてたんだ」

それに山伏が挨拶を返したところで、山姥切は慌てて山伏の手を頭から退けた。頭を撫でられるのが嫌なわけではないのだが、主の前でそんな姿を見せるのは恥ずかしかったのだ。手を退けられても山伏はからりと笑い、促すように山姥切の背を押した。主の傍についてやれということだろう。
山姥切が決まり悪そうにしながらも主のもとへ行くと、主は二人の姿を見比べた。

「…そういえば、山伏は兄ちゃんの兄ちゃんだったな」

随分と今更なことだった。自分の前では兄らしく振舞っている山姥切の弟らしい姿が珍しかったのだろうか。そこに触れられるのはかなり恥ずかしく、山姥切は赤くなっている顔を隠すように布を引き下げた。一方で山伏は笑い声を上げて訊ねた。

「カカカカ! ならば拙僧のことも兄と呼ばれるか?」

何の気なしに言ったであろう一言に、山姥切はどきりと心臓が跳ねるのを感じた。
確かに山伏は山姥切の兄と言える。山姥切が素直に胸の内を言葉にできたのも山伏が相手だったからだ。だが、主が山伏のことまで『兄』と呼ぶのは……何となく嫌だった。
思わず主の方に目を向ける。主はきょとんとした顔で山伏を見上げていたが、やがて首を横に振った。

「ううん。おれの兄ちゃんは兄ちゃんだけだから」

山伏は山伏な!と言って笑う。それに山伏も笑って頷いていた。
どちらにとっても大して意味の無い会話だったのだろうが、山姥切は主の答えを聞いて安堵していた。
他の誰でもなく自分だけが、主に『兄』と呼ばれる。それが、嬉しかった。





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