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21


 王宮は広い。客室だけでいくつあるのか分からず、掃除をする侍女達の労力は大変なものである。初めて訪れた賓客は王宮の中で迷子になってしまうかもしれない。
 アーベルも最初はそうだった。慣れるまではユリアンの後ろにくっついて歩き、自室に戻った時に城の見取り図を必死で頭に叩き込んだ。ユリアンは隠れん坊も好きだったから、早く覚えておかないと、日が暮れても彼を見つけ出せないという事態になりかねなかった。
 追いかけっこ、宝探し、戦争ゲーム。幼い頃の彼らにとって、王宮はかっこうの遊び場だった。だから、今ではこの王宮で、アーベルの知らない場所はほとんどなかった。
 だが、捕らえられたアーベルが連行されたのは、見たこともない暗い牢屋だった。太い格子は人の力ではビクともせず、物々しい錠には不似合いにも精緻な模様があしらわれている。驚くべきことに、手枷には沈金が施されていた。
 騎士の制服を剥ぎ取られ、軽装になったアーベルの手足にそれがはめられる。クラウスは檻の外でその様を暢気に眺めていた。

「似合っているぞ。今度は首輪でも作らせてみようか」

「……悪趣味はお変わりないようですね」

「そんな口を俺に聞くのもお前だけだ」

 クラウスはそう言ってくすりと笑う。緑の瞳にランプの光が入り不思議な輝き方をした。絹のような金髪がさらりと流れ、アーベルはユリアンのことを思い出した。
 ユリアンが気を失った時、本当は傍に駆け寄りたくて仕方なかった。ユリアンに手を上げたヨハンのことを殴り飛ばしたいとも思った。けれど、アーベルは声を掛けることもままならなかった。

(もう、会えないかもしれない……)

 彼との別れが現実味を帯び始める。

 クラウスは人払いをすると自分も檻の中に入り、アーベルを石の床に跪かせた。暗い牢の中をランプの灯がぼうっと照らす。浮かび上がるクラウスの顔は平時と変らず、ここが牢でなければ世間話でも始められそうな雰囲気だった。

「俺に赦しを請い忠誠を誓えば、助けてやらんこともないぞ」

 アーベルを見下ろす王子は、慈悲深い笑みを浮かべる。けれど、アーベルは分かっていた。この男の腹の中は得体が知れず、頭の中は謀で埋め尽くされている。

「私はユリアン様の騎士です」

「もうそれも終わりだ。ラバランなどを騎士になどしておけるか」

「では、貴方にお仕えすることもできません」

 アーベルはクラウスを睨みつけた。その肩にガツンと靴底が当たる。ぐぐっと押されてアーベルの体が前に傾ぎ、クラウスに頭を下げる体勢になったところで止まった。

「生意気な男妾も悪くない。俺は弟ほど甘くはないからな」

「なにを……」

「騎士は無理だが、慰めものならば周りも咎めはしまい」

「……っ」

 息を呑んだアーベルの顎に、革靴のつま先が当たる。

「ぐあっ」

 蹴り上げられて、後ろに倒れこんだ。頭を強か打って意識が朦朧とする。

「お前は丈夫そうだから、少し乱暴でも構わんだろう」

 遠くでクラウスが何事かを言っている。その時、体の横を何かが鋭く通り過ぎた。破裂するような音が聞こえ、アーベルはゆっくりと体を起こす。だがまた耳障りな音がして、アーベルの背に鋭い痛みが走った。

「くっ」

 地面に手をついて、クラウスを振り仰いだ。彼の手は長い鞭を弄んでいた。

「俺は剣よりこちらの方が得意なんだ」

 やはりクラウスは笑っていた。
 本当に悪趣味であると、アーベルは心中で毒吐いた。




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あきゅろす。
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