9 * 青年は幾重もの鎖で雁字絡めにされていた。 睨み上げる目から戦意は消えておらず、それを見た船員達は船長の取り決めに耳を疑った。 「コイツを俺の部屋に運べ」 今さっき燃やされそうになったと言うのに、キッドは平然とそう言ってのけたのだ。 「‥後悔するぞ」 「生憎、今まで後悔なんざしたことねぇんでな」 笑うキッドに青年は歯を噛み締めた。 柔らかい唇に牙を立てる。 プツリと皮膚が破れ、血が流れた。 こうでもしないと意識を保っていられないらしい。 キッドは青年の顎をすくった。 細く流れる血を親指で拭う。 赤い瞳は焦点が合わないのが、小刻みに震えていた。 「‥ぜ、ったい、殺して、やる…」 ふ、と青年の瞳から光が消える。 そのまま青年は床に沈んだ。 キッドは気絶した青年の顔をまじまじと眺めた。 殺気の滲んだ顔ではない、むしろ幼さすら感じる。 頬の手触りはなめらかで、指の腹で何度か撫でた。 そんなキッドに、キラーが歩み寄った。 「キッド、不用心にもほどがあるんじゃないか」 「ほっとけ」 「焼き殺されかけたんだぞ」 「死んでねぇから問題ねぇ」 キラーの話を聞こうともしない。 もうキッドの中で決定してしまっているようだ。 この青年を自分のモノにすると。 キッドに命じられ、船員達が青年を運ぶ。 キッドもそれの後に続こうとしたが、流石にそれはキラーに止められた。 平気そうな顔をしていても重度の火傷を負っているのだ。 まずは火傷の手当てが最優先だろう。 「あれは俺が見張っておく」 だからお前は手当てを受けろ、と言外に言われ、今度はキッドも従った。 * 疲労を感じることも出来ないくらいに憔悴していた。 妖気が足りない。 ざわざわと血がざわめく。 あの人間の臭いがする。 私はゆっくりと目を開けた。 視界に入るのは見たこともない物ばかりだった。 南蛮の調度品なのだろうか。 床には動物の毛皮のような物が敷かれており、私はその上にいた。 身体中に巻き付けられていた鎖は外されている。 代わりに重い手枷と足枷がはめられていた。 今の力では破壊できそうもない。 「よぉ、気分はどうだ」 一人だと思っていたが、人間がいた。 臭いが充満しているせいで気がつかなかった。 私は声のした方を見た。 人間は大きな寝台のような物に座っていた。 上半身には包帯が巻かれている。 あんな小さな炎でも、中々に深い傷を負わせることが出来たらしい。 やはりコイツは人間だ。 妖怪にしては脆弱すぎる。 「貴様…私をどうする気だ」 私は全身に力を入れて、どうにか上体を起こした。 ジャラジャラと手枷が鳴る。耳障りな音だった。 「…お前、名前は何だ」 「は…?」 人間の唐突な問いに、私は眉をひそめた。 さっきから会話が成り立っていない。 「…質問に答えろ」 「お前だって答えなかっただろうが」 人間は私の言葉を軽く流し、再び「名前は何だ」と聞いてきた。 意味が分からない。 どうして私の名前を知りたがるのだ。 「貴様…私を殺すのではないのか」 「殺すわけねぇだろ、せっかく捕まえたんだ」 人間は寝台から立ち上がった。 私の方へ歩いてくる。 人間の姿が歪み、私は頭を振った。 「何故、…私の名を欲する」 「うるせぇな、いちいち理由がいるのかよ」 心臓が軋む。この人間の考えていることが分からない。 私は、恐怖を感じていた。 人間が私の前で膝をつく。 視線の高さが合った。 鋭い瞳が私を貫く。 何だ。 この人間は一体何を考えているんだ。 「ただ呼びてぇだけだ。教えろ」 片頬を上げて、笑う。 私は金縛りにあったかのように動けずにいた。 今まで誰にも名を問われたことはない。 人間にとって私は半妖で、妖怪にとっても私は半妖だ。 誰も私を私と認識することはない。 嫌だ。気分が悪い。 内側へ内側へと入ってくるこの人間の存在が忌々しい。 私は心を奮い立たせて人間を睨み返した。 「誰が、貴様なんぞに名を言うものか」 人間の意に逆らったにも関わらず、人間はどこか楽しそうな目で私を見ていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |