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26

太陽が西に傾く。空には雲が増えていた。
夜には雨が降りそうだ。

ヤクニとキッドは商店の建ち並ぶ大きな通りを歩いていた。
下品な笑い声が響く。ヤクニは眉をひそめながら、声がした方を見やった。
飲み屋の看板の下に若い男女が5、6人たむろしている。
ヤクニは足を止めた。

「ん、どうした?」

ヤクニが立ち止まったのに気づいたキッドが、振り返る。
それに答えることなく、ヤクニは若者達を見つめていた。

ピシィッ!!と鞭の音が高く鳴る。同時に弱々しいうめき声がした。
酒を呷る男の右手には、使い古された鞭が握られている。
その鞭を何度も振り下ろされているのは、瀕死の老馬だった。
荷馬車をひく事もできないであろう痩躯には無数の傷痕がある。
泡立った唾液には血が混ざっていた。
痛みに苦しみあえぐ老馬を見て、若者達はゲラゲラと笑う。

ヤクニはそれを黙って見つめていた。
赤い瞳には何の感情も映し出されていない。
男がベルトからナイフを抜く。
派手な化粧をした女はそれを見て手を叩いた。

キッドがヤクニに何か言う前に、ヤクニは動いていた。
男の手が振り上げられる。ナイフの銀色が煌めいた。
ヤクニは若者達に向けて、手のひらを突き出した。
冷たい色をしていたナイフが、一瞬にして赤く光る。
その熱は男の手のひらを焼き溶かした。
耳障りな叫び声が響く。ナイフを投げ捨てようにも、手を溶かしたそれは離れない。

「うわぁぁぁっっ!!!熱い!熱い!!!」
「何で!?何よ!これ!!」

男が手を振り回す。周りにいた若者達は助けようともせず、男から離れた。
ヤクニは指先を動かし、炎を操る。白く光るナイフから炎が上がり、男の全身を包む。
そしてその炎は周りの若者達にも燃え移った。
黒いドレスが赤々と燃え、熱されたネックレスが首筋を溶かす。
火だるまになった若者達は、コマの様にくるくる回った。
通りを歩いていた人々がその様子を見て悲鳴を上げる。その中には歓声のようなものも混じっていた。
ヤクニは、火だるまになって転がって行った若者達を見向きもせず、瀕死の老馬の側に歩み寄った。
キッドもその後に続く。

ヤクニは膝をついて、老馬の顔にそっと手をあてた。
老馬の大きな瞳は灰色に濁っており、光を完全に失っていた。
辺りは静かだった。皆、火だるまになって転がって行った若者達を追いかけていったらしい。
老馬が浅い呼吸を繰り返す。肋骨の浮いた腹にはたくさんの傷があり、血が滲んでいた。
ヤクニは目をふせたまま、何度も老馬の頬を撫でた。

「…ヤクニ」

キッドに名を呼ばれ、ヤクニは顔を上げた。
最後に老馬の鼻先を優しく撫でる。

「もう、眠れ」

そう老馬に囁き、ヤクニは両手をかざした。



キッドにはヤクニが何をしたのか全く分からなかった。
一瞬青白い光が老馬の体から出たように見えたが、それも確かではない。
ヤクニが手を下ろすと同時に、老馬は息を引き取っていた。

「今、何したんだ…?」

キッドの問いに、ヤクニは何てことないように答えた。

「魂を送っただけだ。見たであろう?」
「見たって、青白いヤツか?」
「それが魂だ」

ヤクニが再び老馬に手をかざす。今度は赤い炎が生み出された。
この場で火葬するつもりらしい。

「―…炎鬼の力は炎を操るだけではない」

老馬の体が炎に包まれる。
人間に痛めつけられた体は、わずかな時間で灰になった。

「なんか、お前ってスゲーんだな」
「魂を送る程度なら、巫女も僧もできる」
「そういうもんなのか?俺は初めて魂ってヤツを見たけどな」

地面の灰を見つめるヤクニの手を、キッドが掴む。

「なぁ、俺の魂は抜けねぇのか?」

そう言ってニヤリと笑う。
ヤクニは目を丸くした。そしてすぐに眉をしかめる。

「魂を抜けるのは、死の淵にいる時だけだ。お前の魂は私には抜けん」

キッドの手を振り払い、ヤクニは着物から笛を取り出した。

「今はな」

そう付け加えて、老馬の灰に向き直った。
息を吸い、笛を構える。
哀れな老馬の魂を送る儀式はまだ終わっていなかったようだ。



無法の島に、鎮魂の笛の音が響く。
それは、何人もの人間を無惨に焼き殺した者が奏でる音とは思えぬほど、優しい音色だった。






人間に虐げられる馬の姿は、幼い己の姿と重なった。
抗うことも、逃れることも出来ぬ無力な自分。
怒りも悲しみもなく、ただ虚しさを感じていた。

そんな幼い頃の忌まわしい記憶が一瞬過り、気づけば人間達を火だるまにしていた。


笛を吹くと、島のあちこちから魂が上がるのが見えた。
動物のものもあれば、私が焼き殺した人間のものもある。
赤みのさした空に、青白い魂が線を描く。
キッドは目が悪いらしく、空の魂たちに気づいた様子はなかった。
ただ私の方を食い入るように見つめてくる。
キッドの視線から逃れるように、私は目を閉じて演奏を続けた。

魂の光は美しいと思う。
それがどんなに醜い人間のものであっても、美しい。
死んで、魂だけになってしまえば、皆同じだ。
人間も動物も妖怪も、関係ない。
人間は憎いが、魂になれば許す事ができた。
村を焼いた後は、必ず鎮魂の音を奏でていた。そうして私は人間への復讐を完成させていた。

最後の一音を吹く。
同時に風が吹き、馬の灰が浚われていった。
笛をおろしてキッドの方を見ると、キッドは惚けた顔で私を見ていた。
その表情が間抜けで、私は思わず笑ってしまった。

「間の抜けた顔だな」

私達の頭上で、最後の魂が空へと消えた。

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