36
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「キッド、ここにいたのか」
私とキッドが店で酒を呑んでいると、仮面が慌てた様子で入って来た。
どうやら随分と探しまわったらしい。
「なんだ?何かあったのか?」
「港で海賊が暴れてるって騒ぎになっていたから、てっきりお前達のことかと思ったんだが」
そう言って仮面は安心したようにため息をついた。
「騒ぎ?そんなんあったか?」
「ちょうどこの店に入った時に起きたのかもしれぬな」
キッドに聞かれ、私は適当に返した。
誰が港で暴れていようが関係ないし、興味もない。
「エーデハルンはカーティアよりも大きな海軍基地があるからな。ログがたまるのにも時間がかかるし、暴れられたら面倒どころじゃない」
「そーかよ。ま、そんな心配すんなって。ここ結構気に入ったしな」
キッドは言いながら、片手を上げて店の者を呼んだ。
「キラー、お前も何か頼めよ。飯まだだろ」
「あぁ」
仮面はいくつか注文し、私とキッドと向かい合うように座った。
どこか別の場所で食べれば良いものを。
私は思い切り仮面を睨んだが、特に効果はなかった。
もう慣れてしまっているようだ。
それにも腹が立つ。
苛立ちを誤摩化すように、私は酒を呑んだ。
喉を熱くするこの感覚は好きだ。
いつもより更に熱く感じた。
ふと、窓の外に目を向ける。
西日が射し込むそこは橙色に輝いていた。
あと半刻もすれば日が沈むだろう。
…沈んでしまう。
私はキッドの袖を軽く引いた。
「ん?なんだ?」
「船に戻るぞ」
「は?今キラーの頼んだばっかだろーが」
仮面の食事などどうでも良い。
空になった酌を台に叩き付ける。
ガシャン!と大きな音がした。
驚いた店の人間が、何事かと私の方を見やる。
「私は船に戻ると言っておるのだ」
日が暮れる前に、キッドの部屋に戻りたい。
『あの姿』はキッド以外に許したくない。
ただそう思って言っているというのに、キッドには少しも伝わっていなかった。
「お前なぁ、キラーは仲間だって言ってんだろ?少しは慣れろ。な?」
駄々をこねる幼子をなだめるようなその口調に、私の苛立ちは頂点に達した。
頭を強く撫でるキッドの手を払いのける。
勢い良く立ち上がり、そのまま出口へと足を進めた。
「船までの道分かるかー?」
「うるさい黙れ!!」
酒がだいぶ入っているせいか、キッドの声はいつもより明るい。
それが更に私の神経を逆撫でした。
昼間は『この日』特有の不安のせいで、いらぬことばかりを口走ってしまったが、間違いだったかもしれない。
キッドは馬鹿だ。私との時間の中に平気で仮面を入れて来る。
それに、私の『あの姿』が…好きだとほざいたくせに、今日がその日だということすら覚えていない。
大馬鹿者だ。
店の扉を思い切り叩き付けてやったが、破壊する事は出来なかった。
夕刻が近づいているせいで、だいぶ力がなくなって来ている。
髪を見ると、銀色が段々とくすんできているのが分かった。
急がねば。
急がねば、人間の姿を見られてしまう。
ポツリポツリと明かりが灯り始めた街は、まだ人間たちが大勢いた。
一体何をしに来ているのだろうか。
キッドと歩いている時には感じなかった人の視線を、色んなところから感じた。
ジロジロと私を見るな。
握りしめた拳は、少しも熱くならない。
空を見上げると、うっすらと白い月が、…―三日月が見えた。
鼓動が速くなる。
頭の中で響いているようだった。
その音から逃れるように、私は建物の間の細い道に入った。
大きな通りと違い、一人の人間もいない。
壁に寄りかかると、一気に力が抜けた。
どくん、と心臓の音が大きく響く。
「…間に合わなかったか」
手にした髪は銀色ではなく黒に、爪は丸くなり肌は脆弱な白に変わっていた。
人間になってしまった。
ズルズルとその場に座り込む。
石で出来た地面は冷たかった。
春といえど、夜はそれなりに冷え込むようだ。
私は膝を抱えてため息をついた。
船までの道のりは分かっている。
キッドと庭園に上った時に街を見下ろした。
それで、大体の道は覚えた。
大通りを避けて港に向かえば、この姿を人間に見られることもあるまい。
そう思って、細い道を進み出したのだが。
「お姉さん、一人でこんなとこ歩いてたら危ないって〜」
「もしかして道に迷ったとか?」
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる男たちに、思わずため息が出た。
なんでこんな時にこんな人間たちに絡まれるのか。
運が悪いどころの話ではない。
「…何か勘違いしておるようだが、私は男だ。それに道にも迷っておらぬ。先を急ぐゆえ…」
「待てよ」
避けて通ろうとした私の手を、一人の男が掴んだ。
ギリリ、と力を込められ、痛みに思わず眉を寄せる。
「へぇ、良いバングルつけてんなぁ?カーティア製か?」
「手を放さぬか。これは貴様のような下衆の触れて良いものではないぞ」
更に言葉を続けようとした所を、顎を掴まれ阻まれる。
掴まれた手を振り払おうともがいたが、男の方が力が強く敵わなかった。
「態度がでけぇ女だな、どっかの貴族か?」
「こんなとこ一人で歩くってのも世間知らずって感じだしなー」
背後にも男が立ち、私の体を撫で回す。
足を蹴り上げようと踏ん張ると、すかさず脚の間に膝を入れられた。
大柄な男の膝に跨がるような形になり、私のつま先は軽く地面にすれる程度まで持ち上げられてしまった。
「にしても胸ねーなぁ?ホントに男だったり?」
背後にいる男の手が帯に伸びる。
私は全力で身を捩らせた。
「くっ…お、とこだとっ、言っておるで、あろうっ!!」
「そんなの、見るまで信じられねーって」
両手を正面の大男に掴まれ、背後の男に全身をまさぐられる。
嫌悪で吐き気がした。
キッドが来てくれないかと視線を巡らせるも、細い道に人影はない。
帯をほどかれ、下肢へと男の手が進む。
これで私が男だと分かれば開放するだろうか。
…いや、そう言えばキッドも最初は女だと勘違いした挙げ句、男だと分かっても私を犯したのだったな。
男の手が、私のそれに触れる。
私は背後の男を見やった。
「間抜けめ」
さっさと殴るなり蹴るなりすれば良い。
朝日が昇れば傷は癒える。
息の根を止められなければ良いのだ。
こんな奴らに私を殺すだけの度胸はあるまい。
挑発するように笑ってみせると、男たちの空気が変わった。
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