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キッドはどうしようもなく苛立っていた。

落ち着きなく、右手の人差し指でトントンと肘置きと叩く。
赤く逆立った髪から不機嫌なオーラが揺らめき立っていた。
そんなキッドを船員達は遠巻きに眺めている。
誰も進んで話しかけようとはしない。下手に船長の逆鱗に触れれば、命の保証はないからだ。

緊張した空気に満ちた船室にキラーが現れた時、船員達は希望の眼差しをキラーに向けた。
キラーは船員達の様子とキッドを見て瞬時に現状を理解する。
そして、ゆっくりとした歩調でキッドに歩み寄った。

「キッド」
「……んだよ」
「何をそんなに苛立ってる」

回りくどい言い回しで聞くのも面倒だったのか、キラーは単刀直入にそう言った。
キッドの目が一段と鋭くなる。
殺気にも似た視線を向けられても、キラーは少しもたじろがない。ただ、長いため息をついた。

「アレのことか」

キラーが「アレ」と呼ぶのはヤクニのことだ。
ヤクニはキッド以外が己の名を呼ぶのを良しとしない。
この場にヤクニはいないが、最早「アレ」と呼ぶのがくせになっていた。

キッドは分かりやすく視線を逸らした。
どう見ても図星だ。
しかし、ヤクニと何があったのかまではキラーには全く見当がつかなかった。
カーティアを出てからと言うもの、ヤクニはすっかり大人しくなった。
大人しい、というよりも、キッドにかなり依存しているように見えた。
船から逃げ出す素振りもだいぶ前から見せなくなったし、キッドに歯向かうようなこともしない。
むしろ、キッドが望むままに何でも応えているようにすら思える。
それなのに、キッドがヤクニに関することで苛立っているのは何故なのか。

「…別に、ヤクニがどうこうって事じゃねぇ」

キッドがらしくもなくボソボソと答える。
その時、外から葉巻の煙を燻らせながら一人の船員が船室に入って来た。
キッドはその船員の姿を認めた瞬間、ベルトにさげていたナイフを操って船員のくわえた葉巻を切り落とした。
あまりに唐突なことで、船員は目を見開いたまま固まっている。
キラーも言葉を失っていた。
船室の空気がより一層緊張に包まれる。
そんな中、キッドはゆらりと立ち上がった。
固まる船員の元へと、大股で近づく。

「これ、吸うなら外で吸え」

地の底を這うような低い声でそう言って、キッドは船員の足下に突き刺さったナイフを抜いた。

「良いな?」

有無を言わさぬ迫力に、船員は真っ青になりながらも何度も頷いた。
そしてぎこちない動きで落ちた葉巻を片付け、そそくさと船室を後にする。
キラーはその様子を見て、何となくキッドの苛立ちの原因を察した。

「キッド、お前禁煙しているのか?」

キラーの声に、僅かながらからかいの色が滲む。
それを聞いたキッドは、苦虫を噛み潰したような顔でキラーを振り返った。








「ヤクニが嫌がるんだよ」

禁煙の理由を聞いて、キッドの口から出たのがこれだった。
キッドらしくない、どころの話ではない。
キラーが見て来た限り、キッドはかなりのヘビースモーカーだ。
葉巻も酒も、誰に気遣うことなく好きなだけ吸って、呑む。
それが当たり前だったし、これからもそれは変わらないと思っていた。
キッドだってまさか自分がこんなにも一人の青年相手に振り回されるとは思っていなかっただろう。

いや、そもそも初対面で強姦しておいて、今更葉巻の臭いを嫌がるから禁煙ってどういう風の吹き回しだ?

キラーはあまりの馬鹿馬鹿しさに頭が痛むのを感じた。

「嫌がるって…そんなことお前にはさして問題じゃないだろう」

能力を使えばいくらでも無理強い出来るのだ。
ヤクニの意思がどうであれ、自分の所有物にすると決めたのなら関係のないことだろう。

キラーの言葉に、キッドは明らかに嫌悪感を顔に出した。
そして何か言おうと口を開け、結局言葉にする事なくため息に変えた。

「………お前、本っ当、全っ然、分かってねぇわ」
「何をわけの分からんことを…とにかく、急に禁煙するのは無理があるぞ。周りにも迷惑が…―」
「嫌がってねぇけど嫌がってるふりしてるのは良いんだけどよ」
「聞いてるのか」

キッドはキラーの言葉を聞く事なく続けた。

「本気で嫌がられると何か、違ぇなってなるって言うか…前はそれでもクるもんがあったけどな」

「今は違ぇんだよなぁ」と言って、キッドは天井を仰いだ。
惚気としか受け取れないキッドの話に、キラーは「知るか」の三文字を返す事すら面倒になり、大人しく口を閉じた。

妙なところで子どもっぽく、頑固な船長はきっとキラーが何を言ってもこの禁煙を続けるのだろう。
そして無理のある禁煙で苛立ち、周りの船員達が哀れにも巻き添えにされるのだ。

そんな光景が容易に想像出来、キラーはまた一つ大きなため息をついた。









葉巻を吸いたい衝動を何度も堪え、キッドは歩調荒く自室のドアを開けた。
甲板から戻っていたヤクニがキッドを振り返った。
笛の手入れをしていた手を止める。
そして、コテリと首を傾げた。

「どうしたのだ、キッド?」

キッドの苛立ちを肌で感じたのだろう。
赤い瞳が不思議そうにキッドを見上げる。

キッドはヤクニの唇に吸い寄せられるように、自分のそれを近づけた。
ヤクニが目を閉じてそれを受け入れる。

甘いキスをかわしながら、キッドは先日ヤクニから本気でキスを拒まれた事を思い出した。
昼間にヤクニの見ていない所で、たった一本葉巻を吸った。
ただそれだけ。
それだけで、ヤクニはキッドとのキスを嫌がった。
ふりではなく、全力でだ。
キッドはそんなヤクニの態度に少なからず傷ついた自分に気づき、愕然とした。
今までこんなことはなかった。

自分を馬鹿にする者、逆らう者には容赦ない鉄槌を下して来た。
誰にも口答えはさせない。
それがキッドの常だった。
始めはヤクニに対してもこの姿勢でいたというのに、一体どこから変わったのだろうか。
それすら、キッドには判然としなかった。

「今日は、あの煙を吸っておらぬのだな」

唇が離れ、そう言ったヤクニは何だか嬉しそうにしていた。
自分のためにキッドが葉巻を我慢したことに気づいたらしい。

「あのような物を吸わずとも…私の口を吸えば良い」

赤い瞳を細めてそう続けたヤクニに、キッドは堪らず再び口づけた。





そして後日キッドはキラーに禁煙の成果を満足気に語り、キラーはまた頭痛を感じるのだった。







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あきゅろす。
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