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27

 ヒンメル王国12代国王クリスティアーネは、玉座の上から息子を見下ろした。母の耳にも昨日の出来事は伝わっているようだった。いくらユリアンが王子であっても、約束の一つもなしにこの国を統べる母に会うことは難しい。執務を終えた彼女は、わざわざユリアンのためにこうして時間を割いて待っていたのだ。
 ユリアンは僅かな希望を抱く。女王である母に、アーベルへの恩赦を願い出た。彼女はたおやかな仕草で扇子をパチリと閉じる。

「クラウスのことは知りません。城の警備は彼に任せてあります。彼が捕まえたのなら、下手人はしかるべき処罰を受けるでしょう」

「母上、恐れながらアーベルは私の騎士でございます」

「ならばなおのこと。王子の近くに裏切り者がいたなど、由々しきことです」

 女王は厳しい声音で言い放つと、ユリアンに下がるよう命じる。

「頭を冷やしなさいユリアン。貴方はこの国の王子なのですよ」

 ユリアンは赤い絨毯に立ち尽くし、母をじっと見上げた。金色の髪と緑の瞳。ユリアンと同じ色をしていながら、そこに宿る鋭さは冷徹な支配者のそれだった。クラウスよりも強く、無慈悲な。
「母上は、何故ラバランを滅ぼしたのですか……」

 王女は、愚問だというように目を細めた。

「民が憂えぬためです」

「しかし、当時のラバランは我が国と停戦状態にあったと聞きました。何故、こちらから仕掛けるようなことをっ」

 パチン……と、扇子が鳴る。女王の瞳に初めて情の色が宿った。憐れとでも言うように、その声に息子を案じる音が混ざる。

「ああ、ユリアン。当時を知らぬ者が言う台詞ではありません。あの時のラバランは内戦にあり、難民が次々と我が国に押し寄せていた。我らは彼らに何ができますか? ラバランの民を、我が国に引き受けるために、何が必要でしたか?」

 女王の語気は段々と強まり、紅を引いた唇が、食いしばるように引き結ばれる。

「あれは戦争でした。ラバランとではない。近隣の諸国に、付け入る隙を与えるわけにはいかなかった。我らはラバランの民を引き受ける代わりに、時の王朝を滅した。それが、代価でした」

 黙って聞いていたユリアンは、震える拳を握り締めて、キッと上を睨みつけた。

「滅ぼすことが、正義だったとでも言うのですか!?」

「ええそうです。でなければ、世界の調和が乱れていた。彼らは近々、大きな戦争を起こす気でしたから。自国の民に行った残虐行為、圧制も目に余るものがあった」

 だからと言って、アーベルの祖国を奪って良い理由になるだろうか? 難民として流れ着いた彼らは、差し伸べられた手に縋りついただろう。けれどその代価が、無慈悲に故郷を破壊することに繋がるなど、思いもすまい。
 ユリアンは己の国に正義を見出せなかった。失意のまま謁見室を出て、眉根を寄せる。

「アーベル……っ」

 呼びかけても、誰も応えない。ポロリと頬を涙が伝った。
 いつもなら優しい手が拭い取ってくれるのに。背を擦り、手を握り締めて、優しく微笑んでくれるのに。あの夜の瞳に見守られ、思う存分涙を流したかった。
 彼はあんなに優しいのに、どうして自分から引き離そうとするのだろう。

「私がヒンメルの子だからか。アーベルがラバランの民だからか……」

 ユリアンには納得できなかった。知らない歴史のことを、大人達が押し付けてくる。無情にも事実だけを振りかざし、全てを奪い去ろうとする。


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あきゅろす。
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