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愛と苦悩L


「もう用は済んだでしょ。俺行くから」

「途中まで一緒に行こうか?」

「子供じゃないから大丈夫です」

 頬を撫でていた手を叩き落とすと、二ノ宮が体をズラして道を開けた。

「蓮見君によろしくね」

「はいはい」

 階段を下り、人の気配のする廊下まで出てほっと息を吐く。振り返ってみたが、二ノ宮の姿はない。意外にすんなりと解放されて、ちょっと拍子抜けだ。本当に風紀の仕事をしていただけだったのだろうか。良かった良かった。
 廊下はガヤガヤと騒がしく、昼休み特有の匂いがそこかしこから漂う。

「あー、余計な時間くった。ご飯食べる時間あるかな……」

 購買に行く暇はなさそうだ。お菓子は放課後買いに行こっと。……ん?

「蓮見?」

 廊下の向こう側からもの凄い男前が歩いてくる。艶やかな横髪がさらさらと揺れて、鋭い瞳が見え隠れした。俺は思わず足を止めて、蓮見に見入った。そして蓮見も、立ち尽くす俺に気が付いた。
 「花」と口が動き、表情がふわりと和らぐ。まるで蓮の花のように澄んだ笑みに、心臓がばくばくと鳴り始める。思わず鼻を押さえた。

「どうしたんだ……?」

 小走りで近付いてきた蓮見は、俺の様子を見て目を丸くした。蓮見が可愛い過ぎて悶絶してるなんて言ったら怒るかな。

「花が屋上に行ったって聞いて探していたんだ。昼は食べたのか?」

「食べてないよ。売店行こうと思ったら二ノ宮に捕まっちゃって」

 二ノ宮の名前を出した途端、蓮見の表情が強ばった。あれ?

「あいつに何かされたのか」

「え、えっとー、色々没収されちゃって」

 指輪がなくなった両手を見せると、蓮見は眉をひそめたまま、俺の横髪に触れた。ピアスをつけていた耳の軟骨を指先で撫でられる。ちょとこれ、何のご褒美?

「変なことされなかったか?」

「うん、大丈夫だよ」

「本当に?」

「本当! それに、もし何かされそうになったら、あそこ蹴り飛ばしてでも逃げるからさ」

 蓮見が真剣な顔で見つめてきたから、俺は何度も頷いた。下ネタも織り交ぜてみた。それが功を奏したのか、蓮見がやっと表情を和らげてくれた。そして俺の手を握りしめる。

「教室戻るぞ」

「うん。……あの、ごめんね」

「なんで花が謝るんだ」

「心配かけたみたいだし。探してくれてたって言うから」

「俺が好きでやってるだけだ。それにこれはただのヤキモチ」

 俺は耳を疑った。でも、蓮見は念を押すように繰り返す。

「花はなんか危なっかしいから、あまり一人で行動するなよ。二ノ宮に出くわしたら、必ず俺を呼ぶんだ」

「わ、分かった」

「よし」

 素直に頷いた俺に蓮見は満足そうだ。いい子いい子とでも言うように頭を撫でられて、俺は口を噤む。そうしないと、叫び出しそうなくらい恥ずかしくて、何も考えられなくなるほど嬉しい。
 その時、予鈴が鳴った。蓮見はしまったという顔をして時計を見やる。

「昼、食べ損ねたな」

「……蓮見は学食で食べてきたんじゃないの?」

「いや、売店に行っただけだ。花と教室で食べようと思って。矢沢に伝言を頼んだんだが、聞いてなかったか?」

「え」

 そう言えば矢沢君が何か言っていたかもしれない。てっきり蓮見に置いてかれたと思っていたが、俺のただの被害妄想だったのか。そのせいで蓮見とのランチを逃すって、俺って超バカじゃない。

「ごめん……」

「別に良い。次の休み時間に食べよう。それともサボるか?」

「あ、いやー俺、授業出ないと内申やばいから」

「そうか。花は頑張り屋だな。でも無理はするなよ」

 蓮見は俺の体が心配だと言う。俺は少し混乱し、蓮見の顔と廊下の床を交互に見つめた。
 なんだか夢を見ているみたい。いや、夢とは全然違うけど。漂う甘い雰囲気に、俺は戸惑いを覚えた。だって、蓮見ってこんな感じだったっけ? 桜井君といた時とも違う。なんていうか、うーん、意外な一面というか、俺に気を使ってるのかな?

「蓮見って優しいね」

「花限定だ」

 俺を喜ばせることばかり言って、優しくしてくれる。すると俺は、みっともないくらい舞い上がってしまう。
 教室まで行く間、蓮見は俺の手を離さなかった。俺は半歩後ろを歩きながら、先を行く広い背中を盗み見るしかなかった。だって蓮見ってば、目が合うとすっごく綺麗に笑うんだもん。心臓に悪い!
 結局教室に着くまで、俺は一言も発せなかった。幸せいっぱい、胸いっぱいです……。



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