犬
ユリアンは子どもらしく我侭を言っては、アーベルを困らせた。彼が王子だからだろうか、その我侭は決して可愛らしいものではない。
「城下にはサーカスがきているそうだな、アーベル」
「……そのようですね」
だからどうしたと言うのだろう。14歳のアーベルを見上げるのは、6歳のユリアン。天使のような顔に笑みが浮かぶ。
「私も見たい。市中へ連れていけ」
「……はい?」
王子は言い出したら聞かない。
「兵隊をたくさん連れていけば、民が驚くだろう。私はジロジロ見られたり、頭を下げられるのがキライだ。こっそり楽しむためには、こっそりサーカスに行かねばならない」
「だ、だからと言って、そんな軽装で」
ユリアンは庶民が着るような綿の服に、満足そうに笑った。そして腰に挿した棒切れをアーベルに見せる。
「私のピストルの腕はなかなかだぞ」
ピストルではなくパチンコだろうに。アーベルは頬を引き攣らせた。
結局アーベルの手を引っ張り王子は城下に赴き、近衛騎士隊との追いかけっこを繰り広げる。アーベルは王子を背負い、路地を駆け抜け塀を登り、それはそれは大変だった。そして城に戻れば隊長に拳骨を貰う。
「いくら王子の命令とは言え、そんなに素直に聞くのはお前くらいだぞ、アーベル」
半分呆れていた隊長に、アーベルは苦笑するしかなかった。
他にも従者は大勢いるし、腕の立つ騎士だって控えている。それなのに、ユリアンはアーベルを頼り、いつも秘密の作戦を打ち明けた。
真面目なアーベルの寿命は縮まるばかりだったが、それでも、この小さな信頼に応えたいと思ってしまったのだ。
けれど、それを酷く後悔する出来事が起きる。
王宮に迷い込んだ野良犬を、可愛いから傍で見たいとユリアンが言った。アーベルはすぐにこれを外に追い出さなければならなかったが、自分が一緒ならばと王子を近づけてしまったのだ。
「うああーんっ」
「殿下!」
けれど、臆病になっていた犬は、王子の服を噛み千切った。驚いて地面に倒れたユリアンを、アーベルはすぐに抱え上げたが――
「キャンキャンッ……!」
――騒ぎを聞きつけた衛兵は、犬を殺してしまった。
「私のせいだ……うっ」
自分の胸に顔を埋めて泣くユリアンに、アーベルはとても申し訳ない気持ちになった。
無知で無垢な子どもがユリアンだ。彼は年の割に聡明だが、城と本の中の出来事しか知らない。迷い犬を助けようとして近付いて、逆に犬が殺されてしまったように、もしもという可能性を知らないのだ。幼い彼は、己の立場をまだはっきりと理解できていない。
分からずやった失敗が、ユリアンを傷つけてしまう。アーベルは、彼を守るためには、時として彼の望まざることをしなければならぬと、初めて分かったのだ。
それからのアーベルは、ユリアンにも自分にも厳しい騎士となった。
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