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13

 アンナ・マレスカは、ここに来てまだ三月しか経っていなかった。大人しく口数も少なかったが、よく働き覚えも良いので、先月からユリアンの部屋の掃除を任されるようになった。

「彼女は喜んでいました。マルコ……殿下のお部屋にいる小鳥はなんて愛らしいんだって。動物が好きな優しい子だったのに……」

 彼女が部屋に花瓶を置いた途端、それが爆発でもしたかのように割れて、王子を襲った。皆が驚く中、彼女はわなわなと身を震わせたという。そして止める間もなく、自らその命を絶った。
 不可思議な事件だった。アンナが何か花瓶に細工をしたのかもしれないが、もはや確認する術はない。ただ、王子を傷つけた罪は重い。
 近衛隊長のエドガーは厳粛な顔をして、アーベルとヨハンの報告を聞いていた。

「その、アンナという侍女。出自は?」

「田舎の孤児院の出だと話していたそうです」

 アーベルはそっと目を伏せた。
 戦争の多いこの国では、孤児や難民が多くいる。施設を出ても職にありつけず、物乞いになる者も多くいた。そんな者たちを中心としてスラム街ができ、犯罪も横行している。国も対策に乗り出しているが、対処が間に合わないのが現状だ。ヒンメル王国は大陸一の強国。豊かな分、この地を目指す貧しい者が多いのも事実だった。
 人種や言語、文化が違うジプシーを嫌う者も多い。孤児院の出ということで差別されることもある。アンナという少女は、どんな思いで王宮に来たのだろう。

「そんな得体の知れない者を殿下のお部屋に入れるとは……」

 これは給仕長にきつく申さなければと、エドガーは眉間に皺を寄せた。第2王子のフェリクスが不愉快そうに顔を顰めるのを、第1王子は面白そうに眺めている。そして、先ほどから沈黙を保ったままのアーベルに意味深な目をくれた。

「アンナと面識は?」

「いえ……言葉を交わしたことはあると思いますが」

 あまり印象のない少女だが、アーベルは最近も見た気がして、記憶の糸を手繰ろうとする。するとクラウスは、今度はヨハンに視線をやる。

「お前はどうだ?」

「俺ですか……」

「親しげに話している所を見たという者がいるぞ」

 アーベルはヨハンの顔をまじまじと見つめた。ヨハンは困ったように笑い、道に迷っているのを案内していただけだと答える。
 その時、アーベルの脳裏に一昨日のことが思い出された。
 朝、廊下の隅で出くわしたヨハンは、確か見慣れぬ侍女を従えていなかったか。背格好は死んだアンナに似ていたように思う。もしや、彼女がアンナだったのだろうか。

「そうか。まあ、お前の女好きは有名だからな」

「酷いなあ殿下は」

 笑うヨハンの表情が少し翳りがあるのは気のせいだろうか。
 鼓動が速くなるのを感じて、アーベルは静かに目を伏せた。



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あきゅろす。
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