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29

 後宮と言えば聞こえは良いが、実際は妾を住まわす建物が、宮殿の内部にあった。ユリアンはアーベルにしか興味がなかったから滅多に使わなかったが、クラウスはよくここに足を運んでいたという。
 ユリアンの顔を見ると衛兵はビシッと胸に手をあて、ゆっくりと頭を垂れる。それに目もくれず、ユリアンは中に入った。
 薄暗い廊下がずっと奥まで続いている。廊下の左側に点在する扉はすべて固く閉じられており、外から固く鍵が掛けられていた。ユリアンは鍵穴に目をやって、どんどん進んで行く。どれもが金で美しく飾りつけられたノブばかり。だが、最後の扉だけは違った。誰にも見向きもされないような古い扉。錆付いた鍵穴は、もうガタがきそうだ。ユリアンはゴクリと唾を飲み込んで、ヨハンから預かった鍵を錠穴に差し込んだ。なんとか奥まで入ったが、右に少し回しただけで止まってしまう。錆びているせいかギギッと中を擦る感触が鍵を通して伝わってきた。

「このっ」

 ユリアンはもう一度鍵をぐっと押し込み、力任せに手首をひねる。今度こそ無事に鍵が一回転した。
 ユリアンは廊下に視線をやり衛兵がいないのを確認すると、重い扉を引っ張った。
 途端に吹き込んできた冷たい空気にユリアンの心が重くなる。扉の先には石階段が続いていた。螺旋上に連なる石階段を、ランプの灯りだけを頼りに進んでいく。たまにある小さな窓の外は真っ暗。月は雲に隠れてしまったようだ。
 上り切った先にはまた扉があった。これも随分古い。ユリアンが前に立つと、向こう側から人の声が聞こえてきた。

(まさか……)

 気持ちが逸る。幸いにも扉に鍵はかかっていないようだ。ユリアンは慎重に扉を開いた。
 固い壁に手をついて、ランプの明かりを翳す。最初に映ったのは黒い格子。その向こうに、人の足が見えた。

「……誰だ」

 その声は風邪でも引いたようにしゃがれていたが、間違いなくアーベルのものだった。

「アーベル、私だ、ユリアンだ!」

 ユリアンが格子の前までくると、アーベルが身じろいだのが分かった。彼にランプを近づけて、ユリアンは息を呑む。逞しい体のそこかしこに、痛々しい傷ができていた。

「まさか、兄上が……っ」

 眩暈がするほどの怒りを感じ、ユリアンは格子を握り締める。じゃらり……と音がして、アーベルが這うようにこちらに近付いてきた。彼の足には枷がはめられ、赤い痕を残している。傷が痛むのか、アーベルが苦しげに呻き声を上げた。

「アーベル、今出してやるからなっ」

 ユリアンは持っていた鍵を檻の錠に差し入れようとしたが、ガチャガチャと鳴るばかりで一向に開かない。これはここに導くための鍵であり、アーベルを解放するものではないのだ。
 落胆に、ユリアンは格子を握り締める。その手の上に、大きな手がそっと添えられた。

「ユリアン様……」

「アーベル……っ、すまない、お前をこんな目に遭わせてしまって」

 また涙が零れそうになって、ユリアンは歯を食いしばった。情けない主だ、騎士1人護れないで、子どものように泣いてばかりいるなんて。アーベルが優しい眼差しでユリアンを見るものだから、益々胸が詰まった。

「こんな場所にまでいらっしゃるとは……本当に困ったお方だ」

「何の、お前に会うためだ。地獄にだって行ってみせる」

 そう強がりで言い放てば、アーベルは困ったように笑った。そして、ユリアンから手を離し、その場で叩頭する。

「申し訳ありません。貴方を騙すつもりはなかった……」

「もう良いのだ。私はお前の出自など気にはしない」

 アーベルがハッとしたように顔を上げた。ユリアンは彼に伝えたいことが山程あって、必死に言い募る。

「私と共に過ごしたアーベルこそが真なのだ。だが、無知な私はお前のことを知らず知らず傷つけていただろう。お前がどんな気持ちでこの国に仕えていたか、考えもしないで……っ」

 ユリアンが言葉を紡ぐ度、アーベルの眦が歪んでいった。そして、何かを堪えるようにゆっくりと息を吐き、首を横に振る。


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あきゅろす。
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