21 「一筋? 日本語の意味分かってねぇのか。お前みたいなのが相手じゃ、これをつけた奴も可哀想だ」 「え……あっ!」 そこで初めて、長谷部の顔から笑みが消える。慌てて俺の手首を掴み、襟を寄せて痕を隠そうとした。なんだ、今更そんなことをして、お前らしくもない。 珍しく焦っている様子の長谷部。さっき二ノ宮に縋った時と、同じように必死な姿。それに、俺の頭の中がまたぐらぐらと揺れた。 一度だって、長谷部は俺に真実を見せない。花は俺を頼らなかった。 この時、俺の心は攻撃と言う名の防御をとり、怒りの矛先を長谷部に向けた。もう、こんなことに胸を痛めるのはご免だった。 「それとも、相手は本命じゃないのか? だったら余計に最低だな」 「……っ」 息を呑んだ長谷部は、けれど、次にはまた口角を上げた。 「やだな〜ちゃんと合意の上だよ?」 「それでも最低だ」 「……蓮見には関係ないじゃん」 「なんだと?」 俺は明確な怒りを感じた。関係ない? これだけ俺に付きまとっておいて、何を言っているんだ。やっぱり、こいつは俺のことを欠片も信用なんかしちゃいない。 俺に怨みを持っているなら、さっさとそう言えば良い、殴るなりして鬱憤を晴らせば良い。なのに、こうしてはぐらかして傍にいようとするなんて、性質が悪い。 そっちがその気なら、こちらも容赦はしない……。 俺はシャツを握り締める手の力を強め、ぐいっと長谷部を引き寄せた。意外と軽い体が前のめりに机に乗り上げる。間近で見た焦げ茶の瞳が、少し揺れたような気がした。 「人に迷惑を掛けておいてそれか」 「で、でもっ、他人がどう遊んでいても興味ないって、蓮見が言ったんじゃんか!」 こいつは本当に頭が悪い……。 「ああ言った。お前が誰と寝ようが関係ねぇよ。ネコでもタチでも、勝手にしてろ」 「……っ、なら、」 長谷部が言葉を詰まらせる。俺は畳みかけるように、冷たく言い放った。 「けどな、俺はお前が大嫌いだから、お前の話題が耳に入ると不愉快になる。やるなら、目立たねぇようにしろ。こんな痕チラつかせても、気持ち悪いだけなんだよ」 長谷部が丸々と目を見開いた。それに満足して解放してやると、こいつの体は抵抗なくストンと席に戻る。 「……はは、ごめん。そうだよね、気持ち悪いよね。これからは気を付けるよ」 立っている俺からだと、長い前髪が目元を覆っているため、あの焦げ茶の瞳がどんな表情を浮かべているか分からない。だが、謝った時の声音は常と変わりなく、俺の言葉はやはりこの男にダメージを与えられなかったようだ。俺はそれにガッカリしている自分に気が付き、舌打ちする。いつからこんなに醜い人間になってしまったのか。人を傷つけて満足するなんて、俺は、どうなってしまったんだ。 自分への落胆が隠せない。この気持ちは前にも感じたことがあるものだった。それこそ、昔の花に対して、俺は同じことをしてしまったのだから……。 「長谷部〜……って、なんだ、お前らどうしたんだ?」 そこに教室に入ってきたのは矢沢だった。声を掛けられた長谷部の方はパッと顔を上げる。やはりその顔は笑みに緩んでいた。 「なに〜もう委員会終わったの?」 「ああ。ったく、夏休み前は仕事が多くてやんなるな。もう昼休み丸潰れ」 うんざりしたように肩を竦めた矢沢は、前期学級委員長をやっている。外部生に面倒事を押し付けただけなのだが、案外真面目な矢沢は、きちんと仕事をこなしているようだった。 「あ、それで長谷部に伝言。風紀委員室で特別指導があるから、放課後逃げずに寄るようにだと」 「……うそーん」 長谷部は露骨に顔を顰め、机に突っ伏した。 「委員長直々のお達しだ。観念するしかないな」 「うう、もういやん。風紀怖いよ〜」 委員長という単語にまた気分が悪くなった。俺は内心舌打ちして、読みかけだった本を開く。だがいつも通り、内容はさっぱり頭に入ってこなかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |