18
ユリアンの怪我は軽いものだった。3日もすれば外を散歩できるようになる。肩にマルコを留まらせて、ユリアンはジュリオの下へと足を運んだ。
「兄上、もうお体はよろしいのですか!?」
ジュリオは見舞いに行けなかったことを詫び、兄の回復を喜んだ。素直な弟の様子に心癒されて、ユリアンの機嫌も少しだけ直る。
「ええ、アーベルがですか?」
「そうだ。あいつめ、3日間全く姿を現さなかった。なんという不忠者だ!」
ユリアンは眉を吊り上げ口をへの字に曲げた。アーベルがユリアンに会いに来たのは事件のあった日だけで、あとは仕事が忙しいと手紙さえ寄越さない。おかげでユリアンは、マルコ相手に独り言を言うしかなかった。
「ああ、恨めしい。泣きそうな顔をして私の腕に縋ったのは、よもや演技だったのか」
「兄上がアーベルに何か意地悪をしたのではないのですか?」
弟はしらっとした表情で兄を見返した。とんでもないことだと、ユリアンは思う。何故自分が愛しい人に意地悪をするのか。
あの時のアーベルはいつもの凛とした姿とは違い、酷く動揺していた。頼りない、と彼に思うのも初めてだったが、それと同時に護ってやりたいという庇護欲を覚えた。何度も大丈夫と囁けば、アーベルは最後にほんの少しだけ笑ってくれた。あの時感じた胸が締め付けられるような気持ちを思い出し、ユリアンは溜め息を吐いた。
「……様子が変だったのは確かだがな」
ジュリオのベッドに腰掛けて、部屋を飛び回るマルコの美しい羽を眺めた。
「あやつ、何か私に隠しているんじゃないだろうか」
「え……どうして?」
「勘だ」
ガクリとジュリオの体が傾いだのを感じた。けれど仕方がない。ユリアンにも確信がないのだから。ただなんとなく、アーベルが不安にかられているのだけは分かる。騎士が敵を恐れるなど言語道断であるが、それがアーベルともなると、余程のことなのかと勘繰ってしまう。
「実は、ヨハンも……」
「ん?」
「兄上に怪我を負わせた侍女、知り合いだったようなんです。そのせいか元気がないようで」
初耳だった。ユリアンは、何故アーベルがそのことに触れなかったのか考えようとした。
だがその時、扉が開け放たれて、元気の良い声がした。
「でーんか、お加減いかが……おや、ユリアン様」
さっと騎士の礼をとり、ヨハンは人好きのする笑みを浮かべた。いつも騒がしいところはアーベルと正反対だなと、ユリアンは肩を竦める。
「なんだ、私が弟の下を訪ねるのは可笑しいか」
「いいえ、滅相も無い。アーベルがお供にいないってのがちょっとびっくりで」
痛いところを突かれて、ユリアンはむっと口を引き結んだ。
「お前のように暇なわけではないのだろう、我が騎士は。少しは見習っておけ」
「いやー耳が痛いです。おや、殿下、そのロザリオは」
ヨハンはさり気なく話題を変えたつもりだろうが、不自然過ぎてジュリオは苦笑を浮かべている。けれどユリアンは待っていましたとばかりに、胸元にあるロザリオを掲げた。
「アーベルに貰った」
「へーやっぱり。なんだ、殿下に渡すために持ってきたのか」
ヨハンが何やらブツブツ言っているが、ユリアンは気にしない。見せてくれと言われ、気前良くヨハンにロザリオを渡した。
ヨハンはひっくり返したり裏返したり、赤い宝石を爪で突いたり。それはしげしげと見つめていた。
「いや、やっぱり珍しいですね。随分古そうだし」
「綺麗ですね、兄上」
「ああ」
ユリアンの機嫌は完全に直ったように思われた。そして、ヨハンがトドメの一言を零す。
「母親の形見らしいですから、大切にしてやって下さいよ」
ユリアンはパチリと目を瞬かせ、ヨハンからそれを受け取った。
「アーベルのお母上……」
鈍く光る赤い宝石。それを見つめ、ユリアンはなんだか胸の奥が疼くのを感じた。
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