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17


 裏切り者が、彼を愛しているなどと言えるだろうか。

「……ん」

 うっすら目を開けると、窓から薄い光がこぼれていた。随分早く起きてしまった。まだ侍女の1人も起きていない。
 寝付けなかったアーベルは、そっと城を抜け出した。空が段々と白んできて、伝統ある町並みを照らし出す。細道だらけの路地は石畳がでこぼこしていて歩き難い。階段も多かったが、アーベルは慣れたものでスタスタ歩く。時折建物から人が顔を覗かせた。窓辺の植木に水をやる者、隣人と挨拶を交わす者、まだ寝ぼけているのか新聞を逆さまに読んでいる者。何気ない朝の風景だ。アーベルは散歩でもしている気分になった。朝の爽快な空気を吸っていると気分が良くなってくる。だが、ユリアンのことを思い出すとまた気が滅入る。
 それを繰り返しながらたどり着いたのは国営博物館。開館時間までには、まだまだ時間がある。アーベルはまた溜息を吐いた。

「何をしているんだ、私は……」

 何となく目指して来てしまったが、こんな時間ではまだ守衛しかいない。仕方がないと踵を返そうとした。その時だ。

「おや、貴方は王子の」

 アーベルの後ろに、初老の男が立っていた。薄手のコートと使い古した革鞄を左手に持っている。灰色がかった髪と出っ張った額を見て、アーベルも思い出した。相手は前に博物館の視察で案内をしていた学芸員だった。

「どうしたのですか。王子のご用でしょうか」

「いえ……」

 アーベルは少し迷った後、中に入りたいと素直に告白した。すると男は少し逡巡した後、にこりと笑った。

「ええ、分かりました。今日は特別ですよ」

「本当ですか!?」

 親切にも彼はアーベルを中に入れてくれた。

「今の貴方の顔を見ているとどうも放っておけない。まるで神に救いを求めているようだ」

「そんな……」

「貴方が教会でなくここをお選びになったことは、別におかしなことではありません。芸術は時として神の教えを示し、人々を救済する力を持っている」

 男はそう言うと、事務室に向かっていった。そしてすぐにまた現れる、彼の手には第6棟の鍵が握られていた。入り口を開けると、どうぞと招き入れてくれる。アーベルは会釈をするとゆっくりと扉を潜った。
 歴代の勇者の雄々しい姿。黄金比も美しい古代の遺産。そして、赤い柱に纏わりつく黒い蛇を見つめた。どの国にでも神はいるが、裏切り者を救済する奇特なものはおるまい。結局アーベルは、一番奥の部屋で立ち尽くした。あの、ユダの福音書の前で膝立ちになり、神を見上げる。
 神々しい光を放ち、強い意志で下界を照らす偉大なる神。その下で、ユダは一心に主を見つめる。彼は敵に神を売り、最後は非業の死を遂げる。本当は主を敬愛して止まなかったはずなのに裏切り者とされた時、彼はどんな思いだったのだろう。
 アーベルは彼のことが知りたかった。そうすれば、自分の心が軽くなる気がして。
 遅れて広間に入ってきた学芸員は、部屋の中央までゆっくりと歩いてきた。

「主の神々しく慈悲深きこと。この絵はかの地で多くの人々を癒やしたことでしょう……本来の姿を見れぬことだけが、残念です」

 彼は十字を切り、天を仰いだ。



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