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新たに造り出された本丸にて、審神者の案内役である狐のこんのすけは新人審神者の案内しているところだった。屋敷内を見て回るのは後にして最初の刀を選んでもらおうとしていたのだが……。

「うわー何これ、すっごい日本! 日本って感じがする!」

まだ幼さの抜けきらない青年は目の前にある古風な屋敷に大興奮していた。時おりこんのすけには理解できない言葉を放ってはキラキラと目を輝かせている。青年があちこちに視線を向けるたびにくせの強い茶髪が揺れた。好奇心で大きくなった瞳の色は、日本人には馴染みのない深緑をしていた。

「はぁ、厳密に言うとここは日本ではありませんが、刀剣男士の方々に合わせてこのような造りになっておりますね」

「すごいなぁ、あっちにいる皆にも見せてやりたいなぁ」

「残念ながら本丸の情報を外に持ち出すのは禁止されておりますので……」

「やっぱりダメなのかー……ZENを極められそうな感じとか絶対ウケると思うんだけど。あ、庭がある!」

今にも駆け出さんばかりの青年にこんのすけは慌ててその前へと回り込んだ。

「後ほどご案内しますので今は私について来てください!」

「あ、ごめん。案内よろしく」

少し大きめに声を出せば青年は案外あっさりとこんのすけに従った。好奇心と興奮が先走っていたがそれなりに真面目な性質らしい。
こんのすけは青年を連れて屋敷に上がり、ある部屋の前で立ち止まった。屋敷の奥にあるこの場所は昼間であっても薄暗く、どことなく不気味な雰囲気がある。青年は落ち着きなく辺りを見回していたが、勝手に動き出すこともなくこんのすけを見下ろした。

「ここ?」

「はい。どうぞ中へ」

こんのすけに促されるまま青年は襖を開いた。その先には板張りの床が広がっており、さらに薄暗くなった室内は二本の蝋燭の明かりに照らされていた。揺らぐ橙色の光が五振りの刀の影を大きく引き伸ばしている。
青年はやや緊張した表情で前に進み出て、またこんのすけに訊ねた。

「えっと、どうすればいいんだっけ?」

「五振りの刀の中から最初の一振りをお選びください。手に取って祈れば全てうまくいきますよ」

そう言うと青年は再び刀へと視線を戻した。視線の行く先はどれか一つに留まることはなく、ふらふらと彷徨っている。どれを選べばいいのか分からないのだろう。青年はしばらくそれを続けた後、ため息をついてその場に座り込んだ。

「んー、よく分かんないや。俺としてはいかにも日本!って感じのやつがいいんだけど、こんのすけは何か知らない?」

青年は日本らしさというものにこだわっているようだった。半分は日本人の血が流れているとはいえ海外で生まれ育ったせいか、日本文化に対してある種の憧れを抱いているらしい。
それならば、とこんのすけはある刀を推薦することにした。

「では、歌仙兼定はどうでしょうか? 風情を大切になさる方だと聞いております」

「ワビサビってやつ? いいね、その人にする!」

先ほど悩んだ時間は何だったのかと言いたくなるほどの即決だったが、こんのすけは口を挟むことはなかった。最初に選んだ刀がどれであれ、審神者としての役目を果たしてくれさえすれば文句はない。
青年はこんのすけから教えてもらった歌仙兼定に手を伸ばし、その柄にそっと触れる。それと同時に眩い光が広がり、頼りない蝋燭の火が大きく揺れた。青年はあまりの眩しさに目を瞑ってしまったが、自分の前に立つ人の気配を感じてそっと目蓋を押し上げる。
そこに立っていたのは、紫色の髪を緩やかに波立たせた美青年だった。羽織りを留める紐には艶やかな花が飾られている。彼は輝く桜の花びらを舞わせ、薄く微笑んだ。

「僕は歌仙兼定。風流を愛する文系名刀さ。どうぞよろしく」

挨拶の口上を述べた彼…歌仙に、青年の目は釘付けになっていた。生まれて初めて付喪神を前にしたことで圧倒されているのかとも思ったが、彼は歌仙を見つめたままふらふらと立ち上がる。座ったままではちゃんと挨拶ができないと思ったのだろう。青年からの言葉を待っている歌仙は穏やかな眼差しでその様子を見ていた。
青年は歌仙と向き合うと、満面の笑みを浮かべて言った。

「はじめまして、俺は審神者です! これからよろしく!」

そう言いながら青年は歌仙との距離を詰める。もう十分すぎるほど近い位置に立っていたにもかかわらず足を踏み込んできた彼に歌仙は困惑するも、顕現させられたばかりの身では咄嗟の反応が遅れてしまった。
歌仙よりも背の低い青年は、軽く背伸びをして彼に抱きつく。

「なっ……!?」

「さっ、審神者様!?」

これには傍で見ていたこんのすけも声を上げてしまった。
何故挨拶を交わしていた流れで抱擁することになるのだろうか。青年のとった行動の意味が分からず、背を軽く叩かれている歌仙はほとんど硬直してしまっていた。
青年が歌仙を抱擁していた時間は短く、あっさりと体を離す。彼は相変わらず笑みを浮かべていたが、どこか様子のおかしい歌仙を見て小さく首を傾げた。

「ん? どうかした?」

現状を全く理解していない顔で訊ねられ、歌仙は思わず声を荒げた。

「どうかした、じゃないだろう! 君は一体何を考えているんだ!」

「えっ、俺何か悪いことした?」

穏やかだった歌仙に怒鳴られて青年はびくりと肩を震わせる。彼は先ほどの抱擁がどれだけ歌仙とこんのすけに衝撃を与えたのか気づいていなかった。そもそも問題視すらしていないと言うべきか。
歌仙は深いため息をつき、透き通った青い瞳で青年を見据えた。

「出会った直後に抱擁だなんて、はしたないどころの話じゃないよ。君は僕の役目をちゃんと理解しているのか?」

刀の付喪神である歌仙は歴史修正主義者との戦いに赴くために顕現させられた。今は人の形を取っているが、目的は戦うことにあるのだ。そのことを言外に含ませて言えば、青年は困ったように眉を下げた。

「ごめん、ハグしちゃいけないだなんて知らなかったんだ……」

「……はぐ?」

青年が言った言葉の意味が分からずに繰り返すと、彼はこくりと頷いた。

「さっきの、抱きつくやつのことだよ。俺が住んでたとこでは普通の挨拶なんだけど、日本じゃ違うもんなぁ」

青年は歌仙を大いに戸惑わせた行動について説明した。突然の抱擁に特別な意味などなく、ただ歌仙と挨拶を交わしたかっただけらしい。明らかにしょんぼりとしている青年を見て歌仙は少し反省した。誤解しても仕方なかったと思うが、頭ごなしに怒鳴りつけたのは配慮に欠けていたかもしれない。

「あー……あれが君のところでの挨拶なら、仕方ないね。大声を上げてしまってすまなかった」

「いや、俺も少し考えれば分かったことなのに、嬉しくってつい…」

会えたのが嬉しくて抱擁してしまったのだと言われて悪い気はしなかった。だが、何事も最初が肝心だ。歌仙は表情を和らげて言った。

「僕らははぐ、という習慣を知らないから、新しい仲間と会う時は自重してくれ。いいね?」

「うん、分かった!」

優しく念押しされ、青年は元気よく頷いてみせた。



……だが、生まれてからこれまでに身についた習慣を変えることはそう簡単ではなく、彼は鍛刀でやって来たへし切長谷部にもハグをかました。当然、いきなり抱きしめられた長谷部は大混乱に陥っている。

「え、あ、主、これはいったい……?」

混乱のあまり言葉も覚束なくなっている。その反応に青年ははっとして身を離し、ばつの悪そうな顔で後ろに控えていた歌仙に振り返った。歌仙は盛大にため息をつき、まだ回復していない長谷部に哀れみの視線を向ける。見ていて心配になるほど顔を赤くした長谷部はどんな行動を取るべきなのか必死で考えているのだろう。

「またやっちゃった……」

青年も悪いとは思っているようだが、この癖を直すにはしばらく時間がかかりそうだ。歌仙は長谷部のもとへ歩み寄って軽く肩を叩いた。

「気持ちは分かるが落ち着いてくれ。あれは主の挨拶なんだ」

「……抱擁が、挨拶?」

「うん。少し理解し難いけどね」

特別な間柄の者同士ですることを挨拶としてやってしまうのには、やはりどうにも抵抗がある。青年はそれをこちらに押し付けるつもりはないようだが、半ば反射的にハグをしてしまうらしかった。
歌仙と長谷部が何とも言えない表情を浮かべていると、青年は両手を合わせて謝った。

「嫌な思いさせてごめん! 今度から本当に気をつけるから!」

「は、はぁ……」

実のところ歌仙も長谷部も突然の抱擁に驚きこそしたが、嫌な思いなど全くしていなかった。この場でそれを訂正するのも妙な気がして言わずにいたが……青年が少し寂しそうな顔をしているのを見て、歌仙は微かに罪悪感を覚えた。



それからは言葉通り弾みでハグをしてしまわないように気をつけていた彼だったが、時おり寂しげな顔をするようになった。言葉を交わすだけの挨拶が物足りないらしい。特に遠征部隊が出発する時は落ち着かない様子で腕を組んでいた。そうしていないと自然とハグをしてしまいそうになるからだろう。
近侍として青年の傍に控えていた歌仙は、ある日ふと気になって訊ねてみた。

「ねぇ、なんで君はそんなに『はぐ』をしたがるんだ?」

特別な仲でもない相手に身を寄せるなんて、無駄に緊張してしまうだけのような気もするのだが。
すると青年は文机から顔を上げてこちらを振り向いた。

「え? 皆のことが好きだからだけど」

簡単に好き、という言葉を使われて反応に困る。そこに裏の意味など存在しないことは重々承知しているのだが、気恥かしくなってしまうのだ。歌仙はそれを誤魔化すように軽く頭を振った。

「それはどうも。……でも、挨拶で抱き合うのは少し軽すぎやしないかな?」

会ったばかりの者と抱き合うそれが軽薄なものに思えてしまうのは文化の違いなのだろうか。それにもう少し警戒しろと言いたくなる。
青年は一度筆を置き、体ごと歌仙に向き直った。歌仙から言われたことを考えているのか、形の良い眉を寄せて目を伏せている。そしてしばし間をあけてから答えた。

「軽いとか重いとかはよく分かんないけど、俺にとっては大切なことだよ。何て言うか……親愛の証みたいなもんだし」

彼はそこで一度言葉を切り、ふわりと笑った。

「それに、ハグすると幸せな気分になれるんだ。ここがあったかくなるんだよ」

そう言って自分の胸を指さす。彼が何も飾り立てることなく事実を口にしているのはその目を見れば分かった。彼にとってはハグが心の癒しにもなっているのだろう。そう考えると、自分たちに馴染みのないものだからと言ってハグを自重させるのは悪いような気もしてきた。
だから、ふいにこぼしてしまった。

「――時々なら、構わないよ」

「え?」

不思議そうな顔を向けられて、胸の中にある気恥かしさが大きく膨らむ。それを表に出すのはあまりに風情に欠けるため、歌仙は何でもないような顔をして言った。

「毎回はさすがに遠慮してほしいけど、今みたいに時間があるときだったら『はぐ』しても構わない、と言ったんだ」

「本当に?」

ほんの気まぐれで言ったことだったが、青年はとても嬉しそうにしていた。確かもう成人を迎える歳の頃のはずだが、そうしているとまだまだ子どものように見える。歌仙は薄く笑って頷いてみせた。

「あぁ、勿論」

「じゃあ今! ハグしてもいい?」

「いいよ」

歌仙にはどうやってハグを迎えればいいのか分からなかったが、流れで軽く両腕を開いてみる。すると青年はその間に飛び込むようにして抱きついてきた。最初の時よりもやや強めの力で抱きつかれ、背中をぽんぽんと叩かれる。仕草こそ子どもをあやしているようなものだったが、この場合あやされているのは青年の方だった。
歌仙も同じように青年を抱き締めかえし、背中を叩いてやる。青年は歌仙の肩に顎を乗せた状態でくすくすと笑った。短い抱擁はすぐに終わり、青年は満足げな顔で歌仙から離れる。

「久しぶりにハグしたから何か安心したー」

「そうかい。良かったね」

仕事を再開させる青年に笑みを返す。
胸のあたりが温かくなる、という感覚を少しだけ理解した。



それから歌仙は時おり青年とハグをするようになった。皆に誤解されぬように二人きりの時だけに限られていたが、ハグをするたび青年は嬉しそうな顔をしていた。寂しげな表情を見せることも前に比べれば随分減ったように思える。
そんなある日のこと――歌仙はとある戦場で重傷を負ってしまった。
やっとの思いで帰還すると息をつく間もなく手入れ部屋へと運び込まれる。どこかで鳴狐のお供が声を上げているのが聞こえてきたが、明滅する視界では自分がどんな状況にあるのかよく分からなかった。

「――歌仙さん!!」

目を閉じようとした瞬間に、手入れ部屋に青年が飛び込んできた。ぼろぼろに切り裂かれた歌仙の姿を見て青年は短く息を飲む。これまでにも負傷して帰ってくる者はいたが、これほどの重傷者が出たのは初めてのことだった。

「歌仙さん、しっかり! 今から手入れするから!」

懸命に声をかける青年は今にも泣き出しそうな顔をしていた。が、泣いていてもどうにもならないことは分かっている。零れ落ちそうになる涙を必死に堪え、作業に取り掛かった。
歌仙はそんな彼に何か言葉をかけてやりたいと思った。しかし傷ついた体は思うように動いてくれない。大丈夫だから心配するな、という思いをこめて微笑んだ。
その笑みを青年はどう解釈したのか、ますますくしゃりと顔を歪めた。まったく、雅じゃない。
青年は歌仙には理解できない異国の言葉で何かを呟きながら、丁寧に手入れを進めていく。歌仙は傷が癒されていくのを感じつつ、今度こそ目を閉じた。


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